最近ネットを「約4億5000前に生息していた古代魚サカバンパスピスの適当過ぎる復元模型」が騒がせました。
騒がれた理由は色々あったのですが、そのうち一つが「魚なのに見るからに泳ぎが苦手そうなこと」。しかし実は当時の古代魚の大半はこぞって「泳ぐのが苦手」だった様です。というのも当時の海で「百獣の王=食物連鎖の頂点」の座にあったのは、十数年の歳月を生きて全長5mに達する個体すら存在したオウムガイに代表される甲殻類(現在のエビやカニの先祖)で、迂闊に気持ち良くスイスイ泳いでいるとこれらに捕食されてしまう為、水底にへばりついて泥に紛れて生きるしかなかったからでした。
「迂闊に泳げば食べられる」…まさしく子門真人「およげたいやきくん(1975年)」の主人公も生きた過酷な生存競争の世界?
こうした「魚は最初から自由に泳いでいた訳ではなかった」話が世に広まるのを防いでいるのは、もしかしたら「(「神は6日間で世界を創造した」といった聖書の記述に拘泥する)特殊創造論者」なのかもしれません?
特集「天地創造についての真実」
改めて「光あれ」とのみ創造神はのたまひけれ?
以下はこちらの投稿でした話のある種の拡張版となります。
そもそも上掲の様な「特殊創造論者」の多くは自明の場合として「植物を草食動物が食べ、その草食動物を捕食動物や人類が食べる食物連鎖」すら神が計画的に準備したと信じているものですが、実際に古生物学が構築してきた編年史はその直感に逆らう内容だったりします。
こうして「海洋における甲殻類の大量絶滅」が魚類に「海を自由に泳ぐ自由」を準備したという次第。カール・セーガンの科学番組「COSMOS(宇宙)(1980年)」で科学ロマンに目覚めた世代なので、かかる壮大な叙事詩的記述を目にすると脳内にヴァンゲリス「Alpha(アルファ)」が流れます。
草食動物が現れたのもまさにこの時代の特徴の一つですね。
この様に草食動物の登場すら進化の過程の産物だった訳です。ならばその過程はどこまで創造神による計画の内だったといえそうでしょうか?
こうして表題の「神学と科学の絶地天通」が、「(このシリーズでいう)大数学者や大物理学者の時代」の終わりが見え始めた19世紀初頭になってやっと始まったという次第。そんな感じで以下続報…