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完璧主義は存在しない? いや、する。

以前、某ひろ〇きさんが、

「僕、完璧主義な人っていないと思うんですよね。だって、鏡見たら絶対にその時点で完璧じゃないから、成立しないじゃないですか」

とおっしゃっていた。

いやいやいや。

自他共に認める完璧主義な私は、声を大にして反論したい。

ひろ〇きさんは勘違いしている。
完璧主義とは、物事を常に完璧に保ち続ける人のことではない。
常に完璧でない現実に心を打ち砕かれながら、過剰な時間をかけて99を0.1ずつ100に近づけていこうと足掻く人たちの悲哀を指した言葉なのだ。

※私の場合です。異論は認めます。

というか、自分の顔に限らず、現実の物事が完璧になることなどない。ましてや、完璧とは多くの場合自分が判定する相対評価に過ぎない。絶対的な『完璧』は、形而上の世界、イデアの中にしかないのだ。

だから、『自分の顔が完璧ではない』という事実に対しては、二つのアプローチがあるだろう。

一つは、完璧でないものは見る価値がないので、そもそも見ないもしくは見ないフリをするというアプローチだ。

もう一つは、可能な限り完璧になるように鏡の中でウン時間粘る頑張る道である。せいぜい、50が60になる程度かも知れないが、少なくとも最善を尽くしたと納得するためにヘアメイクを頑張るのである。

ミリ単位で眉を調整し、姑息な涙袋を書き、ハイライトとシャドウでちょっとでも掘りを深くする。

髪に繊細なカールを掛けて、完璧(と思われる)角度で固める。

香りにも妥協せず、不快でない程度に香水をまぶし、コーディネートを練りに練って自分の体を美しく見せるアクセサリーを厳選する。

そして鏡の中に写った自分がもうやること無いぐらいまでキレイに見えたら、それで何とか納得するのである。

特にデート前やパーティの時、この儀式は熱狂して行われ、二、三時間鏡の前に居ることも稀ではなかった。

なお、この儀式が満足に行えなかった場合、私は自己評価が著しく下がり、他人の目を見て喋れなくなる。ヘアメイクは鎧である。

そんなわけで、冒頭の

「僕、完璧主義な人っていないと思うんですよね。だって、鏡見たら絶対にその時点で完璧じゃないから、成立しないじゃないですか」

というセリフに対しては、「その場合は鏡を見ないか、完璧にならないと分かっていても無駄な足掻きをするのだ」という風に答えたい。

私たち完璧主義者は、時間やリソースの制約から、「自分が思う完璧」にすら届かない状態で成果物を世に出し妥協せざるを得ないことがある。

満足いくまでやりこめれば幸せを感じるが、逆の時、穴の空いた鎧を着せられているような、チクチクする不安に苛まれる。

そして、完璧と思っていた仕事に対して稀に他人からミスや不備を指摘されでもしたら、鉄の鎧は脆くも崩れ去り、心臓がドキドキし、生唾を飲む。

「あ、そうですか、すみません。ありがとうございます」

などとサラッと言いながら、内心は涙目になっていると想像して欲しい。

完璧主義な人たちは、周囲からすると多少扱いづらいかもしれない。成果物のクオリティは高くても、しばしば無駄な細部に拘って作業が遅くなったりする。他人の成果物も完璧ではないのが気に入らず、修正を求めがちである。

その代わり、細かいことや、人が見落としがちな盲点にも気づきやすいと言えるかもしれない。チームに一人ぐらい居れば役に立つだろうが、完璧主義者はその代わり、メンタル的に脆い部分がある。特に完璧ではないものに囲まれると、精神がささくれだってくる。

……もしかしたらイライラしているかもしれない。

あなたの周りにも完璧主義な人がいたら、ぜひ優しくしてあげて欲しい。いや、優しくしなくて良いので、単純作業ではなく、なるべく細部に気遣いが必要な複雑作業を回してあげて欲しい。それを誰か他の人がやって、不備に気づこうものなら、完璧主義者は胃を痛める。

あなたは完璧主義だろうか? 完璧主義は一つの呪いのようなもので、本人は辛いことの方が多いということに同意いただけるのではないかと思う。

完璧主義に幸あれ。


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