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アイデンティティは時間軸、頑固になるにはよるべなし。

アイデンティティなんていうけど、どの時間軸にピンを打つかで変わる。
さて、こだわる必要があるのか。


「イデオロギーよりアイデンティティ」

故翁長前沖縄知事が大同小異の抽象度で、
辺野古移設のワンイシューを浸透させたことで今がある。

また、
女系天皇は日本のアイデンティティの崩壊に繋がるとし、
こちらも争点となっている。

アイデンティティとは何であろうか。

「自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚」
日本語では「自我同一生」「存在証明」と訳すこともあると。

最近、この「アイデンティティ」に違和感があるので、言語化しておく。

私は沖縄生まれ沖縄育ちであり、アイデンティティは沖縄だと思っていたが、

最近なんだか、心置けなくなってきている。

私の「アイデンティティ」は沖縄県民です。

というのなら、

歴史を遡って、Googleマップの様に時間軸にピンを打つとした場合、

私のアイデンティティのピンは現在の「沖縄県」が設置された時ということか。

1879年の琉球藩から沖縄県になった時からか?

いや、そんな「県」とか「班」に由来しているものでは無く、

もっと琉球の時代だとか、深い歴史の奥にあるはずだろう。

では、15世紀の初頭、三山統一の瞬間か?

いや、その前である。

それなら、グスク時代?貝塚時代?

そもそも、沖縄県民である前に、日本国民であることに、

アイデンティティを持っていたとしても、

日本国民のアイデンティティの象徴である

初代天皇が生まれた瞬間なのか。

その前の日本に住んでいた人は?

縄文時代に「日本国」という概念は無い。

では、彼らは確実な先祖でありながら、

彼らとはアイデンティティは繋がらないのか。

人それぞれが理解できる限度や、思考停止、思考が空中分解するところを
「バカの壁」というそうだ。

この問いも、必ずバカの壁が立ちはだかる。

さて、今現在に戻ってきた時、

多くの問題は、アイデンティティで分断が生まれている。

そんな不確かな線引きで、
「私のルーツは何人だ」など。

とても無常な議論であると感じる。

この「アイデンティティ」という、不確かな拠り所の無い執着を手放すのはどうだろう。


そもそも、人類は同じ人類であるし、そんな人類で定義する前も、

ホモサピエンスが結果残っただけであり、
多くの人類になり得た種族もいた。

脊椎動物になる前は無脊椎…。

「生き物が生まれた瞬間」にピンを打てば、

「地球全体で生命である」というアイデンティティが持てる。


中国が危ない、アメリカが危ない…。

女系天皇が日本のアイデンティティを壊す。

辺野古移設は沖縄県民のアイデンティティを壊す。

アイデンティティが摩擦の原因になっているのなら、

同じ「地球人」として、考えていけたらいい。

その解決策の一つに、

真剣に、宇宙人が現れることだと考える。

そしたら、「地球人」というアイデンティティが一瞬で生まれる。

その後は、また「銀河人」とか。

ミクロになる可能性だってある。

「量子人」とか…。

とにかく、それほど不確かなものが「アイデンティティ」である。

なので政治的な判断においても、

あまりアイデンティティは役に立たない。

「諸行無常」である。

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