見出し画像

人権って??

12月4日から「世界人権デー」である12月10日までの1週間、「人権週間」が展開されている。今年は「『誰か』のことじゃない」がテーマ。他人事ではない様々な問題を訴え、YouTubeや列車や駅などのデジタルサイネージ動画などで啓発している。

ただ、この「人権」というワードで気掛かりなのが僕の元友人F。モヤモヤが募って絶交を宣告したものの、まだ僕のことを攻撃し極端に執着している。その際に「人権問題」「差別」「暴言」だと言って僕の非を大きくしている。さらに弁護士に相談して民事裁判に持ち込もうとも考えてるのだとか?未だに気になりはするが、彼の人間性を知ってることを踏まえるとあまり極端に不安に陥ることはないどころか心強い言葉でガードされている。

どうしても離れたくて

僕は彼とのLINEのやりとりのネガティブさに嫌気が差したことや「唯一の友」というプレッシャーでLINEをブロック。しかし、電話番号を交換していたため、誕生日などにショートメールが来ることがあって一時ほとぼりが冷めたこともあった。しかし、同じ嫌気やネガティブさでまた「友達辞めたい」と吐露した。しかし、諦め切れず、あまりにも粘着質なFを引っぺがそうと僕は

僕の人生には必要ない

と本音を吐いてしまった。これにFは激昂して僕を貶めようと呟き続けている。

人権問題とは?

彼は「人殺し」「差別されろ」などと誹謗中傷と言える激しい罵りや登録販売者の勉強ができなかったり自分が好転しない原因を僕に押し付けようとしている。これを見てると、「本当に人権問題なのはどっちなんや?」と思うし、「差別とは?」「暴力とは?」「脅迫とは?」とハテナだらけになる。堂々巡りだ。

ビビってばかりじゃいられない

彼にとって手放されることが酷なことなのは承知の上だ。こうでもしなければ自分の本音を殺したまんまになるし、いつまでもビビってばかりでも何も好転しない。そのためにはこういう選択をせざるを得なかった部分がある。

間違いではないし大丈夫

それでも、間違いではなかったとも思う。70億分の1を手放しただけだ。僕のことを慕ってくれ、よく思い、尊敬してくれる人なんていくらでもいる。そして、こないだは尊敬でき、信じられる人の条件というのも学んだ。そして、独り善がりや思い込みは人間をダメにさせるからいろんな人と話した方がいいんだとニートになって分かった。結果的に幸せだし、「絶対大丈夫」という感動した強い言葉が僕の魂に刻まれている。おそらく、「差別されろ」「嫌われろ」という言葉ぐらいで崩れる僕ではない。「絶対大丈夫なんだ」って。

人権を考えることは大事だが、思い込みが募ってそれを訴えるのは独り善がりが過ぎる。しかも、誹謗中傷も歴とした人権問題の一種。彼は自分が見えていない。彼に対しては僕以外のあらゆる人間を敵に回してきた末路を見ているような気がしてならない。第三者の意見が何もないし相談したことも多くないから賛否すら分からないことだらけ。でも、絶交したことで僕にとっては自己肯定できる一歩だったのではないかと思う。そんな僕も独り善がりかもしれないし、エゴだ。いやむしろそうであったほうが良くて、幸せのために尽くせることが人間らしいじゃないか。それもまた「人権」を育む一歩かも。

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。