今年のわたしの事情

年の瀬っすね

 早いっすね。
4月2日にすっかり毎年恒例となった 「3月33日 M33」 ツイートをしたのが先月のことの様に感じるのに…(

 年の瀬なので振り返ろう。振り返ることは大事だ。
振り返りといえば、いきなり脱線を宣言するが、私は数年前に精神疾患を言い渡されて休職などしていた時期がある。仕事に打ち込み、到達点のないプロジェクトの奴隷と化し、1人の欠員がプロジェクトの赤字に1日単位で直結するような環境に身を投じた結果だった。今思うともっと喧嘩してもよかった(会社と)。

 病気になり、それ以前とは生活が一変した。自宅では訳もなく突然涙が出てきてその結果侘しくなりまた泣き崩れる。ある時には病気になったきっかけを誰かの責任に転嫁しようとし、当時の上司に対する不満を風呂場でシャワーを浴びながら大声で怒鳴ったりしていた。もちろん独りでだ。

 精神疾患と診断される前日自分で「あ、壊れる。」と病状がリミットライン直下まで悪化していることを感じ取り、好きに休みも取れないシフトに対して強く要望し、なんとか数時間仕事を中抜けして精神科へ行った。自分でも、まだ自分のことを客観的に見据えて精神の状態を分析する余裕はあったのか…と感じたがそういったことではなく、元々昔から自分を俯瞰する術を身につけていたのでその視点で得た単純な状況分析だった。だが、そもそもそこまで追い詰められる事態を回避できる様な器用さは持ち合わせていなかったという訳だ。

 「あと一歩悪化していたら笑顔なんて一切出ることが無くなる鬱状態になってたよ。」と医者に言われた。

 病気になった時から自分で感じていたことがある。それは「この病気はいつか朝起きて急に "あ、治った" と言って治るものじゃあない。」という事、そして「今までにはなかった "心臓の爆弾" を抱えながら生活していくことになる。」という事。

 前者は 風邪 みたいなものじゃあないということ、つまり数週間/数か月で治ってリフレッシュできるようなものではなく、数年単位でずっと心に負っていくものだという事。後者は文字通り、いつまた精神が破裂して自分でも何をしでかすかわからないという恐怖を常に胸に抱っこしながら生活していく、ということだ。パニック障害にも通ずるのだろうか。実際病院から職場へ戻った直後、上司にキレ散らかしていた。その上司は無神経な言葉を発し、壊れたわたしを目の当たりにするなり おどおど し、無言でその日の現場を去っていった。こういった、上司の器と人を導く立場の覚悟を持たない人には成らないように心がけていたいものだ。

 病気になる前までは仕事のことや趣味のこと、食べたいもののことや彼女欲しいってことなどばかりを考えていたが、診断後はそれまで大切にしていた仕事に対するスタンスや信念、今まで培ってきた人としての倫理観や思想など、抑 私をかたち作っていた多くのものが頭の中からいつの間にか消えてしまっており、消えてしまったことに対しても更なる恐怖心・不安感を感じ震えて寝れないこともあった。そんな負の連鎖に毎日襲われていた。

 そんなどん底な時間を過ごしているうちにも思い続けていられたことがあるのだが、それは「いつかはこの状態から脱する。その時の自分を思い描くようになれることが回復の方法だ。」という考えだった。前述した事と少し矛盾するかもしれないが、それはいわゆる、ある種の 「信念」 だったと今改めて思う。

 信念は大切だ。
自分がどんな人間であるべきか
何をしていくべきか
愛する人や大切な友人とどう接していくか
大切な人が負に陥っているときに手を差し伸べる覚悟はあるか
何を成し遂げるか
自分の魂をどのように愛していくか
愛する人とどのように共に生きていくのか

 こういった信念を何かしら一つでも、一日十秒でも感じながら日々を過ごす人は、そうでない人と時間の経過に対する感受性や人格形成レベルに差が出る。

 また、普段一緒にいる他人からも良いことと悪いことの影響を受ける。
精神が向上していくか荒んでいくか、といった具合だ。

 そうそう、振り返ることも大切だ。そこから話の脱線が始まったことを忘れてはいけない。

 振り返ることは大切だ。
昨日までの、過去の自分。
過去の過ち
辛かった修行の時間
充足を得られた人とのコミュニケーション
人に受けた愛 人へ感じた愛
成し遂げてきた事の意味
自分の成したいことと結果の相違
あらゆる事象への覚悟

 こういった振り返りを履行していない人はいつまで経っても成長が見られない。いつまでも同じ失敗をし、7つの罪のいずれかが絶えず、他人からの愛とともに自己信頼をも失っていき、勝手に負の精神状態に堕ちる。
いつも見守ってくれている人の愛に気付かずに、暴虐に自分本位となり人の温もりが自然とその人から離れていく。

 私は今でも時々病気の症状が出る。
その時は食するものや見るもの聞くものを変え、いつもは話さない人と話をしたりして爆弾が爆発してしまわないように管理を心がけているが、自分がどれだけ努力していても、周りから自分に対して発せられる一方的な刺激、特に他人の態度は変えられないこともある。

 悔しく虚しく感じる時もあるがそのような時でも暴れずじっとしているよう心掛けている。大抵、そのような時に発散したい想いは感情論となり、時に自らが大切にしている道理や倫理観にすら反する主張/行動へ勝手に姿を変えて暴れていってしまう恐れもあるからだ。岩のように耐え抜いていればどこかでそんな自分を見て、愛してくれている人が必ずいる。
このようなことを文章にするのはmixi時代から数えても初めてだが、改めて書いてみて思うことは、私はどうやら幼い頃から心の根本にこの想いと考え方が根付いていたらしいということだ。

 周りの人、愛する人にわたし以上の器や魂の美しさがあるのならば、たとえ無言の下でも自分から発した愛情や優しさは伝わり、いつか自分へ返ってくる。人の世はどうやらそのように「できて」いる。
もしその摂理の通りにいかないのならばその相手との関係は施した愛情と、その時の相手の器の大きさが釣り合っていなかっただけだ。その相手が「摂理」の外にいるわけではない。もしくは相手がとんでもない悪人だったか、愛を受けずに育ってきた人間かのいずれかであろう。それは抑々是非ではないのだ。

 なかなか書いていることに偏りがある”ふう”にしか文章を表現できないことが歯痒いが、万人にウケる文章の書き方を勉強しているわけでもないので仕方がない。と、すまないがそう帰結させていただきたい。

 このあたりでこの文章は区切ろう。誰かへの手紙のようになってしまったが、来年は色々と自分を変え、自分で決断をする年になる。今のうちに整理を始めようと思ったのだ。

 今夜私はきっとこんなことが書きたかったのだ。結局本題の、今年のカメラの振り返りはできなかったのでまた別の機会に書くことにする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?