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【試論「人工知能概念はいつから存在したといえそうか?」6パス目】「神学と科学の絶地天通」について

最近ネットを「約4億5000前に生息していた古代魚サカバンパスピスの適当過ぎる復元模型」が騒がせました。

騒がれた理由は色々あったのですが、そのうち一つが「魚なのに見るからに泳ぎが苦手そうなこと」。しかし実は当時の古代魚の大半はこぞって「泳ぐのが苦手」だった様です。というのも当時の海で「百獣の王=食物連鎖の頂点」の座にあったのは、十数年の歳月を生きて全長5mに達する個体すら存在したオウムガイに代表される甲殻類(現在のエビやカニの先祖)で、迂闊に気持ち良くスイスイ泳いでいるとこれらに捕食されてしまう為、水底にへばりついて泥に紛れて生きるしかなかったからでした。

魚類は発祥当初泳ぐのがあまり得意でなく、カンブリア大爆発から8000万年後の4億6000年頃の覇者は10~20年を掛けて体長5mを越す大きさに育つ(イカやタコの先祖)オウムガイ(鸚鵡螺、Nautilus)であったという。生存の為に(陸と海の挟間などで塩分濃度が一定していない)汽水域へと逃れ、「既存生物の82%が死亡した」といわれるデボン期(4億800万年前~3億6000万年前)後期の大量絶滅によって海棲甲殻生物の覇権が終わると、海に戻る魚類とさらに陸の奥に進む両生類が分岐。

上掲「試論「人工知能概念はいつから存在したといえそうか?」5パス目」

「迂闊に泳げば食べられる」…まさしく子門真人「およげたいやきくん(1975年)」の主人公も生きた過酷な生存競争の世界?

こうした「魚は最初から自由に泳いでいた訳ではなかった」話が世に広まるのを防いでいるのは、もしかしたら「(「神は6日間で世界を創造した」といった聖書の記述に拘泥する)特殊創造論者」なのかもしれません?
特集「天地創造についての真実」

改めて「光あれ」とのみ創造神はのたまひけれ?

以下はこちらの投稿でした話のある種の拡張版となります。

そもそも上掲の様な「特殊創造論者」の多くは自明の場合として「植物を草食動物が食べ、その草食動物を捕食動物や人類が食べる食物連鎖」すら神が計画的に準備したと信じているものですが、実際に古生物学が構築してきた編年史はその直感に逆らう内容だったりします。

シルル紀(Silurian period,シルリア/志留利亜紀)とは、地球の地質時代の一つで、古生代に属し、約4億4370万年前から約4億1600万年前をさす。オルドビス紀より後の時代であり、デボン紀の前にあたる。この時期、生物の本格的な陸上への進出が始まり、陸棲節足動物や最古の陸上植物が出現する。

1835年にイギリスのロデリック・マーチソンがウェールズの古民族名「シルリア族」より命名した(1950年頃までは、スウェーデンのゴトランド島にちなんで「ゴトランド紀」とも呼ばれていた)。

シルル紀初期、南半球にはゴンドワナ大陸というかなり大きな大陸があり、赤道付近には、シベリア大陸、ローレンシア大陸、バルティカ大陸という3つの中程度の大きさの大陸、そしてアバロニア大陸、カザフ大陸(カザフスタニア)などといった幾つかの小大陸があった。ローレンシア大陸、バルティカ大陸、アバロニア大陸の間にはイアペトゥス海という浅い海が広がり、多くの生物が繁栄していた。しかし、3つの大陸は徐々に接近し、約4億2,000万年前に衝突した。このためイアペトゥス海は消滅し、ユーラメリカ大陸(ローラシア大陸とも)という大陸が形成された。

上掲Wikipedia「シルル紀」

デボン紀(Devonian period,泥盆紀/デヴォン紀)は、地質時代の区分のひとつである。古生代の中ごろ、シルル紀の後、石炭紀の前で、約4億1600万年前から約3億5920万年前までの時期を指す。

