2022年に留意したい「引き分け」と「溫故知新」について
2022年になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年初に何か書こうと思い立ったものの、抱負や決意を述べたところでやらないのが、自分であるということは重々わかっています。
流れにのって役目を果たしていくくらいしかできませんので、その中で、自戒として留意しておきたいことをいくつか書いておきます。
「引き分け」という考え方について
弓道における射法の中に「引き分け」という動作があります。「引き分け」は弓を起こした後の、発射準備の動作です。今まで私は弓を「引く」のだと思っていました。右手を使って引くイメージですね。
それは全くの素人考えで、実際には、左右均等に「引き分ける」というのが正しい表現だそう。引き分けが完成すると(「会」になり自然に「離れ」が起こって)矢が放たれるそうなんですね。
これはぐっとくる表現、使いたい表現だと思ったわけですね。(弓道の教科書を読んで、たまたま知りました)
ここからは自分の理解になりますが、弓を射る時には「弓を両側に押す力が完全に均等になった瞬間」がベストタイミングであるということ。それがバランスが良い状態です。言ってみれば「右手50%、左手50%」の状態。
これを実現するには、バランスの良い腕の筋力、それを支える足腰の鍛錬、心の安定、自分に合った道具の選定など様々なハードルがあります。それを鍛えて始めて「引き分け」という観点に到達するんだなと納得したのです。
なるほど「引き分け」は素晴らしい状態だな、と思ったわけです。勝った負けたの話が多い中ではありますが、自分の中では「引き分け」というバランスのとれた状態を目指していきたいと考えました。
余談にはなりますが、以前、仏教用語の「空」を英語で表現するにはどの言葉が適切かを皆で考えたことがあります。そこでのベストアンサーが「バランス」だったんですね。Air is balance.
この三浦梅園先生の玄語図がバランスそのものだなあと感じた次第です。「引き分け」という言葉、今年、より一層大切にしたい考え方です。
それから「溫故知新」について。
温故知新から溫故知新へ
「故きをたずねて新しきを知る」という言葉はご存知かと思います。昔の中にも、よいところがありますから、それをたずねて今を知るようにしていく。私なりに地元の歴史好きとして、大切にしてきた言葉です。
そして、昨年、先生に教えていただいたのが、「温」は本来「溫」という文字であるということ。「溫」は「温」の旧字(以前に使われていた字)で、「温」は「溫」の略字だそう。
元来の意味は牢に囚われている囚人に話を聴きに行くということなのでしょう。新たな思想を持った政治犯が牢にいるのは歴史を紐解いても良くある話ですね。キングダムで言えば、李斯ですね。
ここからはまた自分の理解になりますが、今私たちが囚われているのは、自分自身や、自分を取り囲む環境なのだと思うのです。人間は今までの自分が実行してきたこと、考えてきたことの一貫性の中にいます。
先生の言葉の中にある温故知新の意味を捉えると、「自分の中にある、前に習ったことや、昔の事柄を復習し研究して、新しい道理や知識を得る」ということになります。
「自分の中にあるもの」と「新しい道理や知識」が、「故」と「新」に対応しているのだとすると、そのバランスが重要です。
過去の自分と同じパターンだけを続けていることは、バランスが悪い状態なんだと思うのです。過去の自分50%、新たな自分50%で生きていく。それが大切なことだと思うわけです。過去の自分と新たな自分が引き分けている状態。実際には両側に向けて押している状態ですので、両側に向けて拡張している状態とも言えます。
内省と学び、歴史と技術の進化、様々に拡がっていきます。
とはいえ
思ったくらいでできるようなものでもありませんし、文頭で書いたように「抱負や決意を述べたところで自分がやらない人間であるということは重々」という話もあります。
しかし、ちょっと留意するだけでバランス感覚が磨かれるような気もします。
ここまで書いたようなことが実践できる人は、ごくごく限られた達人だけだと思いますが、2022年に向けてまずは留意しておこうと考えたことは、以上です。
書いてみて難易度の高さに驚愕していますが、「今まで」と「新しい」が引き分けるように、今後も学びを続けたいと思います。
間に今が拡がるような気がしています。
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