見出し画像

沖縄県民として、ひろゆき氏の発言に不快感を示さず、まじわらない論点を元地方議員の立場から3つに要約します。

『座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?』

10月3日 Twitterにて

10月3日に投稿されたひろゆき氏のつぶやきが炎上していますが、

これ沖縄の問題に鋭くメスが入ったと、
筆者は思っております。

元議員の立場として、
そもそも問題を提起することの難しさがありまして、

どこに「点」を打つか?

どれがどの様に問題なのか?

それを端的にとらえて、かつ問題が重層的に浸透する。

ヒップホップでいうパンチラインがとても大切です。

今回、めちゃくちゃパンチラインが効いていますね。

すぐ分かるイシュー、問いかける一瞬。

そんな感じです。

さらに、基地問題から派生し、あらゆる方向に問題提起がシナプスの様に広がっているのが秀逸です。

そもそも「トリックスター」や「芸人」というものを定義した時に、タブーに切り込み、常識を覆すというものがありますが、
今回ひろゆき氏がしたことはまさに、トリックスターだったと思います。

少なからず、沖縄県内でも、この看板に違和感を持っていた人は確実にいますし、

私自身愛する沖縄だからこそ、
「え?これでいいの?」
と思っていました。

保守、革新の立場で感情的にどうこうではなく。

しっかり思いを訴えるからこそ、誤解が生まれるのは良くないと思っていました。

地方議会での数年を振り返ると、
「沖縄を再びいくさばにしない決議」なるものがほぼ全市町村に送付され、
地方の事務範囲を超えた性質の内容の陳情が出されるなど、不思議な状況でした。

今回、ひろゆき氏が示した問いかけは、

本来、
二分している沖縄の中から出される議論であったかも知れません。
なぜ、違和感を持っていたにも関わらず、
多くの県民が見過ごしていたのか。

それはまた別の議論としまして、
今回の交わらない論点をまとめますとこうです。

□「座り込み」と表現する者と、受け取り手の解釈の整理

□「マイノリティの民意」という立場の整理

□後は「感情」と「論理」の整理

じゃ筆者はどう考えているのか?というと

今回の一件においては、

ひろゆき氏は明確に疑問提起をしたと思います。

「態度が舐めてる」「敬意が無い」と、
感情的な話しに持っていく必要はありません。

今回の一件で、疑問に感じるのは以下であり、ひろゆき氏という一個人の発言に、歴史感や経緯などを紐付けて、「怒り」に変換してしまうことに違和感があります。

また、
□沖縄県民の民意の集大成が、この「カウント看板」であるという前提。

□ひろゆき氏は沖縄県民の総意を踏みにじっているという様な批判。

□背景を知らない人が、簡単に基地問題に触れてはいけないという風潮。

この看板を設置し抗議している人の中に、
沖縄県民以外の方がいるのと同様に、

基地問題は沖縄県民だけの、
専売特許ではありません。

日本全体で考える問題であり、

抗議のあり方も日本全体で考える問題です。

筆者が嫌いな言葉で、

「全て沖縄に押し付けられてきた」

という被害者意識です。

確かに基地の割合は大きいですが、
他の県にも基地はあります。

先の戦争で確かに沖縄は唯一の地上戦でしたが、

唯一の原爆を経験した県もありますし、
大空襲を受けた県もあります。

筆者が言いたいのは、沖縄県民は決して捨て駒では無く、
日本人として一緒に苦しい経験をしたということです。

じゃないと、
沖縄で戦った先祖の御霊こそ浮かばれません。

筆者は思うのです。

沖縄よ、
いつまで被害者意識でいるんだと。

沖縄よ、
かつては琉球王朝として、

したたかに地の利を生かして、

豊かな立場を作ってきたろうにと。

空手の精神があるだろうにと。


今回、ひろゆき氏は大事な問いを、

被害者意識という沖縄の感情論を、

確かに逆撫でしました。

しかし、その逆撫では多くのブーメランを生み、
多くの矛盾を表立てました。

そして、沖縄県民として、沖縄県民に言いたいのです。

あの戦争は沖縄だけが被害者じゃない。

みんなで戦った。

自分たちだけがいつまでも被害者という、

抱っこにおんぶな立場をとるなよ。

これから先の子ども達に、

私達は沖縄という不遇な場所に生まれたというのか?

沖縄という強くて、歴史的に何度も立ち上がってきた場所に生まれたというのか?

筆者は言いたい!

座り込んで何日目より、

立ち上がって何日目と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?