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理想の組織を目指して、「自由」と「フラット」に振り切ってみて気づいた誤算

TimeTree代表取締役の深川です。
前回は「なぜTimeTreeを作ったか?」のプロダクト編でした。前回のリンクこちら
今回は組織編です。どんな会社を目指したか?そのためにどんなことをしたか?やってみてどうだったのか?などを書いてみようと思います。

前回も書きましたが、会社としての情報発信というよりも1個人としてTimeTreeという会社をやりながらこれまで悩んできたこと、反省したこと、気づいたことという観点で書いていきます。
組織についてはもちろんうまくいったなと感じていることもたくさんあるのですが、今回は反省したことを中心に書いてみます。

「何のためにやってるんだっけ?」をゼロにしたかった

僕は「そもそもなぜ?」が気になる性格で、会社についても「いま、会社を作るってどういうことなのか?」というところを考えました。自由なだけならフリーランスも副業もいろんな働き方がある。それぞれの人生の貴重な時間を使って会社という形で毎日集まって仕事する意味ってなんだ?その意味が感じられるものにしたい、と思いました。

TimeTreeを創業するまでは十数年サラリーマンをやっていたので、会社に所属する中で「何故こういうことをしなければならないのだろう?」という疑問や納得のいかなかったこともいろいろありました。そういうものについて全て「何故なのかを解き明かすぞ!」と、そんな意気込みでした。
創業時のメンバー5人で「何のためにやるのかわからないことはゼロにしよう」「良いプロダクトを作るぞ、という人にとっての楽園を目指そう」と話したのを覚えています。

組織にもコンセプトがあった方がいい。自由・フラット

僕の理想は大きなバンドのような組織です。それぞれのメンバーに演奏のクセや味もあるけれど、バラバラではなく美しいアンサンブルになっている、他に出せないグルーヴがある。
いつも目指す組織の話をする時に、社内でイメージとして使う画像がこれです。

画像引用元:
深遠にして深淵なる不可思議 / Mysterious Eternal Abyss | SuperDeluxe
この画像は、maher shalal hash baz(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ) という工藤冬里さんという陶芸家の方を中心としたメンバー不定形の不思議な実験音楽バンドです。

そんな目指す組織を「個々人が自由に創造性を発揮しながら、ミッション達成に力を集中できる組織」と言語化しました。
最初に考えたのは、とにかく振り切ろうということ。スタートアップなんて何も持っていない小さな存在。ありきたりで他と同じでは、世の中に存在しないも同然。知ってもらうこともできない。「違う」ということにこだわろう。
そう考えた結果「自由」と「フラット」にこだわりました

「自由」がそれぞれのパフォーマンスを最大化する

自分たちが「ぜひこの人と一緒に働きたい!」と思う人と働く。そんな風に思えた相手だから、その人がパフォーマンスが出る働き方はその人自身が一番知ってるということを信じよう。このモニターがいい、このマウスがいい、朝弱くて昼からの方が調子がいい、作業する時は自宅リモートが集中できる、などなど。

勤務時間を自由にし、月の規定時間に足りなくても給与控除もない。場所も問わない、どこで働いてもいい。新型コロナ以降リモートは世の中の当たり前になりましたが、以前はまだ珍しかったと思います。
必要なものも各自判断で買うことにしました。3万円以内なら会社のAmazonアカウントでログインして自分で買ってslackで報告、という仕組みになりました。みんな必要な書籍、機材など自分で判断して買います。

それぞれの声を活かすための「フラット」

そして、フラットについて。結局、どうなったら会社の活気が死んでいくのか?と考えた時、メンバーが「自分が言っても届かない、変わらない。声をあげても無駄」と感じたら、だと思ったのです。
なので、違うと思ったら声をあげられること。そのためにフラットであることが重要だと考えました。あがった声も誰か特定の担当者におまかせでなく、みんなで改善していく仕組みをつくりました。

また、僕らが作るのはITプロダクト。現実には形がなく、触ることもできない。そしてそのプロダクトを色んな人がいろんなシーンでいろんな使い方をする。想像したものをコミュニケーションで具体化して、アプリケーションの形にして届けていくものです。

僕は天才ではないので「頭の中に完成形」があるわけではありません。何がヒットするかなんてわかりません。僕が完成形を指示して「このとおりに作って!いや違うもっとこうして!」みたいな、そういうやり方はできない。

