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父親と

私は両親と仲が良い一人娘である。特に父親とは仲が良い。

父と母の両方に似ている。
外面では、顔の輪郭や目元は完全に父に似ており、立ち姿や歩き方は完全に母のそれである。私の筆跡は父親の男性らしくない丸っこい形とよく似ているし、私の選ぶ文房具は母親と被ることが多い。しかし、選ぶ服のセンスは父とも母とも微妙に重ならないような気がしている。
内面の部分では、形あるものを蒐集することに悦びを覚える部分は父親譲りで、細々したものを工作して手作りしようとするところは母親譲りである。父親と私はロックバンドやシンガーソングライターの名前と曲名をよく覚えるが母は全く覚えられない。母と私はクラシック音楽を嗜むが父はクラシックを聞くと寝てしまう。全員こよなくカラオケに行くのが好きだが、一人でカラオケに行けるのは私だけである。

さて父親はポーカーフェイスで生真面目だが、剽軽な人だ。真顔で冗談を言うし、一度妄想で物語を作り始めると止まらずに延々と創作話を続ける。たまに行き過ぎてブラックジョークで収めるにはあまりにも無理のある所まで飛躍してしまうこともあるが、父の扱いを母は心得ていて、そんな時はだいたい聞いていない。私だけが笑いこけている。
父が、私が小さな頃から私を笑わせようとしていたことは当時のホームビデオを見ても分かる。父の発言はいつも小さな私を笑わせていて、それは成長した今でも変わらない。父は多分、純粋に娘である私の笑顔が見たくて昔も今もそんな行動を取っているような気がする。
そんな父の振る舞いを見て育った私は人を笑わせることが好きだ。できるなら面白い人だと思われたい。だけど、それは私が面白い父のことが好きだから、面白い人間として私のことを好いてもらいたいから、なのではないかと思う。私にとっての「他者を笑わせること」は所詮手段なのではないかと時々考えて、無性に私が許せなくなる。私は人の笑顔が見たいわけじゃなくて、面白い人だと認められたいだけなのではないかという不安が時々私の心に湧き上がる。
父と私の内面はよく似ているようで、それは結果として行動が同じなだけで、本当は全然違うことを考えているのかもしれない。それを恐ろしいと思うのと同時に、それで当たり前だよなと思う自分がいる。親子であるとはいえ、当然別の人間なのだから思考回路が同じとは限らない。だけど私が父を好きなのは、ただ父が面白いから、ではなくて、私を笑わせようと思う愛情から面白い行動を取る父が好きなのであって、その一番好きだと思っている心根のところが私にはないのではないかという不安、私には他者を愛する心があるのかどうか分からないという恐怖が、私の中にあるということなのかもしれない。

まぁ、親にもなっていない子供の私に、親の愛情の深さなんてものは真の意味で分からない。
きっとこんなぐちゃぐちゃ考えていることには、あまり意味はないのかもしれない、そうだといいな……と思う。


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