イギリス南部のデヴォン州に分布するシルル紀の地層と石炭紀の地層にはさまれる地層をもとに設定された地質時代である。魚類の種類や進化の豊かさと、出現する化石の量の多さから、「魚の時代」とも呼ばれている。

陸上の環境:
デボン紀の開始時期にあたる約4億2000万年前、複数の陸塊同士(ローレンシア大陸やバルティカ大陸など)が衝突し、ユーラメリカ大陸が赤道直下に形成した。現在の北アメリカ東海岸、グリーンランド、スコットランドがユーラメリカ大陸の一部であった。ユーラメリカ大陸には、陸塊の衝突時にできた巨大な山脈があった。その山脈が大気の流れを大きく遮り、恒常的な降雨を周辺地域にもたらしていた。そのため長大な河川が出現し、この河川に沿って動植物が大陸内部まで活動範囲を拡げていくことが可能となった。

植物の陸棲化は前代のシルル紀から既に開始していたが、デボン紀には河川に沿って大規模に植生域が拡大していったアーケオプテリス(またはアルカエオプテリス、Archaeopteris)などのシダ状の葉を持つ樹木状植物が誕生したことにより、最古の森林が形成されていった。この森林の拡大にしたがい湿地帯も同時に形成されていった。

河川と森林そして湿地帯の存在が生物種の進化を支え、さらに大陸内部の気候は、乾季や、時には大規模な乾燥期もあったため、後述する昆虫類や両生類など、より乾燥に強い生物種の誕生を促した。

昆虫の出現:
前代のシルル紀から既にダニ(鋏角類)や、ムカデなどが属する多足類が陸上に出現しており、節足動物の陸棲化は脊椎動物よりも進んでいた。

さらに約4億年前のデボン紀前期には、昆虫類が誕生した。この昆虫類を含む六脚類の起源は、先行して上陸していた多足類である、と以前は考えられていたが、遺伝子解析から昆虫類は、カニやエビが属する甲殻類や、ミジンコやフジツボが属する鰓脚類が、六脚類により近いと判明している。この結果から、今では昆虫類は現生の淡水のミジンコとの共通の祖先種から、後期シルル紀の淡水域において生息していたと考えられる様になった。その祖先種から、前述の河川と陸上の境界域で進化を重ね、陸棲化したのが昆虫という訳である。実際、出現当初の昆虫類の化石は、淡水域と陸上であった場所でしか発見されておらず、また現生の昆虫のほとんどが陸棲である。

デボン紀の昆虫は、現在発見されている化石からは翅の獲得はみられず、原始的な形態であった。現在の昆虫類は、動物種の大半を占めるほど多種であるが、その多様な進化は石炭紀以降で顕著になったと思われる。

海洋環境:
海洋では河川から流れてくる栄養もあり、コケムシやサンゴが大規模なコロニー(個体群)を形成していった。このコロニーに、腕足類、ウミユリ、三葉虫、甲殻類、直角殻のオウムガイなどが生息し、豊かな海を形成していた。アンモナイトもこの時代に誕生した。この豊かな海の時代に、板皮類などの古いタイプの魚類が繁栄を極めていた。サメなどの軟骨魚類もこの時代の海に出現した。

硬骨魚類の進化と両生類の出現:
現世の魚類の大部分が属する硬骨魚類もデボン紀に大発展した。彼等はこの前のシルル紀までに大陸河川域で棘魚類から分岐、進化したと考えられている。乾季などで気候が乾燥する時期には、水中の酸素濃度(溶存酸素)が低い環境にあるため、ハイギョやシーラカンスなどの肺を持った肉鰭類が登場した。さらにデボン紀後期には、ハイギョ類のエウステノプテロンか近傍の種から、アカントステガやイクチオステガといった両生類が出現した。

