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noteを再開します #432

1ヶ月ほど更新停止していましたが、また再開したいと思います。

今回はそのご報告と、この1ヶ月で色々あり、考え方も少し変わったので自分なりに整理しようと思います。

怒涛の10-11月

本当に色々ありました。。。

妻と長男が乗った自転車が車にぶつかられたり(軽傷です)、次男がなぜか右目周辺ばかり怪我したり(軽傷です)、初めて健康診断で引っかかったり(結局異常なし)。。。

そんなこんなで一度心身を落ち着けるため、一定の負荷がかかるnote更新をストップすることに決めていました。

また、ちょっと「ヒヤリ」とする何かがやたら続いたので、家族でお祓いに行ったりもしました…!

お祓いの効果があったのか(?)、今は落ち着いていつも通りの日常に戻っています。

ただしこの期間を経て人生観が少し変わりました。

人生は有限

「ヒヤリ」とするたびに、当たり前の日常が特別なものなんだと実感しました。壊れないと思っているものが壊れる可能性は意外に潜んでいる、という。

当たり前ですが、人生は有限です。

その限られた時間で何を大切にするのか
何を残すのか

これをしっかりと意識しないといけないなと思いました。

全てを削ぎ落とした時、大切なのは我が子

人生が有限だと実感した時、自分にとって本当に大事なものが浮き出てきます。

僕の場合、それは2人の我が子でした。

こうなる前は日々の忙しさに忙殺され、正直子供との向き合い方が雑になってしまっていました。

しかし当たり前のことだったのですが、彼らと時間を過ごし、思い出を作ることが何より大事なんだと実感させられました。

共感したあるブログをご紹介します。

このブログは「子育ては経済的合理性がない、だから結婚もしない」という若い人たちに対するメッセージで締めくくられています。

自分の最期に見る夢はどんな夢がいいだろう?
その為に払うコストと労力は安いか高いかどっちだろう?

子育ては大変なことばかりだし、手も時間もお金もかかる。
でも最期に見る夢は、死ぬ直前に作ることも買うこともできない。
何億持って居たとしてもだ。

そう考えると本当に子供がかける手間やお金なんて安い買い物だなと思うし、はっきり言える。
「苦労しながら子供を育てることには経済合理性はある。」

日々苦労しながら持ち場で頑張って子育てをしている人達は、必ず勝つ投資をしているのだ。
その日が来ない人は居ない。死なない人間は居ないのだから。

僕も多くの子育て世代と共に今日も持ち場で頑張ろうと思う。
いつか見る最期の夢の為に。

このブログでは企業のゴーイングコンサーンになぞらえて、子育ては自分自身が永遠に続いて行く前提、つまり「人間としてのゴーイングコンサーン」に繋がると書いています。

自分の未来そのものである我が子たち。

この子達に何をしてあげられているだろうか?楽しい思い出を残せているだろうか?道標になれているだろうか?

有限に気がついた途端、そんなことを自問し始めました。そして逆にそれ以外に執着すべきものがほとんど無いことに気が付きました。

どう生きる? 頑張る!

やるべきことがスッキリ明確になりました。

1つ、子供たちとの時間を確保して、意識して楽しい思い出を作ること。
2つ、彼らの道標になれるよう日々成長すること。

これさえ成せていれば、他は全て些細なことです。

有限な人生において、人と何かを比べたり、嫌な出来事に振り回されるのは無意味で無駄な時間です。

というより、この2つを成し続けること自体とても大変なので、余計なものに振り回されている暇がないはず。


このnoteをはじめ、僕のエンジニアとしての道のりはいつか子供達の道標になるんじゃないかと考えています。

頑張れば人生何とかなるし、人は頑張ることができる。

自分なりに成長できていれば、それ以外は些細なこと。

そんなことを示して、残していくためにも、これからも頑張ってみようと思います。

とにかく諸々と一区切りついて良かった。

ここまでお読みいただきありがとうございました!!

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