(第1話)英語環境で働くとは
第1話
英語社会で働けば、英語力アップに繋がる….
しかし、英語力が無いと英語環境に飛び込めない。
その矛盾をどうするかがポイントである。
「英語環境の中で仕事をする、外国人の中でたった一人の日本人が自分」
これが初めてオーストラリアの地に降り立った時の目標だった。
2007年、こうして全員がオーストラリア人、正確に言えば多国籍な英語人に囲まれている。
南アフリカ生まれでイギリス育ちのポールはサロンのオーナー。
オーストラリア生まれのフィオーナは受付と経理全般を行なう頭の切れるシングルマザー。
豪州全国大会チャンピオンという経歴のアンソニーはコテコテのオージー訛りの英語を話す。いつも食べ物の話をしている。
アイルランド生まれでアメリカ育ちのスチュアート、世界で一番大きなヘアカラーの会社でインストラクターをして世界を飛び回っていた経歴を持つカラーリスト。
中間生のケイティはどこから見ても今どきのオージーの女の子、目がクリクリしていて、いつも笑顔で超フレンドリーだ。
見習いのマギーはスペイン人の父とアメリカ人の母を持つオーストラリア生まれの可愛らしい女の子、よくアジア人の男の子から電話番号を聞かれたりしている(笑)
一番下の見習い生は、ニュージーランド出身のマオリ族の血を引き継いでいるトレバー、ゲイだが優しい男の子?女の子?でアジア人のお客さんからも大人気!(2017年、サロンオーナーになっていて、現在は彼のサロンでレンタルチェア(面貸し)で働いている)
下の写真は、スタッフ全員でクリスマス・イブの朝食(2005年12月)
全員が個性的でフレンドリーで、外国人の僕に対しても優しく接してくれるし、日本の技術の高さも大絶賛してくれる。
カットに置いて、日本と西洋ではどう違うのかを説明したり
ヘアカラーにしても「アジア人の黒髪にどうして短時間でキレイに色が入るのか?」首をかしげて見てるトップカラーリスト相手に、図を描きながらディスカッションする時もあった。
自分の英語力アップにも最高の環境であった。
シャンプーをすれば、誰もが「こんなラグジュアリーなシャンプーは今まで経験した事がない!」と賞賛してくれる。オーナーから「全員、このジャパニーズシャンプーをYasuから教えてもらい取得すること」とお達しが出たくらいである。
高級店なので、料金設定も高めだし、お客さんもハイクラスのマダムが多い、職業も弁護士や歯科医、女性議員までいた。
学生が入るようなサロンではないところに、僕のお客さん層は思い切り学生で「『貴女がこの高級店に入るの?』って顔をされました」と言う日本人のお客さんも何人かいた。
スタッフ全員がお互いの仕事を、とにかく褒め合う。
オーナーでさえも、僕のお客さんの帰りがけの足を止めて「ちょっとYasuのカット見せて下さい」ってクシを入れ「褒める」。日本のように足を引っ張っるような妬みや嫌がらせをしたりする人はいない、みんなが気持ちよく仕事をしている。
しかし、自分の仕事は当たり前のことを当たり前にやっているだけで特別な事は何一つない。
誰でも出来る事を、誰もできないくらい正直に忠実に目の前の仕事をこなしているだけである。
このような環境下で働ける僕は、運もあったが、運も実力のうちだろうと自負できる部分もある。今までの道のりをブログに付けているのだが、あまり自分の実情を並べると「あんたの自慢話は聞きたくない」と投書がくるのだが、自慢話のつもりは全く無く、この事実を並べないと話が始まらないので少々我慢して聞いて欲しい。
当時の2007〜2010年、ブリスベン・ゴールドコースト地区で「ブリスベン美容師Yasu」を知らない人はいないくらいの有名人になってしまった。カット料金も他より高く、予約も忙しい時期には2~3週間以上待たされる人気の美容師。
カットして欲しい人も多いが、美容師Yasuのオージーと一緒に働くまでの道のりの話が聞きたくてカットしにくる学生さん、ブリスベンの美容学校に行っているという学生さん、日本の業界紙に載っていた美容師Yasuの記事を切り取ってブリスベンにまで会いに来て、一緒に写真を撮って帰る美容師さんもいた。
日本食のレストランへ行くと「あっ、もしかして美容師のYasuさんですね!」と気がつかれ、飲み物などをサービスをしてもらい、逆にこっちはチップを払って帰るという事も珍しくない。
アジア人向けの食料店で納豆を買っていれば「Yasuさんが納豆買っていた」と噂になるくらいである。(笑)
「どこどこのバス停でバスを待っていた」「あそこで写真を撮っていた」「カメラバックを背負って○○ストリートを走っていた」などなど、いろいろな人が「Yasuさん~してましたよね!」って確認を求めてくる。
先日は在ブリスベン領事館の天皇陛下誕生日パーティで、受け付けの女性に「Yasuさんですよね!頑張ってください」って握手を求められて、さすがに照れた(笑)
自分はこの3年間で、この180万人の都市ブリスベンの日本人コミュニティですっかり有名人になった。逆に札幌へ帰省したときには、「誰も僕のことを知らない」と安心するという、芸能人が海外へ行く気持ちが分かる。
これも実は5年前の目標に掲げていた事だった。
自分はこの街で有名人になるために自分で自分をプロモーションしよう。
もしYasuという名前を聞いたら、まっすぐに「美容師のYasu」という答えが出てくるようにしよう。
ある人がアジア人の留学生に「日本人はどこで髪を切っているの?」って聞かれたら、皆が声をそろえて「Yasu」って答えがでるくらいになってやろうと戦略を立てたのが始まりだった。
しかし、絶対に忘れてはならない軸の部分がある(今でもある)
それは、「海外で髪に困っている日本人のために、自分の技術を役立ててもらいたい」
これが根底にあるから頑張れた。
決して日本社会からの逃げではなく。
地位や名誉の為でもなく。私利私欲でもない。
困っている誰かのために…
これが成功の秘訣だと思う。
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今後のラインナップ
第一話 英語環境で働くとは
第二話 鋏と櫛だけでは世界で通用しない
第三話 アメリカ生活の夢を叶える本
第四話 アメリカ、LAでの裁判
第五話 海外に幻滅した
第六話 真っ赤な英語
第七話 30歳を過ぎての語学留学
第八話 語学取得は自分次第
第九話 日本語は天敵
第十話 喋りまくる
第二章 海外と日本の美の違い
第一話 海外で髪を切った事ありますか>
第二話 日豪の美容師教育の違い
第三話 日豪のサロン教育の違い
第四話 日本と西洋のカット理論の違い(前編)
第五話 日本と西洋のカット理論の違い(後編)
第六話 パーマの技術は皆無に等しい
第七話 年末年始の美容室
第八話 日豪の縮毛矯正の違い
第九話 日本だけがヘアカラー独自理論
第十話 西洋は胸。日本は足。
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