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2度目のふりだしから

はじめに

何を書くか。それすら決めずに一度書き始めました。もちろん失敗です。当たり前ですよね。休日丸一日をかけた3000文字は、私の大嫌いな人魚姫の様にあぶくとなって消えました。

これは、そんな私が何について書くかを決めて、再び書き出すまでの心の葛藤です。
こんな風にひとりぐるぐる考えているんだなという事は伝わるのではないかと思います。
何の役にも立たないかもしれないし、ひょっとしたら何かのヒントになる言葉があるのかもしれない。
それは分からないけれど、あなたの大切な時間を使って読んでくださってありがとうございます。

では、3000文字程度あるので、5分~位かな。
少しお付き合いくださいね^^



地図を見れば効率的な道を選ぶことが出来る。
「でも、この獣道気になるんだよね!」などと言いながら突入して「ほんとだ…この道は危ないね!!でも、こんなの見つけたよ!!」と流血しながらなにか見付けて道を引き返す。私はそんな不器用な生き方をしているが、この性質をエッセイを書くことでまで発揮するとは思っていなかった。

エッセイの書き方。
読んでもらえる文とは。などなど。

先人たちがその知恵をネットという海へ小舟に乗せ、浮かべてくれる時代。
“まずはテーマを決めよう” “ 構成を考えよう” “言いたい事は1つにしぼる”…ふむふむなるほど。

私は行動力はないが、滅茶苦茶調べる。
にもかかわらず、彼等の言うことを聞かない。
(じゃあ何のために調べたんだね君。)

書けそうな事柄は次々と湧き出てくる。なのに、そこから何を選んで書けばいいのか、箇条書きをしたらしただけ、どんどん分からなくなっていった。

考えるのが疲れてきた…もう、こうなったら思いつくまま書いてしまえ!!
そんな勢いだけで書き始め、そして我に返った。

私自身がはじめてこれを読む他人だとしたら?

そう考えて読み返すと、シッチャカメッチャカあちこち飛んでいって、おまけにどこにも着地しないときたもんだ。これは酷い。
まさにまるまんま、私の脳内ではないか。

人に伝える為の文章と、自分だけが納得する文章は違うということを強烈に思い知った。

だがしかし、まだ負けたわけじゃないのよ。
いやむしろ、まだ私戦ってすらいないのよ。
今に見てなさい。

私が何百億回と自分に、時に他人にも心の中で呟いてきた言葉を唱えて、じゃあどうするか。
再び思考の沼にはまりに行った。

エッセイというのは型の自由な文章だし、きっと大丈夫。書ける。私の話がつまらないわけが無い。なんてったって、この私の中身が文章にはつまっているのだから。私って面白いらしいから。
とにかく、大丈夫。…たぶん。

強気に出た3秒後には不安になる。基本的に情緒不安定だから今更どうってことはない。
怖がりながら、自分の内側を奮い立たせるんだ。

出してスッキリする自己満足の文は、今まで沢山書いてきた。でもこれは違う。読んでくれる人が1人でもいるのならば、自分勝手に書くわけにはいかない。それでは私の脳みそという大海原で溺れさせてしまう。それは先日反省した。

じゃあどうしたらいい。

私はこれを読んだあなたにどうなって欲しくて書くのだろう?

読んでくれた人の心が少しでも明るく、前向きになってくれたり、共感があったり、なるほどと発見があったとするならば、それはとても嬉しいこと。私の書いたもので元気になってもらいたい。明日への活力に繋がって、いい時間だったと思って欲しい。人の役に立つものが書きたい。

それってどんなもの?

…っていうか、そんなものが私に書けるのか?
何かを継続出来たこともない、輝かしい経歴もない、しくじり先生になれるほどのぶっ飛んだ経験もないのに。

執念深くまだ考え続ける。

でも38年、それなりには生きてきた。私の経験の中で、なにかひとつくらいあるはずだ。どんな事ならみんなの役に立てるのだろう?
書くと決めただけで、ちっともまとまらない。

こんな事なら書くなんて言わなければ良かった。

いつもの様にこっそり1人で何かを書いて、そして納得出来なければこっそり削除してしまえば誰にもバレやしなかったのに。
ああ…なんだってあの時言ってしまったのだろう。

でも、もしここで放り出したとしたら。
それは、私が嫌だ。
少なくとも応援してくれる人はいる。そんな人達の気持ちを裏切りたくない。だから書くんだ。
なによりも、自分で決めた事ではないか。

『口にしたなら責任取れよ』
私の中に何人か住んでる人格の1人が言ってくる。

『うるさい!分かってるわ!』
心でそいつに言い放った。

仕事中もあいた時間は何を書いたらいいのか考え続けた。私の体験や思いを語ることで、読み手は一体何を感じるのか。何を伝えられるのか。どんな書き方なら伝わるのか。どんな感情が与えられるのか。独りよがりじゃないだろうか。ああ分からない。

そんな出口のないことを考えずにはいられない。 
結局また頭が疲れてきて、考えるのをやめた。

そんな仕事の帰り、気晴らしによく見るタロットカード占いの動画を聞き流しながらぼんやりしていると、言葉が頭に響いた気がした。


『人の事を考えてる段階ではない』

『あなたはまず、自分の事を考えなさい』 

『まずは、自分が満ちて溢れた物が人に届くの』

そんな内容だったと思う。
それが聞こえてきた時、説明の出来ない納得感と鳥肌がたった。これが直感というものなのか、不思議な感覚がたまにある。

ああ…私が何を書きたいか、置いてけぼりだった。
私が何を聞いて欲しいか、それを分かりやすく思いやりを持って伝えるのが大切なんだ。

人の役に立ちたいだとか立派なことを考える前に。
まずは私が、私らしくあること。

私の価値観、思考、ユニークなレンズが写し取る世界。それをただみんなに見てもらいたい。1人で見付けた何かにいつも悲しんだり喜んだりしていて、それを誰かに伝えたくて心が騒いでる。ただそれだけの純粋な思いを大切にしたい。

そもそも、誰かの人生に影響を与えたいなんて、おこがましいじゃないか。ひとりじゃ大したことなんて出来ない。「俺には何にもねぇ!だから、仲間がいる」そう叫んでグランドラインを目指していたあの頃の麦わら帽子の少年が、私は大好きだった。


目に映る全てが私に気付きをくれる。
私はそれをもっと伝えたいだけなんだ。

それが私らしいじゃないか。

何者でもない私のストーリーを読んでくれる優しいあなたが、退屈しない様に語りかけよう。情景が伝わるように、少しでも先を読みたくなるように。で、結局なんの話?ってならない様に(汗)、書く努力をする。

上手な文章はまだ書けないけれど、紙の上で嘘をつくことは私には出来ない。
だからこそ、純粋な私という存在そのものが言葉に温度や色として乗ると信じている。


さぁ、もう一度ふりだしからだ。
何について書く?
『書く』ということをテーマに、思い出を振り返ってみるのはどうだろうか。

それなら…今、ひとつ思いついた。

さて。やっと書くことが決まった。
私の見てきた世界を、もう一度丁寧に冒険しよう。

ここに来てくれるあなたと一緒に。
長くなるかもしれない…コーヒーでも入れようか。

NEXT

小学生の私と居残りの作文、の話。

を、書く。

はじめに、という名の書き出すまでの葛藤でした。
読んでくれてありがとうございます。
次も読んでくれると嬉しいです^^















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