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文章のコツは【脱力】でひよ

【エッセイでし】意味不明なオマケもあるよ❗️

【固定目標(硬)】
・湧くがままに書く
・アンドゥ デリートは極力排除
・気持ちにウソをつかない
・攻撃的な自己を抑える
・楽しむ
・創作はやはり排泄である
・固執を捨てる
・文章は 無意図であるべき
・結論ありきを書かない(追)

『から元気』とか『作り笑顔』って、どうにも苦手だ。何度か書いたが、ウソでも笑顔なら元気になるってメソッドは【ウソ】だ。
虚しさと現状が変わらない事を強く自覚するだけ。

note上では、ぽつりぽつりと書いている人が好きだ。逆に、明確な【意図】がある人は苦手だ。

【意図】=【押し付け】

どれだけ意識しようとも、心がそう受け取ってしまう。出る杭を自動的に視界から遠ざけたくなる。
『自分、面白い事書いてるっしょ⁉️』みたいなヤツね。
はい、わかってる。捻くれてるのは。

が、たとえば友人との会話中、そのような【意図】がなければ相手を笑わせる事ができない……のは思い込みかな。
『ここは面白いトコロです❗️ なぜなら意図しながら面白い事を言ったから❗️』

……やっぱイヤかなぁ。

理想は【反射的】に湧いてきた言葉を差し出し、笑わせる。意図しての発言は避け続けたい。

【頻度錯誤】という心理がある。
これは誰でも経験のある、最近覚えた熟語等をやたらに視界に入れてしまうアレだ。
新たに形成されたアンテナなりシナプスが、自動で拾うのだ。無意識であり、意図的でもある。

――あまり関係なかったかな。
とにかく、発話の際に【意図】を瞬間的に形成し、相手に【思わせる】のは不自然でイヤでし。

なら意識できないほど自然に、【意図】を自己の内部に忍ばせておく。
これがつまり、以前書いた『物書きは面白い人生を歩まねばならない』の言い換えである。

ここで『面白きこともなき世をおもしろく(キリ✨』なんてやっちゃダメですよ
それはルール違反
他人の表現の借用という

こうして書き出せば、なんて事はない。
すっっごく当たり前の。
でも、イッッチバン大事だと思うのです。

まあ個人的な事情として、単純に『意図して○○』するのがダルいから、こうせざるを得ないだけですが。

勿論、意図の方向性も重要です。
無意図で湧くがままの人生を目指した結果、快楽殺人鬼になってしまったら❓
ああ、冷たい手錠が胸を抉る。

『楽しませるつもりで書いて楽しませる』
ヤダ❗️

『なんか書いたら楽しんでもらえてラッキー』
ええね❗️

こんなカンジ。
極限まで薄められてるけど強力な想定や意図……みたいな。

箸が転べばおもしろい
丸太が転がりゃ気絶する
地球が回りゃあ涙する

武道だろうとスポーツだろうと、結局獲得しなければならないのが【脱力】
でなけりゃ長く続けられない。

なら執筆も、川の水をすくってハイと差し出すような、気楽な心持ちでいきたいでひ。




【???】オ マ ケ🍭

結局、私の中に『人間』は居ない。
発言、記憶、朧げな表情、動き……としての【要素】が散らばり、漂っている。

それらを複合させ、『コレがキミだ❗️』という断言ができない。人間は【要素】なのだ。

【要素】からの憶測で、〜のようなが形成される。
だがそれが、『個』に対し正鵠を射るという確信がない。

だから人は『不定形且つ移ろうモノ』である。
仮に纏まった形成をしたとしても、新たな【要素】が加えられた場合、全ての前提にメスが加わり瓦解。

なら最初から【要素】として見るべきか。
珍重すべきでない。肉体に要素があるだけ。
では何故、特別な人は特別とみなされるのか。

『長い付き合いになりそうだ』は、予測でしかない。
長いからこそ【諦め】による『許し』が湧く?
あるいは【期待】?

『〜のような人で居続けてほしいが、主観(常識/法的に)により除外される要素の項目もある』
……やはり傲慢だ。

だからこそ、私もそのような目で見られたくない。
しかし全員が『無関心』を装った場合、繁殖や発展は阻害される。
『個』の欲望も、紐解けば完全な『個』ではない。

なら私の【愛】の形は……
『お前は【要素の集合体】である』と伝える事か?

相手が悪さをしても、『個』ではなく【要素】がしでかした――とみなせば片付く。罪を憎んでナントヤラ。
だがその牙が『特別な人』に向けられたら?
戦争の始まりだ。

私の中の【要素】
他人の 【要素】

この結びつきの数が多いほど、いわゆる共感やら、同要素を多く持ち合わせた『特別』となる?

【同要素である】という判断は、何によってなされている?

言動の一致――は、全て『なんとなく』重なっている程度だろう。厳密ではない。
『個別的な悩み』だと思っていた事が、他人にも同様にあった。
そして『自分だけじゃなかったんだ❗️』……と安心をする。

特別や個性やマイノリティを重んじながらのコレは矛盾だ。
人間は、『他と同一性を感じる事』に安らぎを求めている?

【確固たる個】など、最初から求めていない?

坂口恭平という男が居る。
彼は10年間『いのっちの電話』と称し、無料で悩める人の相談を受け続けた(継続中)
その数は2万人を超えるという。

その彼が言うには、悩める人の声やトーン、内容に至るまで『笑えるほど一緒』らしいのだ。
だが電話を掛ける側は、『誰にも話せない個別的な悩み』として相談している。

図らずも人間は、同じような【要素】を持っている。そう捉えられないだろうか?

やはり、『特別な人間』など居ない。
あるのは【要素】のみ。
【要素】が出来事や環境に反応し、言動を行う。

世界は
 このようにシンプル
  なのかもしれないでひ

……私の考え方は冷たいだろうか❓

でも、表面的なモノでしか世界を見ていない人を見ると(例として『アイツはこう言ったから、ああいう人間なのだ! という決めつけ等)、不愉快やら、物悲しさやらが湧くので、仕方ない。

もうわかるよね?
『アイツはこう言った❗️』も、【要素】でしかない。

その【要素】自体は、普遍的に人間に備わるモノでもあるし、環境や構造が形成したモノもある――の、複合体が仮に【人間】と呼ばれている。

【人間】は【要素】同士をぶつけ合う。
それは定型的なやりとりでもあり、一時の感情的な……もある。

相入れない【要素】同士でしかないのに、人は喧嘩をする。

しかしカドの取れた定型的な【要素】同士では、世界は質素なモノとなる。

ならやるべき事は、喧嘩を避ける為にカドを取り、【要素】を磨き続ける。
輝く【要素】同士なら、お互い眩しくて喧嘩もしないだろう。

そこに在るのは、『お前も輝いてんだな』という、静かな承認だけだ。

『この輝きを汚してはならない』
人間にそのような【要素】があると、私は信じる。

です‼️




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