見出し画像

新卒入社から4週間経過した今思うこと

以下は同期のnoteの引用です。

少ない時間でやりたいことを最大限やって、充実感の密度が大きくなった感じ。

体の動きと呼吸に集中していると、頭が空っぽになって余計な雑念が消え去る

入社してすぐに、面白い人間がたくさんいる!楽しい!!と目をキラキラさせるようになった。

100人超えの同期、自分のキャリアや目指したいこと、大学でやってきたこと感じてきたこと、そういうことを話せる人間性豊かな人間がたくさんいた。


今は、ゴールデンウィーク前半の最後のお休みの月曜日の昼ちょっと前。地下鉄に乗り、友達と奥多摩の方まで「ビルから離れ、自然で心を浄化するドライブ」に行く予定の待ち合わせに向かっているところ。

そう、note書きたいと思ってたんだよな。社会人になってから早くも4週間が経った。たくさんの感情、考え事が頭の中を忙しなく行ったり来たりしている感覚だ。そんな時こそ、趣味のnote(書くこと)。

だが、平日はもうパソコンなんて触りたくない。座って画面はもう十分見つめたから、なにか他のことをさせてくれ。そんな感じ。

休日だって、楽しみにしていた友達との予定で外に出ていると、帰ってきた頃にはかなり疲れていて、やっぱりパソコンでなにかする気はあまりしない。

暇がある時は、もっともっとたくさん書いていたし、書けるだけの体力が残っていた。余裕があった。それが、新卒研修での大量のインプットと、ありがた過ぎる「やす東京ついに来たのね会おう!」で調子に乗って出かけまくってしまうことの掛け算で、全然余裕がない。

しかし、余裕とは生み出すものだ(苦し紛れ)笑 社会人になった今、今までよりも、戦略的にやりたいことをやらないと、やりたいことが溜まる一方になってしまう。すでに働いている仲間からよく聞く「社会人はマジで時間がない」を本当に理解した。

前置きが長くなった(すでに770文字)が、そんなわけで電車で、同期が書いたnoteに感化されて、サクサク書いている。あ、ごめん。タイトル、まさに俺も同じこと書きたかったのでパクりました。

書いている時間ってやっぱり落ち着く。書くことしか頭にないし、先ほど書いたような、頭の中の落ち着きのないモノたちを、一旦整理整頓する感覚でもある。

よし、前置き終わったかな。こんなもんだろう。ここからは、本題というか、感じるなどについて書いていきたい。

充実感

より少ない、限られた時間の中でだからこそ感じる充実感がやっぱりあると思う。同期のおっしゃる通り。

今までは、ほぼ一日中自由みたいなのがある意味で当たり前になっていた。そのありがたみは、十分に感じていたつもりだけれど、人間はやはり今ある自由を失ってみないとその「本当のありがたみ」には気づけないんだと思った。

別に人生は生産性の競争でもなんでもない。のんびり無意味に過ごすこともすごく有意義だと思うけれど、その限られた時間の中で、より多くを欲張りたい気持ちも大きい。だって、毎日が新しい冒険で、何が起こるかわからなくて、明日になったらコロっと死んでしまっているかも知れない。

さっき、朝の変な時間なのにちょっとだけ昼寝をしていた。なんか眠くて、ちょっと寝たら、多分すごく深い眠りだったのか、1日がまた一から始まったかと思った。二度寝する前に、公園で90歳のお爺さんと2時間とか話していた。その内容が、どこかにすっ飛んでしまったかと思って一瞬心配になった。でも、覚えていた。

今朝8:00頃

人生で常に自分は、「忘れたくない」と思って生きている。急に哲学的で悪いんだけど、生きてる意味が欲しいじゃん?忘れちゃったら、何かは残っているにしても、他の人にそれは伝えられない。そしたら、忘れちゃったことは、自分にとってのなんらかの肥やしになっているとしても、なかったのも同じ。そんな風に極端に考えてしまうのが自分なのだ。

皆様は、この僕の忘れたくないという感覚に共感いただけるでしょうか?!もし、全然違った感覚を僕に説明してくれる方がいたら、是非コメントから、楽しみにしてます!

