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意図のない【文章】とは❓

【エッセイ】『無』についてアホが語ってます
       自分でもよくわかってないです



『はじめに意図ありき』ってカンジですかね文章は

記事の内容の方向性
物語の展開 会話内容
コメントを返すなら10倍色々考えるし(反射もある)
ただの吐露だって立派な記録

あああああああああああああああああ

みたいに、機械的に羅列してるモノは無意味としよう

私が目指すのは『湧くがまま』
機械的であり、有機的であること
『意図』は『歪み』 プロパガンダ

混沌の生み出す反射的有意味無意図文字羅列

自分ですら『ハッ』としたいのだ
組み上げるように、意図を持ってして書いた場合
これは自明を眺める行為
『ハッ』となんかしない
『ん? ああ、それを伝えたかったんだね』……と

混沌的な書き方を目指す最中
意識は後頭部の辺りに移行する
感覚的には『まどろみ』に包まれているかのような
引き寄せる為の無意図な
特定段階におけるフェロモンの放出のような
――に、おいては、言葉は散る

理屈でなく、抗えないような文章
文章を読ませながら、文章を読ませない
そこに在るのは『連続する想起』
想起はあまりに『経験』に寄りかかっている
が、私は反抗したい

『たくましさ』
これを使い反抗するのだ
今まで見たことも聞いたこともない『○○』
それを身勝手に言葉や文章から想起
でないと想像の世界は成り立たない
必要なのは未知を受け止める勇気

人は現実でいっぱいいっぱいだ
そこに『想像』の世界が加わったら❓
――もっと大変……ではないのだ
たとえば、昨日まで普通に接してくれてた人
この人が今日、開口一番『おいコラ』
……と話しかけてきて去ったとする

たくさん『想像』するだろう
あの発言の意図は、何故急にあんな……
そういうモノが現実を満たしている

『ちゃんと話し合えばいいじゃん❗️』
それじゃあドラマにならない……でなく
話し合ったとて、こちらの想像と相手の意図
これらが厳密に一致してると、どう証明する?

ああ失礼、『ないモノ』をすり合わせるなどと

ないモノ=無意味➡︎【 無 】

【 無 】とは世界そのもの 人間そのもの
【 無 】に『意図』を加え語っても➡︎無
ならば『意図』の放棄が手っ取り早い
自己演出に『意図』を使うなどもってのほか
安心しろ、お前は【 無 】だ

『睡眠覚醒時』のまどろみ
これは私の人生から消滅した
でもまどろみは好きだ
なら陶酔的な感覚を操り、意図してまどろみへ

私の『意図』はこのように使う
混沌と一体化し、書く為に
きっとお寺の人もこんな気持ちなの……だろうか

念仏を唱えるってのはどんな心境だ?
個人to個人 なのだろうか
そんな狭義なモノではないのだろう
もっと大きな……神仏、森羅万象、宇宙

『ナニカに溶け混ざった個とおぼしき○○』
という状態だろうか
自我や小我をなぜ、一部の人は捨てたがるのか
私は答えを知っている

……楽しいからだよォ‼️

何が悲しくてこんな意味不明な考えするかっつーの
という、自我バリバリ〽️の愚か者
それが私

しかし変だよな、無意味と了承しつつ『想像の世界』を構築しようとしてんだから。
私は『現実逃避』なんて言葉は辞書から消し去ってもいいと思う。現実も想像世界も精神も『一緒』だもん。

さっきの『おいコラ』に対する数々の想像のように、根拠不明の想像が世界に蔓延るというのに。
『想像逃避』という造語を拵えたとして、逃避の先に待つのは『別の想像』
終わりなんてありゃしない。

私はタチの悪い『まじない』について書いてるかな?
大丈夫、キミたちが人を信じたりするのも立派な『まじない』なのだから。
家族が今日、包丁振りかざし襲いかかってこないと頭から信じてやがる。

『まじない』を放棄する人は唯物論者になるしかない。加えて人が制定したナニカや、金。
そんなの退屈だよ。

なら私は、包丁で刺されるかもしれないという想像の世界に身を置き、ヒリヒリ生きていたい。
ほんで実際に刺されりゃ、イヤでも理解できんだろ❓

『ああ、人生は不合理で無意味で混沌なのだ』と。

私は諸行無常のうねりの中に
 身を置くちっぽけな存在だと

……それじゃ遅いから、先回りして『混沌』を理解しておきたかったのさ。
んで、そんなカンジで文章を書きたい。



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