見出し画像

吸血師Dr.千水の憂鬱⑳脱落者?!お前それ、国家試験やぞ!

前回の話

第20話   脱落者?!お前それ、国家試験やぞ!  

 夏山訓練最後の夜は、関わってくれた先輩隊員全員と、訓練に耐え抜いた新人達四人の労をねぎらう為の慰労会がセンターの職員たちも全員参加で開かれた。

 「建築は死闘、破壊は一瞬」と言うが、人材育成も同様に、いや、もしくはそれ以上に難しい面もあった。心がある人間同士である限り、些細な一言に励まされもするが傷つきもする。

 毎年、この夏山訓練は今後新人らがやっていけそうかどうか、お互いに見極めるための一つの大きな山場であった。中には本当に訓練がきつ過ぎて、自分の能力に絶望したり、ついていけない不甲斐ない自分に腹を立て、先輩達のアドバイスを素直に聞き入れられない事もある。そういう意味では今年の4人は体力も能力も態度も申し分なく、「粒ぞろい」と言えた。

しかし、それは先輩ら客観的に見た側の事であって、4人が実際に何を感じ思ったかは実際に聞いてみなければわからない。

 訓練の所感については訓練終了後に報告書として提出する事になってはいたが、ここト山県山岳警備隊では、昔から当たり障りのない文章よりも、面と向かって交わす言葉を重視してきた。そういう意味で慰労会は、生の声を聴くのに持ってこいの場所だった。 

 隊員たちの激務の労をねぎらう為に作られた社員食堂は、こじんまりと小さいながらも普段からとびきりの料理を食べさせてくれたが、今晩はまた一段と腕によりをかけて作られた料理が並んでいた。

 自然豊かなト山の海の幸、山の幸をふんだんに使った心づくしの品々が、疲れ切った隊員達の胃袋を直撃した。白エビの昆布締め、漁解禁間もないアユの塩焼き、小あじのマリネ、鷹山ポークの揚げたてロースかつとメンチカツが大皿に山盛りに積まれ、赤ズキの酢の物、もぎたて完熟トマトスライス、きゅうりの生姜醤油の浅漬け、モロヘイヤのお浸し、インゲン豆のゴマ味噌和え、ナスの揚げ浸し、まだかなり小さい、でも旨味の詰まったノドグロの一夜干し、中でも珍しく地元で獲れた鱒を薄塩と酢で締めて甘酢で味付けしたミョウガと和えた鱒のちらし寿司は、地元ならではの贅沢な〆ご飯だった。

一般的な鱒ずし

鱒ずしは全国的にも有名なト山の特産品だったが、だんだんと地元の川を遡ってくる鱒の数が減って、今では県外の鱒がメインだった。だから地元でたまに獲れる少数の鱒は、県外には出回らず、地元の人でこうしていただく。鱒ずしと言えばわっぱにぎゅっと詰められた押し鮨が一般的だったが、今晩は酢飯の上に押さずに敷き詰められたちらし寿司風だった。まだ塩にも酢にも浅漬かりの生々しい鱒は、新鮮だからこそできる隠れた逸品で、細かく刻まれた甘酢ミョウガがいい歯ごたえのアクセントになっていた。

 
 そんな中、新人達が先輩らに上手く誘導されながら、ぽつぽつと今回の訓練の事を話し出す中、中盤で千水の特殊能力が公表された時の興奮を思い出して、「アレがこの訓練で一番度肝だった!先生、記念にもう一回吸っておいて!」と腕を突き出した赤木が、「記念と言われても何も後は残らないぞ。」と千水にするりと交わされると、
「あっ!そう言えば陰の武術指導って・・。先生、今度手合わせお願いします。」須藤も慌てて食いついた。

若干げんなりとした表情を浮かべる千水を物珍し気に横目で見ながら、今年は四人ともいい戦力になってくれそうだ、先輩隊員ら誰もがそう思った時だった。

「あ、すみません。ちょっといいでしょうか。」

隊員達がわいわい盛り上がっているところに不意に竹内が挙手をした。

「どうしたマコ?」

大石分隊長が竹内を促す。

「今回、訓練中に僕だけ怪我をして皆さんにご迷惑をおかけしました。でも千水先生の治療で、長引くはずの脱臼の痛みもほとんど感じずに、怪我した事も忘れるくらいで訓練を乗り切る事ができました。先生お世話になりました。

