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優しさと苦労と『まあええわ』

今はもうnoteを引退したフォロワーが書いていた事が心の隅に引っかかってる。

『同情してくるヤツはクソ』
『自分から優しい人間だと宣言してくるヤツもクソ』

ざっくりこんなカンジだが、まぁ同意しよう。

実際、大変な時に『大変だね』と言われても、これはもう会話になっていない。最低限、大変さを忘れるぐらい手を引いてあげるべきだ。

『大変な時にそんな事してる場合じゃないよ❗️』なんて反論されそうだが、ちょっと横にズレる事で認識が切り替わるものなのだ。

『自分優しいでw』とか言うヤツにはノーコメントだ。特に語る必要もなくクソだから。



【若いウチの苦労は買ってでもしろ】

この箴言は古臭いと捉える人が大半ではなかろうか。様々な解釈があるだろうが、まず年齢は関係ないと思う。

苦労=負荷としようか。
私はこの箴言に特に反論を持ち合わせていない。なぜなら調子に乗ったガキが嫌いだから……ではなく、ではないけど、ではなく。

苦労の最中、『あの時こんな言葉をかけてほしかった』とか『ああしてほしかった』という経験が積み重なる。

人に都合のいい言葉をかけて貰おうなど、今の私目線からすれば愚かだが、実際そう思うワケだ。
だが現実は、苦労に苦労が重なる仕組みになっている。弱った人を嘲笑し除け者にする力が働くのだ。学校のイジメが代表例かな。
ポジションの確保が至上命題となった人間は、あらゆる手を打つ。人を蹴落とすのは、最も安易で無慈悲な手段だ。
あと自分の『生活とポジションの安泰』を、足を引っ張るようなヤツに邪魔されたくないとか……その辺か。

で、苦労の先は二手に分かれるだろう。

『あの時かけてほしかった言葉を人にかける』
        VS
『あの苦労を人にも味わわせる』

後者の場合、心理学でよく出る『加害者との同一化』みたいなアレだろうか。
『苦しい』という自分を『強い加害者』を模倣する事で救う。ま、負の連鎖ってヤツだな。同調圧力の原因でもあろうか。
家族から聞いた話だが、吹奏楽の部活の先輩が『自分らもそうされたから』という理由で同じような理不尽をかましてきたとか。実に子どもだ。

前者の場合、どのような心の動きがあるか。
『苦しい』という自分を『他者を救う事により間接的に救う』って図式だろうか。
同一化って点では後者と似てるな。

その背景には、『どーせ自分に優しい言葉をかけるヤツなんていねーよ』という諦めがある。
でも捻くれてちゃ貴重な時間がもったいないので、『まあええわ❗️ 人に優しくしよっと❗️』と考えるのが健全だ。

鳥山明の漫画ってめっちゃ登場人物と雰囲気がさっぱりしてるじゃん。唯一無二だよな。あんくらいが理想なんだ。
反対に人間のドロドロを描いた作品が『人間の真理や本質を突いている』などと安易に評されるが、別にただのイチ側面でしかねーだろと思います。

……ともかく

『まあええわ❗️』

が、とっても大事なのだ。
インターネットの名言『荒らしはスルー』も一緒だ。
『なんか変なのおるな! まあええわ❗️』ができないと荒らしは増長する。
イジメの場合も『相手が私様の言動によって弱っているな』という反応を見せるから増長する。

では、『まあええわ』の獲得にはどうするか。

…………

やっぱ苦労ですかね

苦労をし、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん考える。
パンクしそうな、狂気のような行為の先に『まあええわ』が待っている。少なくとも私はそのような経過を辿った。

なんで理由は私はどうすれば

このような思考に支配されるが、喉元すぎればナントヤラだ。勿論、堂々巡りを察知したら新しい材料を取り込み排出しなきゃならん。代謝だ。

『なんとなくその内この人は改心してくれて環境もマシになる』みたいな甘い考えも捨てなきゃだ。現実は楽観でもあり悲観でもあり、シビアだ。

『自分は何も考えたくないけどきっと誰かがいつかなんとかしてくれる』もNGだ。聞いてるか❓ かつての私よ。

たくさん苦労して、『この事象はたくさんの中のひとつ』って認識を持つのがいいかなぁ。
『これしかない』って固執なんていらない。

ボンボンの貴族が農民に『いつも畑大変だな』なんて言っても『はぁ❓』だろう。
政治家がスーパーで『ほぇ〜物価あがってますねぇ』なんて言っても『はぁ❓』だろう。

『まあええわ』は決して『思考停止』と混同してはならない。様々な取捨選択の末の産物なのだ。
『経験と意志から来る許容』と呼ぼう。その方が用語っぽくてカッコイイからだ。

そもそも、疑問だらけのこの世界で疑問を持たず深掘りせず、考えを持たない方が異常ではなかろうか。

なんかもう書きたいことがごっちゃになったが……

まあええわ❗️

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