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報道の自由と政治家の現地入りの是非と

※ 2023/11/17 Facebook タイムラインより転載

1996年のこと。治山ダムと砂防ダムの工事現場で融雪による土石流災害が発生し、その設計に関わっていた筆者は同僚たちと現地に張り付いていた。

時は12月、行方不明の現場作業員の捜索のために仮設テントによる詰所が建てられ、外には一斗缶に周辺から拾ってきた薪をくべて、スタッフは交代で暖をとっていた。

やがて報道陣も集まり始めた。こんな山奥までご苦労さまだなあと最初は思っていたが、スーツに革靴、簡単なオーバーコートでは、泥と雪でぐちゃぐちゃになった現地の取材などろくにできるわけもない。というか、捜索の邪魔だった。

やがて、やることのなくなった彼らは一斗缶を囲み始め、我々はそれにあたることができなくなったので、仕方なくテントから離れたところに直火で焚き火場を作った。

翌日、当時建設大臣だった亀井静香氏が現地にヘリで到着した。作業服姿だった。

新聞には当時行われていた国会質疑での追求が厳しくてここに逃げてきたのだろうと書かれた。その真偽は知らないが、少なくともトップがテントにでんと座っていると、なんとなく現場の士気が高まったことを覚えている。

ここは「治山ダムと砂防ダムの工事現場」というのがミソで、上流の治山工事(農水省事業)と下流の砂防工事(建設省事業)が隣り合わせだった。つまり2つの省庁の連携が必要になるが、大臣がいち早く来たことでそのあたりのタテ割り感を薄める効果はあったようだ。

もっとも、御本人がそこまで意図していたかどうかは今となっては不明だけれど。

この話を別なところでしたとき、ある行政マンの方から「お偉いさんが現場に来るのは、そこでどのような判断をして指示を出せるかに尽きる。単なる激励のための訪問は余計な仕事が増えるので本当にやめてもらいたい。」という感想をいただいた。

そのとおりで、有事に偉い人が現場に来るとかえってマイナスになることがあるのは過去の事例からも明らかで、要は時と場合と人(立場や権限)によるということなのだろう。だから、行かないから/行ったからあいつはダメだというのは雑な議論だ。

話は現場に戻る。火に当たる場所を再度確保した後、一緒に詰めていた先輩が、雲仙・普賢岳の悲劇のことを語り始めた。

1990年11月に噴火したその山をめぐって、当時報道合戦が過熱していた。そして翌年6月に大火砕流が発生すると麓に報道陣が殺到し、避難勧告を無視して現地入り、撮影を継続した。

その結果、火砕流に巻き込まれた報道関係者16人と同行のタクシー運転手4人に加え、救助に向かった地元の消防団員12人、警察官2人を含む計43人が命を落とすという惨劇が起こった。

話終えた先輩が、目の前で火に当たっているスーツ姿の一団を見ながら「あれから数年経ったけど、この人たちは何も変わっていないなあ。」と呟いた。

そして27年後の昨日(※2023年11月16日)、テレビでは秋田の豪雨災害現場に取材陣がタクシーで入り、水没させてしまうという顛末が放送されていた。これを見て上の話を改めて思い出したのだ。


土砂災害に関わってきた経験から、起きてしまった状況を少しでも良い方向に持っていくためには、ハード面はもちろんのこと情報のやりとりがとても重要なことはわかりきっているので、メディアと対立したくはない。

バランス感覚と使命感を併せ持った記者さんも多くおられることは知っているし、雲仙・普賢岳の教訓を通じて「報道の自由とは何か」を啓蒙し続けている報道関係者もいる。

報道にせよ政治家にせよ、とにかくそういう "まともな" 人たちの足を引っ張ってほしくない。

そのために、いちエンジニア、視聴者(読者)、有権者として何をすべきか(してはいけないか)ということを災害が起こるたびに考えるのだけれど、なかなか答えが出ない。


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