45号線を走るBRT、『66号線』を聴きながら

アンジュルムってBUMP OF CHICKENなんですよ


これは私の仲間内でしばしばまことしやかに語られる言葉である。
「は?」と思うかもしれないが、4/21のアンジュルム仙台公演と5/4のアンジュルム気仙沼公演、そしてその翌日気仙沼からの帰りにBRTで2022年に行われたBUMP OF CHICKENのツアー、SILVER JUBILEEのライブアルバムを聴いていて特に佐々木莉佳子との関係性について、確信に近づいたのでそのことについて書いていきたい。

『なないろ』と『おかえりモネ』と佐々木莉佳子

そもそもなぜアンジュルムのライブの後だと言うのにBUMP OF CHICKENを聴いていたのかと言う話だが、気仙沼という土地に向かうに当たって気仙沼が舞台である『おかえりモネ』の主題歌、『なないろ』を聞きながら向かおう、と思ったからである。
この『おかえりモネ』というドラマは佐々木莉佳子の盟友である清原伽耶主演で、かつ佐々木莉佳子の出身地である気仙沼が舞台で、また「気仙沼に住んでいながらその日はたまたま仙台に行っており、自分自身の身には気仙沼の人々が味わった苦難が降りかかっていない申し訳なさ」という震災をテーマにしたドラマがなかなか拾ってこなかった痛みを描いている。そう、置いていかれがちな人々の痛みに向き合うというところがある。アンジュルムのように。

「昨夜の雨」と「昨夜出来た水たまり」

『なないろ』に歌われるこのフレーズ、「昨夜の雨」は「悲しい出来事」のことであり、「昨夜出来た水たまり」は「それがなければ得られなかった煌めき」のこととして捉えられる。

そして「失くせない記憶」は傷付いた人に対する莉佳子の優しさと考えることも出来る。
「失くせない記憶」も「傘」も「出来れば出番はない方がいいもの」である

『R.I.P』と「出会うタイミング」

「そこに僕がいなかったこと 今は側にいられること そんな当然を思うだけで世界中が輝くよ」というのは気仙沼公園のこのえむしーにつながる

https://x.com/d_garden_t/status/1786689689099162072?s=46&t=ekcQU1O2IgGYRmZTjhJg

https://x.com/d_garden_t/status/1786689692156760442?s=46&t=ekcQU1O2IgGYRmZTjo9hJg



「出会えなかった人生では得られなかった輝き」と考えられる。また、「変わってくのならすべて見ておきたい いなくなるなら いたこと知りたい」は「変えられる(これからの)運命」と捉えられる。

『flare』と「悲しい出来事」から佐々木莉佳子に出会うまでのヲタク

「昨夜全然眠れないまま耐えたこと」や「どんな落とし物しても全部塗り潰す朝」など『なないろ』と対をなす言葉が綴られ、ヲタクサイドの『なないろ』と考えることも出来る。

『66号線』と「演者とヲタクの愛」

「声を無くしたら僕じゃなくなるそれでも好きだと言ってくれますか」は「アイドルではなくなってもそれでも好きだと言ってくれますか」と置き換えられる。
「僕を無くしてもあなたでいられるそれでも離れずいてくれますか」「あなたを無くしても僕は生きて行くそれでも信じていてくれますか」はまさに演者とヲタクの健全な関係性と言える。
「僕が見つけるまで生きてくれて見つけてくれてありがとう」ここで『flare』で「終わったって気づかれるないような日々」を「繰り返すだけでも繰り返していったヲタクがついに佐々木莉佳子と出会えた、と考える事ができる。

このライブアルバムのエンディングを飾る『ray』についても「推しを失ったヲタクの歌」として捉えられるのだが、それはヲタク全般に該当しうることなのでまた別の機会に。

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