大量絶滅:
デボン紀後期から石炭紀初期は、5大大量絶滅の一時期であり、特に前述のサンゴ礁を作る赤道域の浅海域で選択的に絶滅が起こっている。この大絶滅により、海洋生物種の82%が絶滅した。その中には、デボン紀に繁栄を極めたダンクルオステウスなどの板皮類や、原始的な脊椎動物である無顎類の大部分や、プロエタス目を除いた三葉虫の大部分が含まれる。

炭素、酸素、ストロンチウムなどの同位体測定や、元素分析による古環境解析から、気候の急激な寒暖の変化、海水面の後退、乾燥化、低酸素化、などの大きな環境変化がデボン紀後期に繰り返し発生し、おそらくこれらの環境変化が大量絶滅の要因と考えられている。

上掲Wikipedia「デボン紀」

こうして「海洋における甲殻類の大量絶滅」が魚類に「海を自由に泳ぐ自由」を準備したという次第。カール・セーガンの科学番組「COSMOS(宇宙)(1980年)」で科学ロマンに目覚めた世代なので、かかる壮大な叙事詩的記述を目にすると脳内にヴァンゲリス「Alpha(アルファ)」が流れます。

草食動物が現れたのもまさにこの時代の特徴の一つですね。

化石記録としては、植物の損傷化石、糞石などの痕跡化石記録と、動物自体の口器や消化器に残った内容物などの化石から草食動物の情報が収集される。昆虫は、デボン紀初期の植物の胞子を食べており、pierce and suck(穴を開けて吸う)技術を持っていた。それから 約7500万年の間に根、葉、木部、種子なども消費するようになる2度目の発展があった。

陸生草食動物の祖先とされる動物として、エオカセア(エオカセア・マルティニ)という3億年前の化石が発見されている。発見研究論文の主執筆者であるロバート・ライスは、「エオカセアは肉食動物だったが、草食動物に近い存在だったことを示す骨格的特徴を持っていた」、「草食動物が出現するまでは、陸生哺乳類は共食いしたり昆虫を食べたりしていた」と主張している。

また、ロバート・ライスは「肉食性から草食性への進化は、異なる動物の系統で5回独立して起きた」「肉食から草食への進化がもっと前に起きなかったのはなぜか、またその進化が複数の異なる動物系列で独立して起きたのはなぜかについては、いまだに科学者らは頭を悩ませている」としている。

上掲Wikipedia「草食動物」

この様に草食動物の登場すら進化の過程の産物だった訳です。ならばその過程はどこまで創造神による計画の内だったといえそうでしょうか?

教皇との和解を考えていたナポレオン皇帝は、1802年にマルメゾンにある皇后ジョゼフィーヌのバラ園で開かれた園遊会で、ラプラスに神や天文学や天体を巡る有名な議論をふっかけた。
「それで、これらすべてを作ったのは誰なのだ」
とナポレオンは尋ねた。
 ラプラスは落ち着いて、天体系を構築し維持しているのは一連の自然な原因である、と答えた。
 するとナポレオンは不満げに、「ニュートンは著書のなかで神に言及している。貴殿の著作を熟読してみたが、一度も神の名が出てこないのはなぜだ」と尋ねた。
 これに対してラプラスは、重々しく答えた。
「わたくしにはそのような仮説は必要ございませんので」
 ベイズの法則を使えば神の存在が証明できる、というプライスの着想の対極にあるラプラスのこの答えは、何百年もの長きにわたる運動の象徴となり、ついには宗教を物理現象の科学的研究から閉め出すことになる。
 ラプラスはかなり前から、原因の確率と宗教的な考察を切り離していた。
「物理科学の真の目的は、第一原因(すなわち神)の探求ではなく、それらの現象が起きる際の法則の探求である」
 自然現象を科学的に説明できれば、それは文明の勝利といえるが、神学論争は、決して答えが出ないという点で不毛なのだ。

 上掲「異端の統計学ベイズ」

こうして表題の「神学と科学の絶地天通」が、「(このシリーズでいう)大数学者や大物理学者の時代」の終わりが見え始めた19世紀初頭になってやっと始まったという次第。そんな感じで以下続報…

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