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理解力の個人差

先月コスモスコープのセッションを受けた中で、

「真陽さんは全体像をまず説明してもらった上で、現状も説明してもらわないと理解・納得出来ないタイプ」

みたいなこと言われたのが、めちゃくちゃ納得したな〜と、
今、突然思い出した。

もう少し具体的に説明すると、例えば

「今ココはどの辺ですか?今どこに向かってるんですか?」って尋ねて、

「この建物は10階建てで、今あなたが居るのは2階と3階を繋ぐ階段の踊り場です。これから3階の305号室に向かいます」

位具体的に言ってもらえたら理解・納得・安心出来るんだけど、

「あ、今3階に向かってますよ」

みたいな答え方されると、

「いや、だから、ココどこなのよ…」

ってモヤモヤ不安になっちゃう…っていう、まぁ要は面倒臭い奴な訳ですけど(爆)


でもコレって、名前を付けるとしたら『理解力の個人差』みたいなものかなと思うんですけど、
同時に『他者との会話の相性』みたいなことにも繋がるよな~…とも思ったり。

会話って、話し手と聞き手が居て初めて成立する訳ですけど、
『話し方の癖』って、気を付ければ意外と直したり改善出来たりするものかなと思うんですけど…
でも『聞き方の癖』もとい『理解力・受け取り方』っていうのは、
よっぽど意識(特に潜在意識)が変わらない限り、
変えようと思っても変えられるもんじゃないように思うんですよね。
“生まれ付きの(或いは育った環境で培われた)理解力”に大きく依存する、みたいな。

そうなると、『他者との会話の相性』っていうのは、
『お互いが話し手になった時の相性』とも言えて、
“如何に相手の理解力を慮って話せるか”っていうのが、
『話し手レベル』を問われてる…ってことでもあるのかもな〜……なんて、つらつら考えてしまった…。

“面倒臭い奴”だからこそ、相手の“話し手レベル”の高低に敏感……だったりするのかなぁ……

ま、自分の“話し手レベル”は判らないですけどね(爆)
何せ話し相手が居ないもんで。

でも“真の高レベル話し手”は、
“相手に合わせて話し手レベルを上げたり下げたり出来る”人…
だったりするのかもですけどね。
そんなことを思う、霜月の始まり……🍁
相変わらず自分でも何言ってるか解らないッスわ←


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