忘れたくない話で思い出した。ある日、自分は夕方のオフィスからの綺麗な夕焼けを見て、「綺麗だけど、どの綺麗な夕日がどの日のものだったかって全然思い出せない。もっと、記憶に残る毎日が過ごしたい」そう思った。

せっかくの良い天気でも、オフィスの中でずっと座っている。講師の発言と、パソコンの画面と、仲間たちの発言に集中している。あまりにも極端だ。

でも今、これ一色の生活をするからこそ、未来では、自分が自由を主張出来る世界線が待っているんだろうな。

ずっと鮨詰め状態に関しては文句が言いたい。もっと人間らしく、好きな時間に好きなところに行きたいし、パソコンは1日に4時間もやれば疲れるから、それくらいで抑えたい。文句ばっかりじゃねえか自分。

でも、今は何も出来なくて、会社のお金で教育を施して頂いている身分に過ぎない。だから、つべこべ言うのは筋違い。第一、この会社組織で仕事をすると言う決断も、自分が悩んだ末に辿り着いたものだ。だから、トータルで言えば、全く文句はない。

もうちょっとお散歩とかを自由にさせてくれ…とは思う。頭だってその方がよく働くんじゃないか?とか思う。でも、自分で働くと決めた会社のルールなので、言うこと聞きます。

ここまでは、社会人になってから感じる制約、少し息苦しい部分についての話だった。ここからは、同期も書いていた、面白いと感じる部分について書こうと思う。

まず、100人以上いる同期と一気に初めましてして、一緒に研修を受けながら、グループワークもする。なんという量!人生を振り返ってみると、一度に出会う人の数のマックスは、中学校の教室にいた約40人ではないだろうか?今回は、特例中の特例。

自分は人に興味があるし、おもろいやつと出会うのは大好きだ。だって、人生楽しくなるから。本当に個性豊かで、相当クセの強い、尊敬出来る同期がたくさんいる。良い会社を選んだ。

だけど、明らかに情報量過多。先輩社員も含めて、本当に趣味を突き詰めていたり、色々とおもろい。もちろん、仕事も本気で、頭がキレるタイプの先輩たちは、一瞬話せばわかる。でも、怖くはない。ロボットじゃないから。頭が良くて、非常に論理的で、物事をよく知っているけど、人間味溢れる人たちばかりだ。

会社の文化ってやっぱり大事。ここに、自分と全然違う価値観の人が仮に、「間違って」飛び込んできていたら、非常に居心地が悪いんだろうな。でも、俺にとっては、ちょうど良い居心地の悪さ。というのは、今で見ない珍しいタイプとの出会いが多くて少々困惑しているだけなのだが。

留学とか、旅とかで、いろいろな系統の面白い人間たちに出会ってきたという自負があった。しかし、同期の中では、「こんなタイプのやつが存在したのか…!おもろい。」と思うことが複数回今まであったし、これからもあるんだと思う。

中学に上がった時は、他の小学校出身の人たちは、なんか雰囲気が違うと感じた。高校に上がった時も、地元の公立中学とは空気感が全然違うと感じた。大学に行くと、もっと世の中にはいろいろな種類の人間が存在しているんだと思った。留学した時は、人生観が日本で会う人たちと比べてすごくユニークな人が多いし、自由にのびのびと生きている人が多いと感じた。

今回、会社に入ると、自分は今まで外ばかりずっと見ていたけど、国内の会社の中にもたくさんの違ったタイプの人たちがいて、多様性を全面に感じた。

おかげさまで、毎日が楽しい。同期たちと話していて、全然毎日を生きている感覚が違うんだろうなあと思うこともある。でも、それがすごく刺激的だ。

文句混じりみたいな文章にはなったが、新卒研修で、積み上げていけば確実に自分に返ってくる内容を、給与を発生させながら勉強できている。業後は思い切り大学生の時と変わらぬ楽しみ方(食事と飲みが多くなるが)ができている。

非常に充実感のある毎日が過ごせている。今日みたいな休日は、平日のおかげで「ありがたみ大増量」って感じがする。

地下鉄を気付けば17駅分も移動している。乗り換えてあと少しで到着だ。ドライブ楽しみだな!京都のメンバー(二人とも首都圏に実家がある)とこうして変わらず遊べる喜びを、二人と会う前から噛み締めている。今日も朝から人生の大先輩とたくさん公園で話し、二度寝し、今からドライブ。noteも書きたかったことが大体書けた。

気付けば3500文字!文字数が多いと読むのが大変なのはわかっていながらも自己満足なので気にしていません、ごめんなさい笑 でもフリックでずっと書くのも結構疲れるので今日はこれくらいで。

皆様、良い一日、ゴールデンウィークをお過ごしくださいね!

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次のnoteでお会いできるのを楽しみにしています!

僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。