猫背な寒芍薬

銀河の匂いがする漆黒に昏い夜
植物たちは 濃密に ひそひそ話だ。

短歌の母が末期癌の友人の話をしている。
相槌以外の慰め方を知らない短歌は
ただ話を聞いている。

短歌の住むのは小さな町だ。
この小さな町に生まれたことにすら
意味があるんだと最近は思う。
小さく 美しい町。

この小さな町は人口一万人に満たない
自然の多い、古ぼけた町で
町自体の小ささに反して空はやけに広い。

短歌は古本をいつもポケットにいれて
時々酔っ払って、時々シラフでこの町を歩く。
昔はこの町が大嫌いだったけれど
今では好きな町のくくりの中に入れている。

町には何本も桜の木があって
それらは今年も美しく咲いて
それからさらりと散って今は葉桜になっている。
今年は花びらたちはやけに気軽に去っていった。

名残惜しそうじゃないところが
またすぐに来るからね、と
言っているみたいだった。

死の恐怖に怯えてたらもったいないじゃない?
せっかく、今は生きているのに。
だから私、言ったの。
自分で決めるのよ、って。
そしたら恐怖だって去っていくわって。

わからない。

もうほとんどベッドから動けないの。
悪くなっていってるみたい。
でも、仕方ないのよね。
それも彼女の運命だから。

短歌にはわからない。

末期癌の友人は怖れる権利があるのでは、と思う。
忍び寄る死に恐れを抱きながら
惨めに泣きじゃくる権利があるのではないか?
大丈夫、わたしは怖くない、と
最期の日まで
気丈にそう言っていなければならないのか?

運命だから仕方ないのだろうか。
泣いて、泣きわめいて
悲しんで、嫌がって、別れを惜しむ
その権利が母にはあるのではないだろうか?

笑って、前向きに過ごしてもいいけれど
泣いて泣いて泣きわめいて
過ごしても良いじゃないか。
愛しているとお互いによりすがって
運命を呪ってみてもいいじゃないか。
だめなのだろうか。

短歌はなんだか泣きたくなる。
きっと大人たちは泣けないのだ。
泣くときに胸を貸してくれる人がいないから。
ひどく残酷な事実。なんという、ひどい事実。

小さな町は植物が豊富で
夜や雨の日は濃密に色付く。
短歌は夜空を見ながら願う。
年寄りになった時に、友人たちを喪っていく夜に
やわらかな胸を貸してくれる愛しいひとが
そばにいてくれることを。

子供のように泣きじゃくって
たとえもう何人も喪っていようとも
友人たちが肉体を去るその度に
わあわあと泣きじゃくって
この小さな町のことを思い出しながら
生きる切なさと愛を味わえる人でいられることを。

銀河の匂いがする漆黒に昏い夜
短歌は小さな町の小さな部屋にひとりぼっちだ。
死はまるで夜中に浮かぶ真っ赤な椿に似ていて
曲線のみぞに闇を内包しながらやけに美しい。

庭先に出て背の低い寒芍薬ヘレボルスの猫背の茎に
そっと指を走らせながら、短歌は泣く。
宇宙みたいに真っ黒なひとつの翳になって。
泣き終えたら、帰っていっぱいだけ飲んで
さっさと寝てしまう。

あのひとに会いたいと連絡をしたって
どうせ電車ももう走ってはいないのだ。

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