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絵と文章とアンドゥ↺

【エッセイ】だいたいタイトル通りの内容



私はデジタル絵を描いてた時期がある。
『アンドゥ』機能は手助けに――振り返れば、アレは邪魔であり魔力的な機能だ。

頭の中にあるのは『もっと もっと もっと』
ありもしない理想を追い求める愚かな『完璧主義者』という自己を形成する。

『アンドゥ』は『無いモノとする』
『塗り固める』は『在るとみなした上で』

この感覚の違いは、あまりにも大きい。
私は文章で培った感覚を他の様々な趣味に還元したいと考えている。逆輸入として、絵を描いてた時の感覚を文章の世界に持ってくる――の場合。

現実の会話で『アンドゥ』など通用するだろうか❓
するワケがない。他者の耳に入った瞬間、相手を氷で殴り証拠を隠滅する覚悟がなければ発言は取り消せない。

かといって熟考、牛歩戦術は避けたい。ダルいからだ。
なら文章を書く際も、極力『アンドゥ』や『デリート』を使わない。誤字脱字を除いて。

私が今日、二本足で立ってるのは『書く行為』のおかげだと本気で思っている。なら誠実でありたい。
ウソを書いたらその『謝意』すらウソになり、私自身の足が揺らぐ。

私が使えるのは『塗り固める』のみ。弁明だ。
あの発言も、この発言も、全部あの時点での『本心』だったと胸を張り腹を括る。
(だが早計で攻撃的な人は多い。『あの時点』の考えを、一生モノの座右の銘だと勘違いするような)

記事も、物語も、詩も、コメントも。
何か気の利いた事を書こうとしてる時の脳内は、ギチギチと不穏で不愉快なモノが存在している。

このような身体反応にも、人はもっと気を払うべきだ。わざわざ不愉快な事を我慢してやるなんてイヤだね。あっかんべ。

この地球を満たす『同調圧力』から抜け出たい。
精神は重力から逃れられると証明したい。
【 ウソ 】は身を重くする。精神すらも。

自由とは、誠実な自分が作り出す精神の空間の広さ。


頭の中だけで思索を進めるのは『アンドゥ』
書き残せば『塗り固める』
書く以外に、思索を進める方法は❓

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