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日本のシャープペンシルの歴史8(新規参入メーカー1)

はじめに

前回までは震災前後にシャープペンシルを製造し続けているメーカーのことを紹介してきました。今回からは震災後に新しくシャープペンシルを製造し始めたメーカーを紹介していきます。大正末から昭和初期に製造を開始し、シャープペンシルブームを牽引するメーカーも数多く生まれました。

震災後にシャープペンシルの製造を開始したメーカー

1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起こり、東京の東側にあったメーカーは大打撃を受けました。そのため、廃業したメーカーも数多くあったことを紹介してきました。そんな中、震災の1年後、1924年(大正13年)に発行された「全国文具界大観」には、震災前にはシャープペンシルを製造していなかったメーカーが数社紹介されていました。マスコットシャープペンシル(金子製作所)、ゼネバ エボナイトシャープ鉛筆(清水文化堂)、ホシエスシャープペンシル(山崎商店)、月矢印特許シャープペンシル(藤田製作所)など、東京のメーカーですが多くは今の山手線内に工場がありました。

ホシエスシャープペンシル

ホシエスシャープペンシルの製造メーカーである「山崎商店」は、山崎亀吉が、1892年(明治25年)貴金属店として創業いたしました。現在はGINZA TANAKA(田中貴金属ジュエリー株式会社)となっています。シャープペンシルは1924年(大正13年)に製造し始めたようです。また、「山崎商店」は時計の製造販売もしており、創業者の山崎亀吉は1918年(大正7年)尚工舎時計研究所を設立、現在のシチズン時計株式会社となっています。
星の中に”S"があるホシエスマークは、明治43年(1910年)より継続して商標登録されているマークで、当時のシャープペンシルなどの製品に刻印されています。

1924年(大正13年)の「全国文具界大観」に掲載された【山崎商店】製ホシエスシャープペンシルの広告
1924年(大正13年)頃のホシエスシャープペンシル
1926年(大正15年)1月の「日本文具新聞」に掲載された【山崎商店】製ホシエス印シャープペンシルの広告
1926年(大正15年)頃のホシエスシャープペンシル
大正末期(年代不明)のホシエスシャープペンシルの広告
大正末期頃のホシエスシャープペンシル

大正末期頃までは他のメーカーと同様、アメリカのエバーシャープペンシルに似た形のペンシルを製造していました。

1928年(昭和3年)8月19日の朝日新聞の勇敢に掲載されたホシエスシャープペンシルの広告
1928年(昭和3年)頃のホシエスシャープペンシル

昭和に入ると各社、全く違った形のシャープペンシルを製造し始めます。この形は、当時の海外のシャープペンシルには見られず、日本独自の形になっています。

おわりに

今回は関東大震災後にシャープペンシルを製造し始めたメーカーを紹介しました。この山崎商店が販売してきたシャープペンシルを見てわかる通り、シャープペンシルの形は大正時代と昭和初期では大きく異なっていきます。これは大正末期に日本で開発されたある画期的な仕組みが影響しています。次回はこの日本独自の画期的な仕組みについて紹介していきたいと思います。


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