見守る天才、踏み込める天才

 奏助がショックを受けて音楽室から走り去った後、残されたクラシカロイド達はしばらく沈黙し、そこに佇んでいた。
 奏助がうすうす気づいていたであろう事を、明確な言葉にしてさらけ出したのがモツだった。
「ちゃんと勉強した~?基礎から全然できてないよ」
 ヴォルフは、全員が思いながらも言えないでいたことを、これ以上はないほど直截な表現で指摘したのだ。

 その日、いつもは放課後入り浸っている音羽館にも奏助は姿を見せなかったし、自宅にも戻らなかった。
 悪い想像が広がり、落ち着かない歌苗の様子を見て、ベトは密かにやきもきしていた。
 奏助は優秀な端末がついているから大丈夫だろう。それより小娘だ。その心配を取り除いてやりたい…。
 ヴォルフはどこ吹く風と言った様子だが、あれは無神経なのではない。全部分かっているのだ。今の少年に何が必要なのか見極めて、ぎりぎりの所まで踏み込んだのだろう。
 しかも、普段は、周囲からは明るく、あっけらかんとしたモツとして見られていることをヴォルフ自身も分かっていて、そのようなヴォルフから言われたらどれほどのダメージを負うかも分かっている。それでもヴォルフは賭けたのだ。少年の覚醒に。
 そして、それで少年が音楽をあきらめてもそれはそれで一つの道だ。

 そうは考えるのだが、奏助を心配する歌苗の様子を見ると、落ち着かないではいられない。歌苗に奏助に対する恋心があるとは考えていないが、それでも、かすかな嫉妬が混じっている事にベトは気づいていた。
 あまり他の男の事を考えるな。

 だからこそ、歌苗が奏助を探しに行こうとしたとき、どちらかというと歌苗のために面倒くさがるモツを引きずって歌苗について行こうとしていたのだが、その矢先、奏助が飛び込んできたのだ。

 呆気にとられているうちに奏助が「俺、明日のライブ、一人で出るから!」と渾身の叫びを全員にぶつけ、嵐のように去って行った後、音羽館はしばらく呆然としていた。ただしモツだけは得心の笑みを浮かべていたが。
 やっと歌苗が我に返り、奏助の後を追おうとしたとき、引き留めたのはやはりモツだった。

「歌苗」

 振り向くと、いつになくモツが真剣な顔をして歌苗を見つめていた。
「今は奏助が一人で向き合う時間をあげよう?男の子はプライドが高いからさ」
 大丈夫だよ。
 モツはいつものあっけらかんとした笑顔に戻るが、そう言われても、歌苗は何となく納得できず、他のクラシカロイドに目をやってみたが、あのシューも含めて、みんなモツの意見に賛成しているようだった。
 もう、どうしたらいいの?
 
「そうだ、ルー君」
 モツはふと思いついたように声を上げた。
 何事かとベトがモツの方を振り向くと、
「ルー君、歌苗はやっぱり奏助の事が心配みたいだから、うまく慰めてあげて?それはルー君の役目だよ」
といたずらっぽい表情を湛えて、モツは囁いた。
「なっ、何を言うのだヴォルフ!」
  ベトは思わずかあっと顔を赤くしてモツに詰め寄ろうとしたが、
「奏助も無事だったし、僕も寝よーっと!あ゛―っ!でもお腹空いたー!シュー君何か作って?」と言いながらモツはさあっとローラーシューズで滑っていってしまった。ついでにベトが手にしていたちくわもさらっていった。
「なぜ私が作らなくてはいけないのだ、モーツァルト!大家殿が・・・・・・。仕方がない、こちらに来て手伝え!但し邪魔するな!」とシューベルトもモツの後を追う。
 ショパンはネットで買い込んだ食料があるようで部屋に向かったし、リストもダイエットしなきゃと言いながら去って行った。
 
「小娘」
  気がつくと、玄関前には歌苗とベトだけが残されていた。
「ちょっとこっちへ来い」
 そう言うや否や、ベトは歌苗の手首を掴んで居間に向かっていく。
「っ!ちょっと!何なんですかもう。みんな奏助の事が心配じゃないの?」
 歌苗は面食らったが、ベトの力にかなうはずもなく、引きずられていく形でついて行った。

 二人は居間のソファに向かいあって座った。
 歌苗は幼なじみのことが気に掛かった。こんなに夜遅くまで外にいたのだろうか。ご飯は食べたのだろうか。何よりも、いつもは楽天的で呑気な奏助が、あそこまで自信を失って落ち込んでいるのを見るのは初めてのような気がしたからだ。
「小娘、落ち着け。少年は大丈夫だ」
 しばらくしてベトが口を切った。
「ヴォルフが言ったことで少年が傷ついているのではないかと心配しているのだろう?しかし俺は…俺たちは、ヴォルフが言ったことが少年にとってはいい薬になったと思う」
 
