見出し画像

必要なのはノウハウではなく哲学だった

ささいなことだからといって、サクッと片づくとはかぎらない。

小さいのに無視できないこと

野菜を切る時間がしんどい、洗濯物を畳むのが嫌ですぐ溜める、洗いものを始めるまでに時間がかかる、休みの日に抗えず二度寝。ひとつひとつは小さいのに、集まるとめっちゃデカいノイズになるあれこれ、どうにかならないものか。独り暮らしをはじめて数年、なんとなくの解決策を見つけながらやってきた。

ノウハウばかり追いかけてしまう

悩みへの対処法として、たとえばネットで探してすぐに見つかるものは、たいていノウハウだ。
自炊がめんどくさいので、時短レシピを探す。
食事をつくる回数を減らすために、ミールキットを探してみようか……。少し前、インスタで広告を見たな。
こういった解決策やサービスでスッキリできるならいいのだけれど、私の場合は上手くいかないことが多い。

あるノウハウで上手くいかなかったとき、私はべつのノウハウへと移った。そのまたつぎ、つぎ、つぎ、と試していくうち、サクッと解決できると思っていた悩みのはずが、いつの間にか時間が経ってしまう。気づいたら副次的な悩みが増えていることもある。

そういうとき、けっきょく最後には図書館に足を向けることになる。

横移動から縦移動へ

服が好きだ。かつてはちがった。「どうせ布なんだから何着たって同じ」と本気で思っていた。私はどうして、服を好きになったのだろう。服は「ただの布」ではなかったのだろうか? 答えは誰も教えてくれない。でも、私のなかを探せば見つかる。答えがないなら、これからつくればいい。そのときも図書館に行った。「なぜ服を着るのか」という問いを入り口に、私は哲学者の鷲田清一さんに出会った。最初はファッションに関係する論考を読んでいたが、著者に惹かれ、べつの領域の書籍にも手を伸ばした。

私がこの記事でいうところの「哲学」とは、何も哲学者の言葉にかぎらない。ノウハウと哲学を、具体と抽象と言いかえてもいい。ノウハウからノウハウへと飛びうつるのが横移動だとしたら、ノウハウから哲学へと移ったら、縦移動をすることになる。上から眺めるにしろ、自分の内側に深く潜るにしろ、抽象度をあげれば、べつの段階から悩みを眺めることができる。

時間はかかる

方針を哲学に変えたからといって、もちろんすぐに解決するわけではない。私の場合、ノウハウで片づかなかった時点で、即解決は諦めていることが多い。やがて、自分のなかに深く潜れるようになると「あれもこれも同じ悩みじゃないか」というところにぶつかるときが訪れる。この瞬間が、とても好きだ。遠く離れた町まで行く道ができたようで嬉しい。

ただ、「あれもこれも同じ悩み」ということは、「小さい悩みが集まっためちゃデカい壁」が出現するということでもある。とはいえ、抽象化が終わると、べつのノウハウを引用して応用できると気づくこともある。やみくもに解決しようとしていたころよりもずっと、穏やかな気持ちで立ちむかうことができる。あるいは、もう立ちむかう必要もなくなっているかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?