鳥の飛翔通信

2台のカセットデッキで多重録音を始めバンドをやりながら音階のない具体音音楽を作ったりし…

鳥の飛翔通信

2台のカセットデッキで多重録音を始めバンドをやりながら音階のない具体音音楽を作ったりしていた。マイナー雑誌の片隅でレビューを書いたり集めたり床置き作品をつくってグループ展に出したり。コピー版詩集『骨は土と化しライナスは地底人に出会いルーシーは庭に埋もれ蜂たちが帰還する』2023年

最近の記事

矢崎弾5灯台

矢崎弾の本名は、神蔵芳太郎である。その実家は佐渡の両津港からバスで十分ほどの場所にあり、実家の近くに「矢崎彈」と刻まれた墓石のならぶ神蔵家の墓地がある。 矢崎弾というペンネームの由来は、イギリスの17世紀の詩人ジョン・ダン(John Danne)からつけられたとするのが定説になっている。「矢崎」の方は、同居人矢崎貞子からつけられたと松田さんは推定する。ペンネームのはじまりと思われる『三田文学』に書きはじめた1932年に矢崎は二十六才になっているから、そのときすでに貞子をパート

    • 矢崎弾4日本主義

      日本人は開国より国を挙げて、近代化の必要から欧米に学んだ。なかでも知識人たちは、新しい西欧の思想と学問に、疑いもなく沈湎してきた。しかしかれらは、同時に民族・国家と同一化する愛国者でもあった(松本1981)。例外をのぞけばそこに疑いはなかった。近代技術を手にした日本は、一方で皇室がすべてを抱きしめる家族特に情緒的役割を期待してつくられる母親像を代償する、擬制として同時代に整備された共同体、皇室主義による国家神道体制と対決することなく、情念の暴力に対抗できる明晰さと責任主体の確

      • 矢崎弾3 表現者と評論家

        ランボオの三年間の詩作とは、彼の太陽の様な放浪性に対する、すばらしい智性の血戦に過ぎなかった。」小林秀雄「ランボオⅡ」1930(小林2002) 私が矢崎弾に対し興味を持ったのは、小林秀雄を尊敬するというロック評論家に対する批判的な感情が動機として大きい。それと背中あわせに、小林秀雄への興味が芽生えた。私はそれまで小林秀雄にはほぼ関心がなく、なぜかれが評価されるのか知らなかった。それまで私の興味をひかなかった小林がなぜもてはやされるのか、その理由を探ってみたいと思った。 私に

        • 矢崎弾2文学史への疑問

          かれが評論家としてどういう人物だったかざっと書いてみる。 矢崎弾は慶應大学英文学科出身、1932年(昭和7年)『三田文学』で文芸評論家としてデビューした。「この昭和七、八年というのはプロレタリア文学にとって大転向の時代である」(渡辺憲1976)。1932年から34年雑誌に書いた文芸評論を『新文学の環境』(1934)として出版、この本の巻頭は「日本的思考の基本的弱点 ー観念未熟の文学についてー」で、以下41の文章が収められている。目次を見れば、思考、観念、自我、意欲、我執などの

          矢崎弾1文学研究者の責任

           一昨年の九月、例年どおり私は佐渡を訪れていた。主な目的は釣りで、加茂湖にいるクロダイがポッパーというルアーに反応して襲いかかり、爆発的な水しぶきをあげるのを楽しみにしていた。しかし、それとは別にこの年にはミッションがあった。それは松田實さんの書き上げ出版した『矢崎弾とその時代』を読むことだ。少なくとも佐渡の図書館にあることはわかっていた。松田さんの現住所もわかったので訪ねて行ったが、家の中をのぞいても人かげはなかった。その近くに本屋さんがあり、もしかして売っていないだろうか

          矢崎弾1文学研究者の責任