実力主義という幻想
会社員の一元的な評価は容易ではない
実力主義・成果主義が叫ばれて久しい。もちろん、個人の成果が給与に反映されるなら望ましいことだし、大手を中心に実際これらの人事考課を導入している企業も少なくない。ただ、そうした評価軸や評価方法は、果たしてほんとうに各人のスキルや適性を適切にキャッチできているだろうか?
たとえば、事務仕事については現代においてほぼIT化が徹底されているため、だれがやっても差がつかない。比較的、成果主義の恩恵を受けやすい営業職だって、売上は担当地域や担当商材によって有利不利の影響をモロに受けるし、退職者から大口の顧客を引き継げば棚ボタで数字が上がったりもする。専門技能職に至ってはなおさらで、そもそも正当に評価できるだけの知識を周りが持ち合わせていないケースが少なくない。
とどのつまり、成果主義とか実力主義のお題目を並べたところで、けっきょく評価なんてものは、上長の胸先三寸に収束していく。人間の能力は多元的であり、一元的な評価軸で評価しきるのは困難だろう。
評価軸をもうひとつ別に持つ
だれしも社内での評価に対し、絶対的なものとして怯えすぎなのだ。それはおそらく兼業を忌避しがちな日本の企業体質のせいでもある。ひとつの組織に閉じ込められると、会社からの評価が人間性そのものの評価に直結してしまう。そうした組織に阿らねばならない環境では、おのずとスキルの幅にも限界が生じてしまうだろう。
じつのところ、長期的に見た場合、会社からの評価というものはさほど重要ではない。それよりも、大事なのは自分自身の評価である。なぜなら、あなたの仕事に最もコミットし、あなたのスキルレベルについて最も理解しているのは、ほかならぬあなた自身だからだ。
昨日よりもここが改善できた。昨日は理解できなかったプログラム言語を今日は使いこなせるようになった。そういうたしかな積み重ねのほうが、他人の評価などより、どれほどあなたの未来を支える財産になるだろうか。
社内スキル<ポータブルスキル
そしてもうひとつ大事なことは、社内スキルではなくポータブルスキルを重視すべきである、ということ。
いま、ポータブルスキルという言葉は多くの流行り言葉がそうであるように、すでに本質から離れて陳腐化しているが、ぼくが言っているのは、本物の、具体的でたしかにそこにある、ほんとうの意味で職場の垣根を越えて持ち運びができるスキルのことだ。定量化できず目にも視えない論理的思考力だのビジネス基礎力だのマインドセットだのといったようなふんわりした話ではない。
本noteでもくり返しいっているが、たとえば社内で使われる伝票コードなんて、いくら暗記しても意味がない。あるいは始業30分前に着座するのが望ましいとされる暗黙の風習があったとして、だれよりも早く出社するだとか。そうした知識や隷従のアピールは、たしかにその狭い世界のなかではある程度有用であるとしても、会社から一歩外に出たら、なんの価値もない。
ポータブルスキルというのは、それらとはまったくぎゃくのベクトルのもの。あなたが他社に移った際、あるいはフリーランスになったときでもその日から活用できるスキル、死ぬまでそばにあり、けっしてあなたを見放さないスキルのことである。
たとえばHTML/CSSやJava Script、PHPの知識、Adobeのクリエイティヴソフトの習熟、モーショングラフィックスの技術、その他プログラムであったり語学であったり法知識、あるいはライティング技能、資料作成のノウハウ――いうなれば、あらゆるビジネスシーンで共通言語となる性質のもの。
これらのスキルは、じつのところ社内では評価されづらい。なぜなら、スキルの専門性が高くなればなるほど、当然ながらそれを評価できる資質を持つ人間が少なくなるからだ。人というものは多くの場合、じぶんにできないこと、じぶんのわからないことを評価しようとはしない。技術職やクリエイターがやっている高度に先鋭化された仕事は、大多数にとっては正体不明の魔法や手品にしかみえないのだ。それよりもっと、だれにでもわかりやすい仕事、それこそ社内の伝票コードを覚えてみせたり、だれより早く出社して、だれより残業してみせる愚直さアピールのほうが、原始的ではあるものの、単純なだけに効果が出やすい。愛社精神の顕れと見做されて、評価が上がるにちがいないのだ。
ただ、そうした手法で評価を得たとして、あなたの世界は拡がったりしない。ぎゃくにその会社にあなたを深く閉じ込めてしまうだけだ。収入のすべて、言い換えれば生活のすべてを会社に依存する人生になってしまう(会社側では望むところなのだが)。それはとても不自由で、とても不幸なことではないか。
社内基準でなく、世界基準で仕事をする
仕事をするときは、会社が求めているスキルではなく、会社が求めている水準でもなく、世界のどこに行っても通用する仕事を心掛けるべきである。
それはけっして、大袈裟な話ではない。おそらくクリエイターや技術者なら、ことさら意識せずに日頃から実践している筈だ。なぜなら、こんにちのネット社会では、優れたクリエイターの作品やノウハウを常に目にできる環境にある。また、プログラム言語はもうひとつの語学ともいうべき、世界の共通語だ。当然、多くのクリエイターや技術者は、意識するしないにかかわらず、お手本や目標をグローバルスタンダードのなかに見出し、スキルの研鑽に励んでいる筈なのである。
この点は、部内の競争に終止する営業職とは明確な違いである。
自分のスキルは、どこに行っても通用する。そうした自信は、あなたをいまよりもっと自由にする。嫌になったらいつでも辞めればいい、そうした自由は、お金ではなくたしかなスキルによってのみ得られる性格のものだ。
ポータブルスキルさえあれば、あなたはどこに行ったっていいし、働き方も自由に選べる。そして人間の幸福は、自分の人生を自分の力でコントロールできている手応えのなかにしかないのである。
ほんとうの実力主義の世界
ここまでいえば、およそわかっていただけただろう。会社が掲げる実力主義なんてものは八百長のようなものでしかなく、ほんとうに実力主義の世界というものは、この世でたったひとつしかない。
フリーランスの世界である。
個人で仕事をとってきて、個人で仕事をこなすフリーランスの世界は、実力主義どころか、実力以外になにもない。
やったぶんだけ稼ぎに反映して、スキルに応じて報酬も顧客数も増していく。会社の看板に頼れるわけでもないから、真に公平な世界だといえる。
大事なことは、会社員として働くときでも、組織の歯車のひとつとして働くのではなく、ひとりのフリーランスとして業務に臨むことだ。
会社員としての実力は、逆説的だが、会社から離れてひとりきりになったときに問われるのである。
明日、会社がなくなったとして、あなたはほかの場所でもやっていけるだろうか? 仮にひとりきりになっても、やっていけるだろうか?
それをイメージしながら仕事をすれば、あなたがこの先路頭に迷うことなんて、金輪際ありはしないだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?