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エルサレムと十字架

ヴィアドロローサを google 検索すると、トップ表示されるのは競走馬のデータです。牡3歳の鹿毛で、2021年のすずらん賞(OP)を1着で駆け抜けたそうです。

それにしても、一体誰がどのような思いで、競走馬をこのような名前にしたのでしょうか。

なぜなら、ヴィアドロローサはラテン語で Via Dolorosa と綴り、苦難の道との意味があるからです。これは、十字架による磔刑たっけいを宣告されたキリストが、むち打たれ、血を流しながら、自らの十字架を負って歩いたとされる道を表す言葉なのです。

今でも毎週金曜日になると、フランシスコ会の主催で、キリストを観想しながらこの苦難の道を辿る巡礼が行われています。

イスラエルの旅も6日目を向かえ、私たちはいよいよエルサレムにやってきました。オリーブ山やゲッセマネの園など、聖書の中に出てくるその場所に、ここでは実際に立つことができます。すると、聖書を読むだけでは見えていなかったものが見え、感じていなかったものが感じられます。「聖書を足の裏で読む」は、この旅をガイドしてくれている赤塚高仁さんのモットーです。

エルサレム(エルサレム旧市街地)は、全長約4Kmの城壁に囲まれた市街地です。進撃の巨人をイメージしていただくとおおよその感じは掴めると思います。その中に、ユダヤ教(神殿の丘、嘆きの壁)、キリスト教(聖墳墓教会、ヴィアドロローサ)、イスラム教(岩のドーム、アル=アクサー・モスク)の聖地が存在しているのです。

受難の直前、イエスが血の汗が滴るほどに祈ったというゲッセマネの園を後にして、私たちは聖墳墓教会へと続くエルサレム内のヴィアドロローサの石畳を歩きました。歩きながら私は、なんとも言えない重たさを感じたのです。この時の感覚をどう表現すればいいでしょうか。しんどいわけではないのですが、言葉を発することができないほどの重力を感じたのです。

この重たさは一体なんだろう。私は自問しました。考えてみると、エルサレムの城壁も、イエスが担いだ十字架も、いずれも重たさを象徴するものです。また、ここはイエスが死に向かって歩いていった場所ですから、気持ちが重たくなるのは当たり前といえば当たり前です。

しかし、私が感じた重たさはそのようなものではなく、人間の集合的無意識の重さなんだと気づきました。それはきっと、2000年前にこのエルサレムにおいて、イエスが対峙したものでしょう。

当時のエルサレムには、ギリシャにも類を見ないほど立派な、ユダヤ教の神殿が立っていました。位の高い聖職者もたくさんいました。この場所がユダヤ教の総本山だったからです。そこには厳格なヒエラルキーがあり、たくさんの決まり事がありました。

立派な神殿で礼拝し、立派な決まり事を守っていると、やがて誰だって自分が立派だと勘違いし始めます。

「我々こそが神に選ばれた民であり、最も神を大切にしている者であり、申し訳ないけれどそれ以外の人たちとは全く違う」そのような特別意識が大きくなっていったのでしょう。それはやがて信念になり、もはや動かし難いものになっていきます。自分たちの信念が揺らぐと自分たちが揺らぐことになるので、それを揺るがすようなものは全て排除するようになるからです。

「私たちの考える神が神であり、私たちの知る真理が真理である」信念を持つことは素晴らしいことですが、揺らぎを失ってしまった信念は狂気にもなり得ます。難しいのは、本人たちは誰よりも神を思い、誰よりも純粋に神に従って生きているつもりでも、自分の中にどのような影が存在しているかには全く無意識だということです。

イエスはその無意識性は神と人とのつながりを阻害するものだと言って殺されました。彼の発する言葉は、集合的無意識を揺るがす、エルサレム全体へのアンチテーゼだったからです。

しかし、むしろ彼の死が贖いあがないとなって、私たち人類の集合的無意識が変容するきっかけが生まれたのです。十字架上で、イエスは自ら語ってきた神の愛を体現しました。闇をそのまま受け入れそれを抱くことができるほど大きな愛(光)を示したのです。許しと救い。それが十字架の意味だと思います。

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。

第1ヨハネ 3:16

十字架がふさわしい場所はガリラヤではありません。ガリラヤには癒しを求める人たちは多くいましたが、その痛みは個人的無意識の領域のもので、集合的な重たさはそこにはないからです。またネゲブ砂漠でもありません。そもそもそこには誰もいませんから。

十字架がふさわしいのはエルサレム以外にないのです。エルサレムは人間の中に存在する集合的無意識の象徴であり、それを変容できる力(光)として、十字架の存在と意味があるのです。

エルサレムは最も十字架を必要としている場所だったのだと思います。


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