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2人の祖父の物語 Ⅲ[マッカーサー元帥]

自分のルーツを探して、お爺さんの物語を考えている。次は母方の祖父の話を書きたい。

「わしはマッカーサーに警察官を辞めさせられたけんね〜」

母の父親、通称"高川原のお爺さん"は昔、警察官だったという。そしてある日、僕が8才の頃、近くの警察署へ祖父に連れられて行った思い出がある。

署長室まで通され、かなりのおもてなしを受けたように感じた。

「ご無沙汰です。お元気でしたか」

「そうやな、今日は孫を連れて来たんや」

こんな会話をしたのか、全く覚えていないが、帰りは署員の方が敬礼して見送ってくれた。

明治44年生まれの祖父は、その当時72か、73だから、今の両親と同じ歳ごろになる。

話を戻そう。高川原のお爺さんのことを昭和のプー太郎と名付けてよいものか。昨今、プー太郎といえば仕事をしない男が巷では溢れている。

戦後すぐから、それを貫ぬき通してきた祖父は、もはや元祖の称号を与えてもいいのではないか。

僕が24の頃、オーストラリアから帰って、フラフラしていた時期に親父から、

「お前は高川原のじいさんそっくりだ」

とよく言われていたのを思い出す。

ここからは"高川原のお婆さん"に聴いた話を元に進めていこう。母の実家は元々、その辺りいったいの土地を持っていたらしい。

しかし、お爺さんが売っては使い、使っては売るといった散財が凄かった。

なかでも後に、某大企業の工場になる土地を二束三文で売り飛ばした。という話は何度も聞かされた事である。

明治44年生まれだから、戦争の召集がかかったのが30代と思われる。比較的裕福に育ったじいさんは

「この年で軍隊かぁ...」

と思ったであろう。しかし赤紙が届いて、徴兵検査の前日に、祖父はとんでもない行動を起こす。

なんと、醤油の一升瓶を丸ごと一気に飲み干す、という奇怪な行動をとった。そして検査当日、祖父の体調は誠に最悪の状態で、

「起立!こらお前、真っ直ぐ立て!」

と言われても、なかなか立てなかったらしい。病弱の男と思われたという。

結果、徴兵に行かなくてよかった。そして駐在所で戦時中の治安を守る警察官、すなわち憲兵になった。というのが祖父の経歴である。

二度も徴兵されて戦地に行き、最後はシベリアで拘束され、帰ってきた父方の祖父とは真逆の人生である。

戦時中の警官は天皇陛下の悪口を言う者や戦争に批判的な者を

「容赦なく捕まえる、または吊し上げた」

そのため戦後すぐ、GHQのマッカーサー元帥により全員クビになったらしい。

そして戦後、売れる土地や建物にも限度がある。3人の子供を抱えて必死に働く祖母にまで無心してくるようになった。

当時の祖母は裁縫が得意で、着物を洋服に作り替える作業場をつくり、3台のミシンを購入して身内で商売をしていた。

そこに現れた元祖プー太郎の祖父は、あろうことか、

「それらのミシンを全て売り飛ばす」

という、破天荒な男であった。

僕が小学5年の頃、高川原の爺さんと大喧嘩をしたことがある。

弟が何かをやらかしたので、彼の頭を叩いた。すると祖父は

「頭を叩くのはよくない!」

と平手で僕の顔を叩いた。それに怒った僕は

「高川原のクソじじい!」

とそこら辺にある物を投げつけて戦争をふっかけた。

それに応じて、投げ返してきた爺さんとの戦いは、窓ガラスが割れる程の戦況にまで陥る。

しかし、泣き叫ぶ弟の声によってその戦争は終息することができた。



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