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noteをやっていて、嬉しいこと

先日、noteを始めて1年が経ち、私もだいぶnoteというプラットフォームに慣れて来た今日この頃だ。

noteの楽しさとはなんだろう?

自己表現、承認欲求の追求、あたたかい交流。

私にとってnoteは、現実世界には存在しない、本当の私として息をするために求めた表現の場だった。

毎日、何をしようか考えるのが楽しい。音声配信やyoutubeにも挑戦して、楽しかった。フォロワーさんが数人の時、初めて頂いたコメントが、どれだけ嬉しかったかまだ覚えている。

続けていくうちに、応援のお言葉や、嬉しかった、楽しかったというお声を頂くことも増えた。

コメントも、スキも、応援も、サポートも、マガジンの登録も、メンバーシップの加入も、反応を頂けることは全て嬉しい。

でも、誰かに「笑って欲しい」とか、「楽しんで欲しい」、「助けになって欲しい」、と思って書いた記事が、その通り受け止めてもらえたことを知ると、自己満足を超えて報われる思いがする。

表現は全て、多かれ少なかれ自己満足の要素を含むもの。
でも、もはや自分のためには書いていない記事もある。

例えば、毎週金曜日に書いている「こころの健康」シリーズは、心の病気や生きることについてなど、精神衛生に役立ちそうな雑記などをまとめている。

最初は自分自身に書きたいというモチベーションがあったわけではなく、反響があり、需要があるから書いていた。

でも続けていくうちに、私はこのテーマで書く記事が、「苦しんでいる方の支えになればいいな」と心から願うようになった。自分の言葉に励まされる誰かがいることによって、自分自身がどれだけ励まされるだろう。

きれいごとは言いたくない。

私はあまり利他的な人間ではない。

でも、自分が書きたいと望み、人からも望まれる記事を書くことは、どちらかが欠けている状態と比べて、強く満たされる。それはインターネット越しに差し伸べる手であって、握り返される何かだったのだ。

noteをやっていて嬉しいのは、そんな瞬間だ。

顔も見えない誰かに届いて欲しいと願い、それが叶ったと知ること。

誰かが、楽しく今日を生きるための助けになればいい。そういう祈りを込めて、今日も記事を書いている。


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