だったら「ここはこうした方がよくない」「こっちの方が親切なのでこうしといた」みたいな、みんなの意見・アイデアの集積の方が良いものが作れる。かつ、そのチームワークこそが競争力の源泉になる。と思っていました。
なので、違うと思ったら言いやすく、自分のアイデアも発言しやすくするためにフラットさにこだわりました。

コンセプトのためにやったこと。ボツ企画の大切さ

組織コンセプトを実現するためにいろんなことをやりました。
まず、僕との1on1をメンバーと定期的にやりました。通常、1on1は本人の課題解決や成長のためにやることも多いと思いますが、僕がやっていたのは「会社の健康診断」です。メンバーそれぞれの目線で、いま会社の課題と感じていることは?方向性で理解できないなと思うところは?などを聞き、対話してきました。

他にも、アジャイル開発で行うKPT(Keep ,Probrem, Try)を会社運営について全メンバーで行う「corporateKPT」を毎月実施しました。「オフィスの玄関が汚い」「担当外のプロジェクトの動きが見えない」などなど会社の現状への気づきを洗い出して、みんなで改善策を実施していきました。

新メンバーには「ウェルカムプログラム」と題して、僕が1日30分を5日間、会社のミッションやバリューや会社の目標管理やKPI、企業文化というものをどう考えているか、などなどを直接説明するプログラムを全員とやっています。

他にもたくさんの企画をやって、ボツになっていったものもたくさんあります。実はボツ企画こそ重要だと思っていて、たくさん試してボツになるからこそ「会社は変化できる」「試していいんだ、試してダメならやめればよい」という空気がつくれると考えています。

こうやって意見を出しあいながら、いろんなやり方を試しながらやってきた結果、メンバー全員が「そもそもこれはなんのためにやるんだろう」「もっとよいやり方はないだろうか」と考えながらやり方・動き方を改善していける足腰の強い組織になれているのではと思います。

そうやって気づいた誤算。そもそも人が協働するって難しい。

そうやって作ってきた組織。誤算も反省もいっぱいあります。

会社には無駄なことがたくさんある。僕らは「何のためにやってるのかわからないことはゼロにしよう」「自分たちなら本質的で無駄のないチームワークが実現できる」そんな風に息巻いてはじめました。
でも実際にユーザーが増えて、メンバーが増えて、会社が大きくなるほどに「前職でやってたあの制度・仕組みって、こういうことだったのか。」と気づいていきます。当たり前だけど、無駄なこと増やそうと思って仕組み作ってる人なんかいないんですよね。

会社もサービスも小さい時は全員が、細かい仕様もお互いの休みも口座の残高も全部だいたいわかってて、それぞれ最適な動き・連携がとれて、仕組みなんか別に必要ない。でもだんだんサービスも組織も大きくなって、常に全体を把握するのも不可能になるからいろいろ仕組みが必要なんだなと、そんな当たり前のことを少しずつ身にしみて理解するような日々でした。

結局わかったのは「そもそも得意も考え方も違う人がたくさん集まって仕事を分担したり、創ったりするの、超難しくない??」ということでした。 「たくさんの人が一緒に連携してスムーズに働く仕組みって当たり前じゃないんだ。基本的に不可能みたいなものを、相当な労力をかけて、工夫と発明を続けないと無理なんだ!」。でも、それをやらないと、世の中に大きな価値を生むようなサービス、ビジネス提供ができないんだ。とこれもまた当たり前のことに随分たってからやっと気づきました。

良い会社 = 自分にとっての良い会社 だった?

振り替えって思ったのは「良い会社って、自分にとっての良い会社だったのでは?」ということです。 僕は、新しいアイデアや議論の中から思いもよらない解決策が出ることが大好きで、テキストでのコミュニケーションや論理が好きで、逆に何がなんでも数値を達成する、みたいなことは苦手で、そんな「自分みたいな人」にとってだけ働きやすい会社を良い会社だと思ってたのではないか。得手不得手、好き嫌い、いろんな人がいるとわかったつもりで、結局物差しは自分自身でした

