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異文化交流の妙

しばらくのご無沙汰ですが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?
暖冬も終わりを告げ、花粉舞う中、桜の開花が待ち遠しい時期になってまいりました。引き続きマロンのルーザー伝説にお付き合いいただけると幸いです。

一端内示を受けたドイツ転勤が直前で凍結されてしまい、針の筵の上で周囲からの冷たい視線を背中に受けながらの社畜生活を送っていたわけであるが、神は我をお見捨てではなかった。約一年後のクリスマスの訪れを控えた秋に晴れて単身異国の地を踏んだのである。The Eagle has landed !

内示~辞令交付までの悶々とした日々においては、一瞬ではあったがこんなことならター坊(1976年製ポルシェ930ターボ)を手放すんじゃなかった・・といった邪念が沸き起こったのは想像に難くない。しかし、一端渡独が決まってしまえば、ター坊WHO?であり、Leave everything behind 終わりよければすべてよしである。(終わりではなく始まりなわけだが・・)

さて、ドイツはそれまでも出張で何度か訪れていたのではあるが、実際暮らしを始めてみると、それまで点でしか見えていなかった様々な事象が線となり、さらには面となって見えてくるのが妙である。

まずは家探しであるが、当時の風習というか、社会のお作法としては、静かに過ごす時間というのが決まっているようで、例えば夜遅くのシャワーや、週末の掃除はご法度などという日本では想像もつかない暗黙のルールが存在するのである。

前者については、ドイツの多くの家屋では排水パイプが寝室の壁の裏にあるため安眠妨害になるとか、後者については、日曜日は安息日であり、そのような日に働くのは社会秩序を乱す怪しからん人物、という評価になってしまうといったことを不動産業者さんから聞かされて、こりゃ大変なところに来てしまった、とびっくり仰天マロンであった。

実際、ドイツに長年住んでおられる邦人に聞いた話では、日曜日に奥さんが部屋の掃除をしていたら、おせっかいな近所のドイツ人に怒られたそうで、あながち都市伝説ではない、ガチのルールであることが理解されよう。特にドイツ人高齢者の住んでいる物件に住む際は要注意と釘を刺されたマロンであった。

敗戦を経て経済復興を果たしたドイツと日本、てっきり似たような国と思い込んでいた自分の不明を恥じつつ、今後も折をみてマロン異文化交流の軌跡についてお知らせしていきますので、どうぞ引き続きのご愛顧賜りますようお願い申し上げまする。





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