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ゼロからはじめる楽しいイベントの作り方

利己的なベジタリアンで少し書いたように、昔立ち上げたイベントが予想外の反響となった。大きな資本もなく、個人の持ち出しもほとんどない。当然ほとんど利益は生み出さないけれど、継続出来るくらいには回っていて、すごい勢いで年々規模を拡大していった。

その立ち上げの直後、縁あって友人のイベント・講演企画の団体を引き継ぎ、独立した。ボランティアのイベントとは違い、本業なので利益を出さなければならないが、それが出過ぎるとイヤラシイイベントになる。やっている自分たちも楽しくない。

それにせっかく独立したのだから、面白いことをいろいろやってみよう、といろいろ手を出したおかげでたくさんの失敗も経験した。

そんな失敗は重ねたけれどもやっぱりイベントって楽しい。これからやるなら…を想定し、準備のために、考えていることをまとめマス。


◇◇イベントの構成要素◇◇

◇場所・空間

出来たらイベント慣れしていないところ、自由度が高い場所は、何かとハプニングに見舞われることも多いけれど、イベントの柱である”集客”の部分でも、興味のない第三者を誘って行ってみたい、と思わせられる可能性も高いので、イベントはさておき、行ってみたい場所・空間作りがとても大切。もしくは、わざわざ足を運ぶに値する、その日だけの特別体験をどれだけ盛り込める企画・体験出来るようにするか。


◇参加者

集客できるキーマン、メインのターゲット層はどこか、ということ。これは必ずしも≒お金を落としてくれるお客様、ということではなく、熱い思いで関わってくれそうな人たちのこと。例えば、音楽系のイベントの中には、参加者がほぼミュージシャンだった、ということは少なくない。これはこれで、濃い体験が出来たりするので満足度は高いし、人数がいるので、いろんなことは出来る。ただ、継続性とか発展性とか少しの収益性を考えた時(というかもっと楽して楽もうと思う時)は、いい意味でヨソの力を借りる、乗っかる方法がいいなぁ、と思うこともある。


◇お客様

これは、どんなイベントでも必要経費は発生するので、当たり前だけど、お金を落とすお客様は必要。ただ、”お客様”として、おもてなしに精を尽くすという努力と共に、そのイベントを熱い思いで支持してくれる人、もっというなら運営側に興味を持って、手伝いたいと言ってもらうくらいの人を、どうやったらスカウト出来るか、という目線も大切。イベントは必ず人手がかかるので、いかに前のめりで関わってくれる人を増やすか、ということは運営だけでなく、集客にも影響する。


◇集客

イベントの目的にもよるけれど、人が集まらないことには、イベントする意味がない。目的によっては量より質が大事な場合もあるし、少ない集客でも収益性が高いこともある。それでも、発展して、継続していくためには、というかまず開催するためには、集客が何より大事。例え、利益出なくても人が集まった成果は後から何かに化けることもあるので、すごく重要。とはいえ、初回の場合何よりも難しいのはここなので、基本の考えとして、何らかの団体・集団を巻き込むことがマストだけど、お願いするだけでは受け身の参加者を増やしかねないので、お互いにメリットがある形で関わってもらう、何らかのメリット要素をイベントに盛り込むなど、複数の集団がいい感じに協力し合うことが美しい着地。あと、楽しむためにはいくら集客力が高くても、違和感のあるような人は呼ばない勇気も大切。


◇運営

それぞれの得意分野を持ち寄る、ことを原則にする。人をつなぐのが上手い人、企画や戦略を練るのが得意な人、モクモクと作業することが出来る人…などなど、理想論かもしれないけれど、イベントのような形のないものは、無理しようと思えばやることは無限にあるので、それぞれが強みを出せる部分のみ関わる、くらいがちょうどいい。逆にいうと、自分の強み弱みをしっかりと分かっている人たちで、運営の中心メンバーを固めないと、不満や不公平感が充満して大体モメる。


◇社会貢献要素

これは私の考え方だけど、何かいいことのために頑張ることは、人の協力を得やすいし、受け身の人より、積極的に参加してくれる人を集めやすい。だからといって、前面に押し出すと暑苦しいし、偽善!とかの批判を受けやすいので、ほどほどの頃合いが難しいけれど。私のために、会社のために、団体のために、というよりもうちょっと広い、日本のために、世界のために、子供たちのために、くらいが共通認識となるくらいな。


最近は、参加する側としていろんなイベントに行く。始めたばかりのアイリッシュダンスの繋がりで、アイリッシュ系のイベントに幾つか参加。やはりメインの参加者がミュージシャンかダンサーとなるので、濃い体験が出来てどれもとても楽しい。

そんな刺激を受けながら、これからの野望を描く。

母になってみて、子連れで出かけられる場所って、制限があり過ぎることに気づく。大人が楽しい場所は子が退屈で、逆もまた然り。特に音楽系のイベントはほとんど行けない。行ったっとしても、子か私がどちらかの我慢が必須だ。

例えばライブをするにしても、娘と共存するには、私がフラを歌って娘が踊るか、私が歌うボサノバに娘が何らかの楽器で参加するか、はたまた、子供向けの歌をアイリッシュアレンジで弾いて、娘が踊るのか…。

何れにせよ、自分が心地よい音楽の発信の場は、自分で作る他ない。手始めに買ったポータブルのキーボードで、また、何らかのカタチで歌い出そう。



以下、昔のイベントの立ち上げ話。(利己的なベジタリアンより引用)

そういえば10年ほど前、仲間たちとエコロジーイベント(アースディ神戸の前身)を立ち上げた時にもそれを感じたことがある。
イベント立ち上げのきっかけは、東京のエコロジー・エシカルな商材を扱うメーカーさんたちに、関西の商圏が関東に比べて小さすぎるのを何とかしてくれないか、というぼやきから。当時の東京はすでに駅チカでオーガニックコーヒーが飲めるほどだったけど、大阪ではエコバッグの普及さえ怪しいほどだった。
そんな大げさなことを、自分たちで何とか出来るとも思ってもいなかったのだけれども、バタフライ効果くらい、何かの足しになればいいか、くらいに気楽に始めた。
結果的に、そのイベントは当事者の誰の予想よりも盛り上がり、その流れが発展して、今では1万人を超える規模のイベントになっているらしい。
そのイベントを考えていた時、東京と大阪の違いとは何か…とたくさん議論した。そして、その一つ、エコが大阪に根付かないのは、”ええかっこしい”やと思われたくないんちゃうか、ということ。
ならば、打ち出し方を、変えよう、と。
東京アースディはほんとカッコ良く、アーティストも一緒になって、地球を!環境を!とやってたけれど、あえてそれを全面に出すのではなく、お祭り推しにしよう。美味しいもの食べにきたついでに、気がついたら体や環境に良いものに囲まれてた、出会ってたみたいなのにしよう、と。そしてまず企画・主催する自分たちが楽しもう、と。
なので、初回は商店街の人巻き込んだり、地元のBarで飲み歩くついでに集客したり、だいぶ地元カラーが強く、東京勢からも濃い大阪ノリが逆に新鮮だ、と好評だった。

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