そもそも人が1人でできることはたかが知れてるから、違う人々の力を掛け算するためにチームを作るわけです。お互いに違う人の考え、力を結集するために。
ところが、自分の苦手なことをできる人のことは「すごい強みだ!」と理解しやすいけれど、自分が得意なことはそれが「自分が人より得意」ということは認識しにくく、「自分にだってできるんだから、みんな当たり前にできる」と思ってしまいがちです。

多様なメンバーが活躍できるように、と考えつつ、結局、自分が議論しやすいような相手、自分の得意を共有できる人ばかりが働きやすい会社を知らず知らずに目指してしまっていました。

フラットについても同様でした。
僕の頭の中では「何の役割も決まってなくても、その時に最適な動きをそれぞれができる組織」を理想としていました。それは言ってみれば、何のポジションも決まってないサッカーのようなものです。最初のころは人数も少なく、把握しなければならない情報も少ないから出来ていただけでした。

それぞれが「各自で全体を把握して他メンバーの動きを見ながら最適なアクションをする」ということはビジネスや組織が大きくなると大変な負荷です。みんなが膨大な全体を把握しなければならないのですから、不可能と言ってもいい。それをみんなに強いると、どんどん動きにくくなる。
僕は「すべてをフラット」にしようとしたけれど間違っていた。
「私なんかが意見を言ってはいけない」「xxさんが言うから聞かないといけない」なんてことはない。「偉い人」なんていなくて、ある領域に責任を負っている人がいるだけ。それらは間違っていない。コミュニケーションや人としての立場はフラットであるべき。
でも、役割や責任は明確にあるべきでした。役割や責任は明確にして、その上でそれぞれが考えて守ったり、時にはハミ出したりすればいいのです。

自分や人を「わかった気になっていた」ことが誤算の元

何がこれらの誤算の元だったかと言うと「人のことをわかった気になっていた」ということに尽きるかなと思います。自分のことも人のこともわかっていなかった。その結果、組織で働く人を”自分”を基準に考えていた。
なぜわかった気になっていたかというと、自分の苦手から目を背けるために、自分のことや人のことをわかろうとしていなかったのかなと今にして思います。「自由」「フラット」にこだわったのも、自分が「決まったことをやるのが苦手」「命令されるのが苦手」「強権的な人が苦手」だったからです。

自分の苦手から目を背けた結果、それらを誰もが苦手であるという前提を置いてしまった。同じように、自分の得意は誰もが当たり前にできるべきという思い込み。みんなが自分と同じように察して動いてくれるという甘え。
自分とは違う人がいること、多くの人が協力して何かを生み出すということの難しさをまったくわかっていませんでした。
役割を定義しなかったのも、決めることから逃げていたと言えます。多様な人が活躍できるように役割を定義するのは、旗を掲げて組織をリードする者の責任です。

僕にとって組織を運営するということは、ひたすらに「自分の弱さや得意や、自分を理解すること」「人が自分とはまったく違う存在であるということを理解すること」これらをどこまでも深く、何度も何度も何度も「わかり直す」ことでした

終わりに。結局「より良い会社」を追求し続けるしかない

組織についてはもっともっと書きたいことがあります。今後こういうことも書いていきますという予告がわりに、他にも個人的に重要だと思った気づきを箇条書きにしておきます。

  • 人の問題に向き合うのは怖い。そこを逃げずに粘り強く対話を繰り返すことが、組織の強い足腰になる

  • 文化は日々の些細なインタラクションの中で耕築され、問題に直面した時に問われる。バリューはそれを思い出すためのポインタでしかない

  • すべてを「ミッションやビジョン」に照らして問うことで感情のもつれや対人関係の問題などを避けることができる

  • すべての組織課題を解決することは不可能。組織の目的は、世の中に大きな価値を作り出すことであって「問題のない組織を作ること」ではない

良いプロダクトを作りたいと強く思っているのと同じくらい、良い会社を作りたいと思ってやっています。やればやるほど難しく、わからなくなることも多いですが、結局「良い会社」とは「自分が声あげても意味ないしな…」と言う人がおらず、声をあげられること「世の中により大きな価値を生むこと」という目的にフォーカスがあること。その目的の上で、いつまでも「より良い会社」を追求し続けること。そういうスタンス、在り方にしかないのかもしれないなと思います。

編集後記ラジオ

書ききれなかったこと、書いた背景などを1人語りしています

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