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ゆるく、ぜんぶ好き「読書」(エッセイ)

 履歴書に書かれる趣味、第一位は「読書」だと思う。「映画鑑賞」もイイ線をいっていると思うが、より知的な印象を与えやすいのと、邪道だが漫画もカウント出来るので、履歴書というリングの上では読書に軍配が上がる気がする。
 いきなり話が横道にそれるが、「漫画が邪道」などと書くと叩かれそうなので補足しておく。私は漫画も読むし、活字本より漫画を下に見ているわけではない。ただ、趣味欄に書くほど漫画を好きならば堂々と「漫画」と書けば良いと思う。漫画に「読書」という布を一枚被せるのは漫画に対して誠実でない気がするのだ。

 話を本筋に戻そう。この読書という趣味は履歴書には簡単に書けるのだが、人に言うにはなかなかハードルが高い趣味だと思う。なぜならガチ勢が強すぎるし多すぎるからだ。読書ガチ勢は思慮深く慎み深い人が多いので実際に読書量を誇示されることは滅多にないが、蓋を開けてみたら
「子どもの頃から本の虫でした」
「二日に一冊は読んでいます」
「活字中毒なんです」
「新作は常にチェックして予約しておきます」
なんて人がウヨウヨいるはずだ。
 そんな人達の前で「読書が趣味」と言うのはおこがましいし、迂闊にさえ思う。

 私だって最初からこんなに卑屈だったわけではない。図書室年間貸出ランキングで二位だった中学時代は自分の事を読書家だと思っていた。しかし中学生の私はまさに井の中の蛙だった。
 「作家の読書道」というコンテンツがウェブ上にある。その名の通り様々な作家の読書遍歴が語られている。大学生の頃、このコンテンツを見つけて作家達の読書量に愕然とした。私が大学生になってからチマチマと読み進めていた芥川を、ある作家は中高生の内に読破していた。漱石や鴎外、太宰、三島など、純文学は一通り読んだと言っていた気がする。他の作家達も、純文学では無くてもSF、海外文学、ミステリなど夢中になったジャンルがあり、読書量は明らかに私よりも多い。脱帽するしかなかった。読書家ではない作家も時々いたが、それを見て安心するほど私は呑気では無い。読書量が少ないのに優れた作品を生み出せるなんて、それはそれでかなりカッコイイ。
 学生の時は読書ガチ勢への憧れや嫉妬に似た感情があった。そのまま社会人になり、ガチ勢になれない自分が嫌で読書から離れた時期もあった。仕事に忙殺されるのを良しとした。

 そんな私だが、ニ年ほど前から再び読書を楽しむようになった。転機になったのは使っていた読書記録のサービス終了だった。大学生の頃から十数年、読書記録はずっとウェブ上のサービスを使っていたが、この時は新しいサービスを探す気が起きなかった。しかし、読書記録は残したい。
 そこで紙のノートに書くことにした。中学生の頃と同じやり方だった。当時は父が貰ってきた八重洲ブックセンターの読書ノートに記録していた。読書ノートはA6の文庫サイズで表紙には花と英字新聞がデザインされており、一ページに書名、著者名、読了日、感想を書く欄があった。これを真似して同じサイズのノートを買い、同じ項目を記録していった。
 これが良かった。誰にも見られる事の無い紙のノートには、遠慮なく感想を書くことができた。ノートを開く時に自然と過去の記録に目を通すので、自分の趣味嗜好と興味関心を振り返ることになる。そこには私しかいなかった。それが心地よい。読書量を競う他者、同じ本を読んだ他者の感想、その他者が読んでいる他の本、運営が勧める今月の課題図書、これらは私にとってはノイズだったのだ。
 この小さいノートを使いきるのは一年以上先になりそうだ。それでいいと思えるようになった。自分のペースでその時読みたい本を読みたい分だけ読めばいい。
 相変わらず人に「読書が趣味だ」とは言いづらい。しかし「読書が好きだ」なら胸を張って言える。

ゆるく、読書が好きだ。

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