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南十字星の真下で Ⅳ[キャンベラそしてキングスクロス ]

キングスクロスのバックパッカーズについては、次回に書くとして、とにかくシドニーまでたどり着いた。そして翌朝、レンタカーを借りて、雄一くんを迎えに空港へやってきた。すると彼は、

「アザーっす!!マジで自転車で来たんすね」

と車に積んである僕のロードバイクを見て笑った。"ジョーンズサイクル"で作った荷台が、まだついたままであった。

2人は久々の再会に話を弾ませながら、西へキャンベラを目指した。年の差は少しあるが、同郷の阿波弁(なまり)でよく喋る彼は、

「タクさーん、左より右の頬がよう焼けとんね」

と言ってきた。バックミラーで自分の顔を見ると、確かに右頬はサングラス跡がくっきりと見える。僕は、

「暑くて夕方に走るんが多かったけんなー」

と答えていた。思えば常に右側に太陽があった。さすがに毎日が二日酔いで、昼過ぎからスタートしていた、なんて事は伏せておいた。そして、

「ゴールドコーストから、シドニーまで、ほとんど太陽が右側にあるけんねー」

と昨日のハーバーブリッジから、見た夕日を思い出していた。

そうして、オーストラリアの首都キャンベラに着いた。2人は自転車でコースの下見をして、翌日のレースに備えた。

キャンベラの大会は、オーストラリアで行われる1番の大きなレースで、国会議事堂の周りを走る。全豪選手権と呼ばれるが、世界各国からトップアスリートが集まっていた。

僕の結果は大した事なかったが、引退レースとして満足であった。

雄一くんは、Jr.ユースの部にて、なんと2位という成績を残した。彼はこの10年後、日本代表となり、ロンドンオリンピックに出場する。

その大舞台では、スイムで出遅れはしたが、バイクで独り集団を押し上げ、ランニングの大混戦に持ち込んだ立役者として注目を集めた。

そんな未来の阿波の英雄を、シドニー空港まで送り届け、僕は再びキングスクロスに戻ってきた。

そこでは、充実感というより、燃え尽きた感が強かった。ここキングスクロスは、オーストラリアの歌舞伎町と呼ばれている。

バーはもちろん、バックパッカーズも無数にあり、その中の1つに僕は長期滞在するのだが、夢破れ、先の見えないトンネルに、あの頃は立ちすくんでいた。

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