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ニコニコしてた動画

ニコニコ動画。
未だに現役の動画サイト。
よくネットでは画質がどうとか叩かれていたりするんですが。
何よりも辛いのは「人が居なくなった」事だと思うんです。
そんな遊び場のお話。

あの時はみんな馬鹿だった

インプレゾンビなんて言葉がありますが。
誰かが動いてお金になりそうになったら、模倣する人が出てくる。
こんな事、今の世の中なんだってありますよね。

ニコニコ動画でそれが起きた事はとても致命傷だったと思ってます。
ニコニコ動画は本来、自己顕示欲の塊みたいな人たちが集まっていた場所だと思ってます。
自己顕示欲よりも前の時代で言えば一部の天才たちを一般大衆が覗き見しているような。

やはりゲーム実況者が現れたり歌ってみた主が、現れた位から。
もしかしたら自分でできることで、他人からちやほやされるかもしれない
そんな期待値が一気に高まったのを覚えています。
なんでそんな感覚になったと断言できるかと言うならば、まさに私がそうだったから。

20歳前後の当時、歌なども下手な方だとは思っていなかったので、
ニコニコ動画で歌ってみたを投稿したら人気者になってワーキャー言われるんじゃないか?
そんな淡い期待を抱いていた時代がありました。

でも何よりも。
「他人がやっていることを真似てそこから自分のオリジナリティを出してみんなに受け入れてもらいたい」
そんな感情が中心にあった気がします。

歌ってみただったら俺でもできるかも。
そこまでは思ってもいいんですが。
どこまでも真似事で頑張ったところで、そのチヤホヤはどこか偽物のものだから。
だから最終的には自分のことを好きになってもらいたい。
そんな気持ちがどこかにあった気がします。

さて。
今回の見出しは「あの時はみんな馬鹿だった」なんてタイトルですが。
何がバカだったかと言うならば。
「利益度外視」だったことです。

みんなが笑ってくれれば優勝だった

今でも愛すべき馬鹿がニコニコ動画にはたくさんいます。
持っている資金力や技術力人脈などを使って、何かしらのネタをぶちかます。
コメントが盛り上がり視聴者は発狂し。
弾幕が流れて終わり。
これで本来はよかったはずなんだと思います。

しかしながらいつしか動画が再生されると言う事は対価を得られる。
そんな時代がやってきました。
再生数が回っていない動画は無価値とされて、回っている動画だけが認められる。
なぜならば回っている動画はお金が動いて回っていない動画はお金が動かないから。
あなたはあなた。わたしはわたし。
それでよかったじゃないか。
そんな世界が少しずつ動き出し始めました。

実際には今でもそれでもいいんだよって言う人はたくさんいます。
でも、世間に認められなかった僕たちは、世間が再生数でしかものを言えなくなるならば、少しずつその瘴気に侵されていき。
気づけばその気持ちをキープできる人間はごくごく一部と限られる状態になっていました。

本来で言えば我々は好き勝手に楽しめればそれでよかったはずだけど、
そのプラットフォームの視聴者の考え方が変わってきた状況の中で、
何も変わらずに軸をそのままにしながら立っているのはとても難しいことだと思います。

そしてこの考え方が蔓延してきた時、
再生数を伸ばすとなるならば一番簡単なのは人口が多いプラットフォームに移行すること。
そうなってきたときに日本人が多いニコニコ動画とグローバルに見られる可能性があるYouTube。
勝負は明らかだったと思います。

でも私は未だに思っていることがあります。
「YouTubeに負けてるぞ」なんて声を耳にしますが。
本当にニコニコ動画は最初からYouTubeと戦ってたのでしょうか?
私はどこかニコニコ動画とYouTubeは根本的にコンセプトが違う気がします。
だから負けてるという表現が使われるならば。
「最初から戦ってなかったんじゃね?」と思います。
比較される事が多いのは同等サービスだから無理も無いんですけどね。
720pって…………。

お金というポイント制度

当たり前かもしれませんが仕事をしているのはお金を稼ぐためです。
お金があればいろんなことができるようになります。
おいしいものだって食べられるし欲しいものだって手に入るし。
お金がなければそれらを手にすることはできません。

しかし一方でお金があったら幸せかといわれると。
あるに越した事は無いけどあっても間違いなく幸せかと言われるとそうでもない気もします。

私がめちゃくちゃお金持ちなわけではないので私が言っている事はあくまで予想というか推測でしかありませんが。

それこそお金があるんだったら私は最強のMacBookProが欲しいです。
でもMacBookProが欲しい理由はきっともっと仕事がスムーズにできるからだって仕事道具を買い換えているという点においては、
結局仕事ばっかりしてるわけで。
ワーカーホリックと言われても、何も否定できません。
仕事がスムーズに進められるようになる事は幸せなことなのでしょうか?

結構人それぞれだと思うんですよね。
間違いなくお金があればQOLを高める事は出来ると思いますけども。
普段の生活や周りの人々に恵まれていると言う基礎的な土台があった上でQOLが爆増するんだったらめちゃくちゃ幸せなんですよ。

何が言いたいかってお金って幸せの換算値じゃないと思うんです。
でも何故か知らないけどお金が稼げてる人がとても優秀で優れていて幸せ者の扱いを受けやすくて。
お金を持っていない人は努力に失敗した夢をあきらめて使えない人という烙印を押されがちで。

コイツ、金持ってないんだろうなぁって言う天才的な配信者とかだっていましたし。
逆にですが最近お金持ちになりすぎていて、現実離れしてるように見えてしまって見るのをやめちゃったYouTuberさんとかいません?
幸せという評価自体、何を基準に考えるかによって大きく評価は異なると思うんです。

ただ。
あの時のニコニコ動画は何かみんなが楽しそうだったら幸せ。
そんなことを思ってた人たちがなんとなく多かったような気がします。
なんとなくですよ?

毎回、何かを期待している自分がいる

ちゃんと配信を見ていないのでわからないですが、昔はニコニコ超会議があるたびに今後のアップデートについてのマイルストーンが発表されていた気がします。
最近ってやってない気がするんですけどどうなんですかね?
サービスが終わるよっていう報告ばっかりな気がするんですけども。
カレーの奴とか。

ニコニコ動画にも動画を投稿しなくなった私にはいう権利は無いのかもしれませんが。
もしもまたニコニコ動画にみんなが帰ってくるようなことがあったときには、私もまたニコニコ動画に帰りたいと思ってて。
だからなんとなくですが毎年ニコニコ超会議に行くと、ニコニコ動画のことが大好きな人たちがいっぱい集まってるので、
何かニコニコ動画が帰ってきたような気がして嬉しくなるんです。
そして自宅に帰った後にブラウザからニコニコ動画に入ったときに、見慣れていない景色を見てまるで生まれ育った地元が地域開発で変わってしまったかのような。
そんな寂しさを覚えるんですよね。

またみんなで何の生産性もない馬鹿騒ぎして。
ただただゲラゲラと笑って。
意味もない時間を過ごして、また集まろうなってお互い声をかけ合って。

そんな空間が、もう一度インターネットの世界に帰ってきてくれたらなって。
ずっとずっと思っていたりします。

本当に。
らんらんるーってなんだったんでしょうね?

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