海外と日本の違い。アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアで、どう感じたのか?なぜ海外に住もうと思わなかったのか?〜頂いたコメントに答えるnoteの試み〜
はじめに
今回は、sugamariさんから頂いたコメントをインスピレーションに、というか、そのままnoteにしてみます。人間って、みんな自分に興味を持って貰えると嬉しい生き物だと思っていて、僕なんかはその最たる例です。だから、コメントで具体的に気になることを教えてくださったsugamariさんにはとても感謝しています。
コメントをするというひと手間って、実は結構エネルギーが要ります。なんとなく思うことはあっても、「見ず知らずの人にわざわざ伝えなくていいか…なんかめんどくさいや」となることが自分でもあります。
だからこそ、こうしたコメントを下さる他のnoterさんが大好きです。僕も、書く身として、コメントやスキの意義はわかっているつもりなので、最近は前以上に「反応」を積極的にしています。そして、それはやっぱり大正解で、「反応したからこそ生まれるコミュニケーション」のおかげで最近は趣味のnoteが今まで以上に楽しくなってきています。ありがたや!
では、早速本題に。
海外と日本の違い
海外と言っても、色々あると思う。
独断と偏見で、記憶に新しい3つに分けて考えてみたい。
①留学していたアメリカ
違いは、やっぱり言語。当たり前やん!(ごめんなさい)でも、ここで言いたいのは、言語が違えば、コミュニケーションの当たり前が違って、それが全体としては「社会の雰囲気の違い」に繋がっているということ。
まず、日本語と英語の一番の違いは、カジュアルさだと思っている。日本語でも、先生とか友達の親と対等に、フランクに会話は楽しめる。だが、英語を使っているときとは、全然違ったお話だと感じる。
例えばだけど、友達の親に「こんにちは!お邪魔します〜(会釈)」とするのが日本では当たり前。
でも、アメリカにいたときは、「はじめまして!お名前は?(ここから少し会話が始まって、お互いの学業とか仕事とかちょっとした近況について話し始める)」こんなパターンが多かったように思う。
違いは、ずばり「どれくらい踏み込むか」じゃないか?日本だと、というか、日本で生まれ育って後から英語を勉強して話せるようになった自分の感覚で言うと、未だに「英語圏ではこんなにパーソナルな質問をしても全然みんな気にしないのね」とか「初対面なのに、随分と会話の内容とか、接し方全般が砕けているのね」とか思う瞬間がある。でも、この「踏み込むのがウェルカム」な文化が結構俺はスキ。
これが、日本が嫌になって移住したりする人が「海外に感じる魅力」の1つかな?と思う。変に気遣いはしなくていい。聞いてもないのに、「こんなこと聞いたら嫌がるかな」とか考えなくてもいい。
非常に楽だ。言語のおかげだし、その言語で回っている社会のおかげだし、その社会で生きている人々の捉え方のおかげだ。「鶏が先か、卵が先か」ではあるけれど。
なんだか長ったらしくなっちゃったけど、言いたかったのは、アメリカと日本では、「雰囲気」が全然違ったよって話。
日本が嫌いな訳じゃない。大好きだ。でも、コミュニケーションにおいての気遣いに関しては「面倒くさいナ、駆け引きしないでもっと率直に物事言おうぜ?楽だから」とはよく思う。
アメリカで感じたこと
②100日ちょっと旅行したヨーロッパ
次はヨーロッパと日本の違い。ガラッと変わるけれど、建築とか、街の様式が全然違ったと思う。
何が言いたいかって、日本は良くも悪くも「伝統と最先端が共存する空間」な気がする。でも、ヨーロッパでは「伝統と歴史はそれはそれで残す」そして、「そことは切り離した別世界としてモダンなエリアを作る」って感じがした。
特にこれを感じたのはイタリア、ポーランド、フランス辺り。「旧市街」として、完全に区画分けがなされていた。あくまでも、昔からの歴史ある建造物をそのままの形で残すことが最優先事項って感じがした。もちろん、内装が綺麗に改装されていたりするんだけれど、外見は非常にトラディショナル。
これに関しては、全然アジア圏と違った価値観だなぁと感じた。それで、東南アジアを旅していたときに色々知恵袋とかを読んでみた。だから、その内容を少し振り返ってみようと思う。
ここら辺を踏まえると、妙に納得。日本の都市部の電光掲示板、ネオンライトとかのイメージ、そして、東南アジアの「ガチャガチャ感」。そしてヨーロッパの石造りの整然とした感じ(道のポイ捨ては恐ろしく多い。特にどこが汚かったかな?北欧の以外は、どこもゴミまみれだった印象笑)
ということで、ここでは「建築と街の雰囲気の違い」についてでした!
