仰田眺湖

自分の人生について書こうと思います。

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2023年のテーマメモ

多分無理だろうが、3ヶ月に一つのテーマに絞ろうと思う。 1、松尾芭蕉に関するライティング 2、ジャクソン・ポロックに関するライティング 3、本居宣長に関するライティング 4、映画という文化についてのライティング それに加えて、近江を週末歩いてライティングする。

    • 芭蕉という一人の男の生き方

       芭蕉がすごいのは常識的世界から脱出して隠者となったことであると考えてしまう。しかし本当にそれが立派な点なのだろうか。  当然風雅的世界に没頭しようとしても食い物が必要になる。そのため通俗的世界から完全に離れることは出来ない。僕は今も芸術的世界に憧れながら、一方で働きながら安定した収入を得たいと思っている。常識的な幸せを捨てることは身近な人を不幸にするだろう。例えば結婚を諦めることが簡単に出来ないのは親を不幸にすると感じるからであろう。付き合っている人も不幸にするだろう。そ

      • 芭蕉が旅に出た理由

         江戸に出てきた芭蕉は、二、三年で俳諧師としてのある程度の地位を得る。三十四、五歳の頃には門人も増えて新進の俳諧宗匠として活躍し、三十五、六歳の頃、江戸で出版された主な俳書には全て芭蕉の作品が載せられている。俳諧宗匠というのは今でいう芸能人のようなもので、この頃の芭蕉はにぎやかな江戸に住み、はなやかな生活をしていたのだろう。  芭蕉が立派な人物だと思うのはこの後、小市民としての幸福を捨てたところにある。士・農・工・商のどれにも当てはまらない「遊民」に嫌気がさしたのだと思われ

        • 松尾芭蕉が俳諧で生きるまで

           芭蕉は、具体的にどれくらいのペースで旅をしたのか。どうやって最低限の食事をしたか。どの程度の作品を残したか。何を達成したかったのか。37歳までの芭蕉の人生を整理すると、その頃はまだ旅をしていないようである。  芭蕉の若い頃の詳細は分かっていない点が多いが、中流階級の家庭で育った芭蕉は13歳で父を亡くしたようである。また17、8歳で北村季吟という俳諧の師について学んだと考えられている。  19歳頃、藤堂新七郎家の跡取り息子良忠に仕えるようになる。きっかけはおそらく二人が俳

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        2023年のテーマメモ

          「真の旅人だったというイメージ」_松尾芭蕉について考える_230419

           松尾芭蕉に惹かれる理由について考えると、その一つは彼が真の旅人だったという点にある。どこをどのようにして歩いていたかは詳しく知らない。しかし日本中を歩きながら俳句を作って人生を終えたというイメージがある。その生き方に魅力を感じていた。  今の人は多くの人が生きるために活動しており、生活の大半はお金を稼ぐための仕事であると考えられる。当時もそういう人はいただろう。しかし芭蕉の「生活」は、一般的な人の「生活」とは異なる。俳句を楽しむために生きた。働くことよりも、つまり生きるよ

          「真の旅人だったというイメージ」_松尾芭蕉について考える_230419

          松尾芭蕉について考える_230418

           前回書いた内容で表したかった点は、次のようなことである。つまり、近江八景のような過去のエリート層がつくった景色は、西洋文明の発達によって崩された。しかし、その見た目がいかに西洋文明による近代的な無機質なものであっても、創られる過程においてわずかでも情緒が働いていれば生み出されたものにも情緒が宿っているはずである。  琵琶湖大橋にはそれがある。芭蕉の句に宿る情緒がある。ではなぜ芭蕉が良いのか。僕が芭蕉に惹かれた理由はなんとなく三つほどある。一つ目は、本当の旅人であったこと。

          松尾芭蕉について考える_230418

          松尾芭蕉について考える_230416

           滋賀県にある琵琶湖大橋は鉄筋コンクリートでできた近代的な橋で、僕には情緒を感じられなかった。浮御堂辺りからこの橋が見えると、経済的な便利さのためだけに造られた景勝地とは不釣り合いな無機質な土木構造物であるように感じられた。  しかしその橋が芭蕉の存在と繋がりがあることを知った。すると瀬田の唐橋や嵐山の渡月橋のような情緒あるデザインではなくとも、琵琶湖大橋独自の魅力を感じられるようになった。橋の上と、浮御堂境内に置かれた芭蕉の句「比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋」の意味は、「

          松尾芭蕉について考える_230416

          松尾芭蕉について考える_230415

           僕は松尾芭蕉(1644-94年)は立派な人だと思っている。何も考えを整理することなく、漠然と、俳句を大衆の低俗な娯楽から雅な文化に昇華させた立派な人物だと理解している。これからしたいのは、芭蕉のすごさについて一つ一つ丁寧に実感しながら考えることである。  注意すべきなのは、他人の芭蕉に関する評価を知識として吸収したいのではないということ。つまり、他人の芭蕉に関する評価を記した本を読み、まとめることが目的ではない。ショーペンハウアー『読書について』の「思索」の章の内容を意識

          松尾芭蕉について考える_230415

          和歌浦の灰干サンマ

           3月末に和歌山で食べた灰干しサンマが美味しかった。なぜ美味しいのか。サンマ自体が美味しい、焼き方が上手い、海の近くで店の雰囲気が良い、よく歩いた、ご飯が美味しく炊けていた、そこでしか食べれない、などいくつか理由は思いつく。理由は複数あるにしても、重要なのはまたそこを訪れて食べたいと思った点である。  「灰干し」は、高い吸湿性をもつ灰の中に水分を通すセロファンで包んだ魚を包み込み乾燥させていく特殊な製法。空気と紫外線に触れさせず、余分な水分を抜く。また空気と紫外線に触れないた

          和歌浦の灰干サンマ

          岡潔「個人主義という間違い」

           宇宙と自分との関係を考えるとき、個人主義の人は葉が自分だと思ってしまう。それは間違いである。しかしこの木こそ本当の自分だ、と思うのも考え方が粗すぎる。例えるなら自分とは木であり、自分の肉体は葉なのである。  「幸福とか生き甲斐とかいうものは、生きている木から枝を伝わって葉に来る樹液のうちに含まれている」のである。だから木からくるものを断ち切って、葉(自我)だけで生きようとしても、そこに生命は宿らない。 参考文献: ・岡潔『数学する人生』新潮文庫、令和四年。40-41頁。

          岡潔「個人主義という間違い」

          青春18切符の旅(和歌山、奈良、石川県)

          先日青春18切符を使い終えた。今年は三カ所訪れた。一つ目は和歌山県の和歌浦、二つ目は奈良県の法隆寺あたり、三つ目は石川県の金沢駅周辺。  日帰り旅行でも楽しい。でも出発するまでが面倒ではある。和歌浦のホテルにて日帰り入浴をした。窓の近くに桜が植えられていて、満開だった。海沿いで高台にあるたて見晴らしもよく、今度は泊まりたいと思った。  奈良は何度か行ったことがある。法隆寺駅まで行ったけど法隆寺は見なかった。別の用事があったからである。次は法隆寺に行ってみたい。  金沢は見どこ

          青春18切符の旅(和歌山、奈良、石川県)