相川弥生

書きためた私小説やエッセイを公開しています。

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マガジン

  • 愛された孫(私小説)

    母方の祖母との思い出。愛されていたけれど、望むような愛され方ではなかった話。

  • ゆるく、ぜんぶ好き(エッセイ)

    趣味、推し活についてのエッセイです。

最近の記事

愛された孫 1-3(私小説)

 翌朝は珍しく親に起こされずとも目が覚めた。この頃は夏でもエアコン無しで寝ることが出来た。網戸から朝の風がさらさらと入り込んできた。  腹を掻きながら寝ている姉を横目に、私はリュックから着替えを引っ張り出した。二日目は海に行くと決まっていたから、すぐに出掛けられるようにしなくてはと気合が入っていたのだ。着替え終わると、まだほんのりと自分の体温が残っているパジャマをたたんで枕元に置いた。普段はパジャマなんて脱ぎ散らかして放置しているが、海に行く前に些末な事で怒られてはつまらない

    • ゆるく、ぜんぶ好き「コーヒー」(エッセイ)

       年齢と共に味覚は変化する、よく言われることだ。私もだんだん肉より魚、洋菓子よりも和菓子を選ぶことが増えてきた気がする。  胃腸の衰えが連動している食べ物よりも、飲み物の好みの方が早い段階で変化が訪れると思う。子供から大人になる間に飲めるようになるものが増えていく。私の場合は牛乳、ジュース、炭酸、紅茶、緑茶といった順番だった。紅茶まではスムーズに進んだ。牛乳は物心がつく前から飲んでいたし、ジュースや炭酸は甘くて子供は大好きだ。紅茶も私が小学生の頃は無糖のものは市販されていなか

      • 愛された孫 1-2(私小説)

         夏休みは千葉の花江の家に家族で遊びに行った。祖父の利一郎と花江は別居していたが、私達家族が訪ねてくる時は同席するのだ。昼頃に先に私達が到着して、しばらくすると呼び鈴が鳴った。私達が玄関に出迎えると、はげ頭にたっぷりと髭を蓄えた利一郎が立っていた。 「ちゃんゆい、ちゃんちか、大きくなったなぁ」  利一郎はいつも通り私達を不思議な呼び名で呼んだ。結ちゃん、千花ちゃんを逆転した利一郎オリジナルの呼び名だ。 「おじいちゃん、明日は海に行くの?」 「ああ、連れていってやる」  肩越し

        • ゆるく、ぜんぶ好き「読書」(エッセイ)

           履歴書に書かれる趣味、第一位は「読書」だと思う。「映画鑑賞」もイイ線をいっていると思うが、より知的な印象を与えやすいのと、邪道だが漫画もカウント出来るので、履歴書というリングの上では読書に軍配が上がる気がする。  いきなり話が横道にそれるが、「漫画が邪道」などと書くと叩かれそうなので補足しておく。私は漫画も読むし、活字本より漫画を下に見ているわけではない。ただ、趣味欄に書くほど漫画を好きならば堂々と「漫画」と書けば良いと思う。漫画に「読書」という布を一枚被せるのは漫画に対し

        愛された孫 1-3(私小説)

        マガジン

        • 愛された孫(私小説)
          4本
        • ゆるく、ぜんぶ好き(エッセイ)
          3本

        記事

          愛された孫 1-1(私小説)

           子供は無垢とも現金とも言われる。それはイコールだとも言える。そして子どもは基本的には自由なお金を持っておらず、しかし欲しい物は多いのだ。 「そうだ、今月のおこづかいね」 「ありがとう。おばあちゃん」  夕方五時の鐘がなり、花江は椅子から立ち上がり鞄かけに手を伸ばす。ショルダーバッグから財布を取り出した。テーブルの上には空のティーカップと、花江が買ってきたメリーズの箱が広がっている。三十くらいの小部屋に仕切られた箱の中には二、三個しかチョコレートが残っていない。  花江は親指

          愛された孫 1-1(私小説)

          ゆるく、ぜんぶ好き「はじめに」(エッセイ)

           推し、この言葉は完全に市民権を得た。個人的には宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」が芥川賞を受賞した事が幅広い世代への認知に繋がったと思う。あれから四年、メディアでも推し活は大きく取り上げられ、今や100円ショップにも推し活グッズが並んでいる。  推し活だけでなく、推し事という言葉も出てきた。活動という言葉は任意の意味合いを感じられるが、仕事となると義務感が与えられる。  私には推しがいるので無職ではない。しかし、推し具合はひどくゆるい。仕事に例えたら週五回、八時間働いている正社

          ゆるく、ぜんぶ好き「はじめに」(エッセイ)

          愛された孫 0(私小説)

           関係の濃淡はあるにせよ、誰にでも祖母はいる。私にもいる。千代と花江だ。名前が一番先に挙げたのは私の名前が千花だからだ。「両家の素晴らしい女性にならって」というなかなか捻りが効いた由来だと思う。どちらの顔も立てた長女っぽい名前だが、結子という全く関係ない名前の姉がいる。一方で、私が産まれた時が桜の盛りで幾千もの花が美しかったという説もある。どっちの理由を誰が言っていたか定かでは無いが、どちらも悪くない理由だと思う。  父と母は十歳程歳が離れていて、しかも父が四人兄弟の末っ子だ

          愛された孫 0(私小説)