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最近考えていること、明日死んでも後悔がない生き方なんてある?

昨日久しぶりに大学の友人に会いました。

彼女は、ワタシが移住する前から偶然長野県に転勤していて、ワタシが働いていた花屋にも何度か遊びにきてくれていました。

今やワタシもそのお店を辞めて、その子もこの7月で退職したため、2人とも新たな門出のお祝いも込めて一緒に食事をしました。

その時の会話から考えたことは、変化を迎えたからこそ発見が多く、書き残しておいた方がいいかなと思いここに記しておくことにしました。

働くことについて

私たちは一体なんのために働くのでしょうか。生活に必要なお金を稼ぐため、
夢を叶えるためのステップとして、
やりがいのため。

理由はたった1つではなくて、さまざまな理由が重なり合っているのだと思います。

最近、私は思い込みが取れました。
それは、
「働かなくてはいけないという思い込み」

生きていくために全く働かないという選択ができる人は稀です。

もちろん、私も全く働かずに生きていけるわけではありません。

でも、今は
毎日働かないといけないとか、
今よりもっと稼がないといけないとか、
仕事をするからにはより高みを目指さないといけないという風に考えなくなりました。

それは私にとって思い込みであることに気がついたからです。

今までは無意識に意識していたというか、仕事はそういうものだと思っていました。

設計事務所で働いていた時は休みなく働いていました。一人前になるまでは、無休で働くのが当たり前、給与が少し出れば十分。そういった考え方の事務所でした。

けど、あるとき続けることが苦しくなってしまりました。豪邸の設計だって、そんな暮らし想像もできない。
確かに、デザイン価値の高い建築を作ることは意義深く感じていました。しかし、独立して設計事務所を開いて仕事をしていきたいというほどの情熱を感じてはいませんでした。

そのさきに何かがあるという思いこみ?

花屋で働いていた時はそんなに忙しいわけではなかったけれど、花を売っているにも関わらす花を飾るような暮らしをすることはできなかったし、移住先の一人暮らしで職場と家の往復という暮らしを続けていました。

ある日気づいてしまったことは、
設計事務所の先も、花屋の先も私のやりたいことはお店を開いたり、事務所を開くことでもなかったということです。

まずは、毎日の生活をただ楽しみたかった。

大きな夢や目標なんてないことに気づいちゃって、花屋で働いてみても、売ってる花よりそこらへんに生えている花の方が面白いことに気づいちゃったり、既存のやり方に従っていても、自分がやりたいことができないなと思うようになりました。

なので、自分で仕事を作ることにしました。

普通に給与をもらって働くより不安定だし、これで大丈夫かな不安になることもあるのだけど、それでも今、この若い時に自由な時間があるということが私に取っては重要なことでした。

何が重要なのかというと、何かを作ったりやってみようというエネルギーが湧いてくることです。

すごく単純に今が幸せかどうかということ

明日死ぬとして後悔ないですか?
よくある質問ですが、生まれてからこのかた?特に中学生以降「はい!悔いはないです」と答えられる瞬間は皆無でした。

明日死ぬのなら、こんな勉強はしないし、この仕事もしない、といったことばかりでした。

でも今は心理的変化が大きくて、今日も明日も楽しみだし、明日死ぬとわかったら少しは違うかもしれないけど、畑で植物を育てて昼寝してお茶を飲んで、大方こんな感じで過ごすだろうって感じで生きています。

何かを学こともこれまでのように強制されることや、急かされることもないし、むしろ新しいことを学ことは楽しみでもあります。

また、自分の裁量で仕事に向き合うことができるのは、ストレスとは反対でエネルギーを与えてくれるような感覚です。

中学生の頃から、何か目先の目標のため(テストや受験や仕事など)に毎日を過ごしていたので、この変化は今日を生きるという視点を私に与えてくれました。

ただ単純に今日を幸せに過ごすことはお金を稼ぐとか、やりがいとかとはまた別のことなのだと思います。

それは環境だし、一緒に過ごす人。
そして、現代の社会では一番手にすることが難しいことでもあります。
私は今、長野県の山間にあるシェアハウスに暮らしています。そこには20代から60代までいろんな人が10人ぐらいで暮らしていてたまに宿の利用者がいます。

典型的核家族の生活をしてきて、家族以外の人と生活することは初めてです。

でも、すごく居心地が良くて一人暮らしでは味わえない安心感や、何気ない1日の楽しみがあります。

現代社会という大きな括りであまり語りたくないのですが、おしゃれな暮らしをしたり、素敵な服を着たり、そういったことも幸せを感じさせてくれるだろうけど、そのために1週間の大半をあまり好きではない仕事に費やしたりすることは本当にその人のやりたいことなのでしょうか。
もしかしたら誰かの夢、つまり幻想を見せられているのかもしれません。

そんなことを、考えました。


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