僕はこれまであんまり勉強する意味がわからなくて、大学に行ってまで勉強したいと思う事が何にもなかったから大学には行きませんでした。でもボクは空手をやっていたから、よく怪我をしてきました。だから、怪我をしたら治るのにどのくらいかかるか、大体予想がつきます。だから、怪我の翌日の痛みの少なさと、疲労が抜け落ちたみたいな身体の軽さにすごく驚きました。

時間が経てば経つほど、動かすほどに痛みが押し流されるみたいに減ったのにはもっと驚きました。千水先生の医術は本当にすごいです!僕はこれを勉強したいです!」

その場は水を打ったように一瞬シンと静まり返った後、ぎゃははははと先輩隊員達が豪快に笑いつつ、全力でツッコミを入れてくる。

「いや、お前、ホンマにセンセがどんだけすごいお人かわかっとんがか(わかっているのか)?医者やぞ?医者んなる言うたらそんな生易しい事じゃないちゃ。」

「ダラな事言うな。お前、警察やねか(じゃないか)。こっちどうすんがよ(どうするんだよ)?やみんがか(辞めるのか)?」

「山岳警備隊の仕事も好きなので、辞めたくはないんですけど・・・。」

竹内が考えながら歯切れの悪い返事をし終わらないうちに、

「警察しながら、どうして医者の勉強できんがよ。ゆっとくけど、国家試験やぞ!おわっちゃ(俺ら)みたいな普通の公務員試験なんかよりずっと難しいがいぞ?」

「そやそや、センセの持っとる資格、後から聞いてみられ。どれも国家試験や。難関やぞ。勉強だけでも死ぬほどせんなん、そんなもん、試験なんか、なかなか簡単に受からんちゃよ。警備隊しながら医者になるなんか無理やて。」

先輩隊員から全否定されて、とてつもなく難しい事はよくわかったものの、竹内は諦めがつかないのか考え事をするように小首をかしげて黙っていた。

「でも、やマニュアルデータの中にも、遭難時の応急措置で症状に改善が見られないとか、出来る事が少ない的なメモ、たくさんありました。」

大声を張り上げるでもなく、しかし躊躇の無いしっかりとした物言いに、場は再び静まり返った。


「遭難時、山の中にいるのは警察で医者じゃありません。もし医者がいたとしても、設備もない中手術もできません。でももし東洋医学なら、外科的な事も内科的なことも、もう少しその場で出来る事があるような気がしたんです。先生の講義を聴いた時に。」

 その一言で、竹内が単なるその場の勢いや興味で言っているのではない事が、その場の誰にも伝わった。この数日間ずっと考えていたのだろう。遭難現場で具合が悪くなっている人に対する医療行為は、医者でない限り、知識も資格もないからごく初歩的な、限られた事しかできない。

「遭難者を助けたい」その一念を持って仕事に取り組む中、目の前で情況が悪化する遭難者を前に、少なからずもどかしい、歯がゆい気持ちを味わった事がない隊員は、そこには一人もいなかった。

 しかし、ほとんどの隊員は警察官という自分の立場で精一杯出来る事を行う、そう割り切ってやってきた。それはそうだ。竹内の言っている事は正論ではあるが、それを本当に現実のものとしようと思えば「警察兼医者」ということになる。

・・・有り得ない!


「山岳警備隊」—――この時点で俺たちはもう命賭けてやってんだぞ?


これに更に医者になる勉強をするだと?馬鹿げてる?ムリゲーもいいとこだ。

え?じゃあどうする?マコは警察辞めて医者の方になりたいわけか?警備隊員脱落か?


竹内の爆弾発言は、じわじわとその場にいる全員の心に波紋を広げた。

続く

サポートしていただけるとありがたいです。