 あの場でそれを言う勇気はなかったがな。あれを言い切れるのは、ヴォルフだけだったかもしれない。

 それを聞いて、歌苗は驚いて息を呑んだ。なぜモツだけが言い切れるの?
 その表情を読み取って、ベトは思案しつつ言葉を繋いだ。

 ヴォルフがあそこまで言い切れるのは、ヴォルフ自身がしっかり勉強を積み重ねて曲を生み出したからだ。
 天才とは言え、勉強しなくてはならない知識がある。楽器だって、練習しなければ弾けるものではない。
 いいか、名曲…何百年も伝え続けられる曲を生み出すのは、決して偶然や、才能だけによるものではない。曲を聴いていい曲だと感じるのは、やはりそこに見事な調和があるからだ。ヴォルフの曲を聴け。一つ一つの音が絶妙なバランスをとって一つのハーモニーを作り出している。
 天才の一言で片付けるのは簡単だ。ヴォルフは、その一言で片付けられることで、逆に辛い思いをしてきたかもしれないのだ。ヴォルフは、天才故に、そこを理解されない苦しみを負っていた。

 歌苗はそれを聞いて目が覚める思いになった。
 そうだった。学校でも、世の中でも、いわゆる「楽聖」と呼ばれる人は「天才」として扱われ、その人たちの背景に思いをいたすことは少なく、いい曲だね、やっぱり天才だねとあっさり受け入れられている。

「しかし、曲を生み出すには、みんな何かしらの犠牲を払っている」
 ベトは言葉を続けた。
「貴族に仕えて金を稼ぐことより作曲を選び、苦しんだ者もいるし、健康を害した者もいる。故国を離れて寂しい思いをした者もいるだろう。でも、それでも自分の信念に恥じることなく、曲を生み出したい、という気持ちが勝って曲を作り続けたのだ」
 
 ベトはなにか思い起こすかのように語っていた。

 歌苗はベトの説明を聞いて、やっと納得がいった。
 クラシカロイド達は、天才と呼ばれた人たちだけど、みんなそれこそ血がにじむ思いで楽器を練習し、作曲してきたのだろう。
 彼らから見たら奏助の行動が歯がゆかったに決まっている。はっきり言って、今までよく黙っていてくれたと思うくらいだ。

「そう…それじゃ、今日奏助はとてもラッキーだったのね」
 ベトは歌苗の言葉に目を上げた。
「だって、あれだけモツが強く言ってくれると言うことは、それだけ奏助の事を思ってくれて、のことでしょう?
 そしてベト達が気遣ってくれるから、奏助も受け止められたんだね」
 さすがに全員から言われたら立ち直れないかも。

 漸く笑顔になって話す歌苗を見て、ベトはほっと一息ついた。歌苗がモツの、そしてみんなの思いを理解してくれたことが嬉しかった。

「ベト、説明してくれてありがとう。やっぱり大人なんだね」
 歌苗はいたずらっぽく言って笑った。
「やっぱりとはなんだ、俺は正真正銘の大人だ」
「だっていつもは家を燃やしそうになったり、私を困らせているのに…。でもさっきも奏助の事を、未成年だから、って心配してくれたし・・・・・・幼なじみに変わって礼を言います。ありがとうございました」
 
 そう言って、きちんと礼をする歌苗に不意を突かれた。
 もう少し甘えてくれてもいいのに。それこそ未成年なのに。
 ベトは歌苗の気持ちをほぐしてやりたくなった。というより歌苗の心に近づきたかった。

「そんな堅苦しい礼はいらない。怒鳴っていないといつもの調子が出ないぞ」
 ベトはからかうように言って、歌苗の髪をくしゃくしゃに撫でた。

「もう!何するんですか!」
「ほら、その方がいつも通りじゃないか」

 そうやや勝ち誇って言うベトの言葉で、歌苗も自分の態度に気づいたようだ。

「全く…。じゃ、一件片付いたことでお腹空かない?ちくわだけでは持たないでしょう?」
「じゃ俺が特別の…」
「ギョーザーはいりません!」

 二人は緊張がとれた様子で、台所に向かっていった。

「大家さん、笑顔になったよ」
 ショパンが2階の自室でみんなに報告する。どうやらどこかにカメラを仕掛けていたらしい。
「よかったわ、子猫ちゃん・・・・・・ポンコツもパッド君がついているから安心だし」
「ルー君、僕に感謝して欲しいよねー!おかげで歌苗に近づけたんだし!」
「何を言う!モーツァルト!貴様がもう少しデリカシーを持っていたら、ここまで大事にならなかったのだ!野蛮人!」
「でもさー、ルー君だけでなく、シュー君達がみんな奏助の事心配してくれてるから僕も言い切れたんだよ?ありがとー!シュー君!」
「だっ、抱きつくなモーツァルト!貴様に礼を言われる筋合いなどないわ!」
「・・・・・・、みんな僕が買っておいたお菓子、食べないでくれる・・・・・・?」

 そして、翌日、ある意味空前絶後の曲を聴かされるとは思ってもいない音羽館の夜は平和に過ぎていった。


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