ヨーロッパで感じたこと
③1ヶ月くらい滞在した東南アジア
違いはズバリ生活。経済レベル、インフラ(道路、水回り)の現状、衛生面が全然違う。親にラオスの田舎の写真を見せると、「昭和初期の日本を連想させる感じ」みたいなことを言っていた。自分は昔の日本を知らないけれど、タイムスリップしたかのような感覚すらあった。
そして学校にいかないで農作業をしたり、親と一緒に道で商売をしている子どもたちを見ると、「全然違った社会がここには存在している」という現実と対峙させられたような気分になった。
東南アジアで感じたこと
他にも東南アジア関連の記事を貼り付けときますね!
興味あればどうぞ。
なぜ海外に住もうと思わなかったのか
正直、アメリカに住もうとは思わなかった。
車社会で、特定のNYみたいな地下鉄がある都市じゃないと、車がない人に人権はない。テキサスで留学していたのだが、そこが地元で台湾に留学した友達も「なんかアメリカだと(車がないと)動けなくて窮屈な感じ。台湾の公共交通機関が恋しい」って言ってた。
そして、スーパー資本主義社会で、競争がキツいと俺は感じた。別に勝負が好きなタイプじゃない。だから、「成り上がってやる」みたいな勢いのある人たちが多い都市にいくとなんだか違和感を感じてしまうのかも知れない。
そして、当然貧富の差が激しい。白人の居住区域と、貧しいヒスパニック、黒人の住む地域ははっきりと区画分けされている。日本でも、在日の方が多いようなエリアはもちろんあるけれど、露骨すぎて、辛かった。
スーパーマーケットも、どれくらいお金を持っているかによって「階層化」されていた。お金がある人は、ピカピカな場所でオーガニック食品を購入し、貧しい人は、散らかった店内でオーガニックとかと比べると安いけど品質が低いものを買う。当然といえば当然だけど、こんなにあからさまにしなくてもいいのに。そう思った。
あとは、国のイメージとして、超個人主義(ハイパーインディビジュアル)な感じがあると思う。それもあんまり好きじゃなかった。「我先に」「自分が自分が」って言わないと、押しつぶされてしまうような、競争性の高い社会に見えた。
あまりにも偏った意見かもしれないし、今は「住もうと思わなかった理由」について書いているから、ネガティブな部分ばかりなんだけども。まあ、そんなわけで、俺は仮にリッチになったとしても、わざわざ選んでアメリカには住みたくない。そう思う。As of 2024.
でも、ドイツのベルリン、イギリスのロンドン、スペインのバルセロナ、オーストラリアのシドニー、もしかしたらアメリカのニューヨークには興味がある。多様性溢れる社会で、面白いやつに会えそうだから。そして、良い生き方している人が多い感じがしたから。あとは、町並みの雰囲気がモダンとトラディショナルが良い感じで混ざっていて好きだったから。
もし、仕事を頑張る中で、海外案件のチャンスが与えられたときには、迷わず飛びつくと思う。若いうちに、色々見ないと死に際絶対後悔するもん。そんな気がする。だから、とりあえず、今は外に外に自分の価値観なりなんなりを広げていって、絞るのはもうちょっと後でいいかな?と思っている。
さいごに
気付けば1時間ちょっと、トイレ一回行っただけで、ノンストップで書いていた。疲れた。今日はおしまい。
初めての試みだったけど、やってみて、楽しかった。そして、自分の財産がまた増えた気がした。人に質問してもらうと書けるけど、自分じゃ書き残さないnoteが増えた。
自分のエゴだけでnoteをやるのも良いけれど、誰かが興味を持ってくれている内容に、まっすぐに答えるのも大事よね。
長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます!
また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋
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僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。