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こんな物語を誰が予測できただろう。ー予測変換機能で紡ぐ物語

[まえがき]

葛藤と、迷いと。復活と。『お久しぶりになってしまった理由。』


こんにちは。お久しぶりです。最近、全然noteが更新できていませんでした。理由は、色々あるのですが、

1つ目は、TOEICの試験などで忙しかったこと、

2つ目は、自分が書きたい文章が何かを見失ってしまったことです。

特に、2つ目はかなりでした。予測変換物語というシリーズを始めて、毎日投稿にチャレンジしたわけですが、自分にはそれが向いてないということが分かりました。そんな毎日のように、自分が納得するクオリティーのものを書くことはできないことに気がついたのです。そして、自分が納得いかない文章を書き続けることを苦痛に感じるようになりました。そのため、毎日投稿は終了することにしたのです。

予測変換物語シリーズを書いていると、それだけで満足してしまって、自分が本当に書きたいものを書くことができなくなっていました。

そうやって、悶々としていた時に、出会ったのが『読みたいことを書けばいい』という本です↓↓

この本には、ものすごい衝撃を受けました。とても共感し、そのとおりだなと思ったのと同時に、自分がどんな文章を書きたいのかということを考えるようになってしまったのです。

この気づきはとっても大きなものでした。noteを始めて半年ぐらいが経ち、当初は考えられないくらい、多くの方に読んでいただけるようになりました。文章を書くのがどんどん楽しくなる一方、自分が本当に書きたいことというのを見失いかけていたんです。

これは、ある程度まで文章を書き続けたからこそぶつかる壁であり、ぶつかった時に、この本に出会えたことはとても幸せなことでした。

そして、考え始めてしまった私は、文章を公開することができなくなってしまったのです。下書きには、たくさんの書きかけの文章があります。書いては消して、書いては消しての繰り返しでした。

自分がどんな文章を書きたいのかを見つけるために、たくさんの方の文章を読ませていただきました。「読みたいことを書けばいい」の筆者である田中泰延さんの文章はもちろん、noteのクリエイターの皆さんの文章をしっかりと読ませていただきました。

そして、ようやく、どんなことが書きたいのか、自分の中で分かってきたような気がします。まだ、うまく言語化できないのですが、光が見えてきた感じです。

そして、今まで自分が書いてきた文章の中にも、自分が本当に書きたい文章があったことに気が付きました。

それらの多くはやはり、たくさんの方に読まれていて、たくさんの反応を頂いています。私は、できればそういう文章を読んでほしいんです。

しかし、現在の私のnoteのクリエイターページは予測変換物語で埋め尽くされています。自分が本当に書きたい文章ではない文章がたくさんあるというのは私にとって辛いことでした。

ただ、削除すればいいかというとそうでもありません。このnoteは多くの方に読んでもらいたいという思いがある一方、自分の成長の記録のために書いているという思いもあります。そういう面で見ると、失敗作を完全に削除するというのは避けたいところです。

だから、今回、予測変換物語を、この1つの記事にまとめさせていただきました。

もし、これから私の文章がどんどん上手くなって、多くの方に読んでいただけるよになったとき、最初から完璧な文章が書けていたと思われたくありません。

たくさん悩んで、どうでもいい文章をたくさん書いてきたんだよということを記録するために、ここに残しておきます。

とっても長いです。この「まえがき」まで合わせると、40000字弱はあるようです。一日に一話ずつでも。「まえがき」だけでもいいので読んでくださると嬉しいです。

これからも、自分が書きたいことを書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくおねがいします!




#あ

#あ
あ、、、ありがとうございました♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


一日目。今日は、「あ」です。

できた文章が↑。

冗談のようですが、ほんとです。

でも、なんでなんだろう?♪マークなんて使ったことないのに。

ありがとうございました。

この言葉は、意識的に使うようにしています。

使いすぎて、いつも以上の感謝の気持ちを伝えたいときは、どんな言葉を使ったらいいのかわからなくなるけど、やっぱり「ありがとう」が一番。

この言葉を言われて嫌な思いをする人なんているのでしょうか?

「ありがとう」というと自分にも返ってきます。

自分も幸せな気持ちになれる。相手も幸せにさせることができる。

そんな魔法の言葉が、一日目から出てきてくれたことは、嬉しいし、ホッとしています。

あ、やらせじゃないですからね。ほんとに。

って言うのを、言えば言うほど怪しくなってしまうこの難しさ。ほんとですよ。

今日も一日、感謝の気持ちを忘れずに、過ごすことにしましょうか。




#い

#い
いい疲れてた気がすることで忙しいかなことするんだ。

二日目。できた文章が、これ↑です。

これは、、、。難易度が高いですね。

まず、文章になっていない。

それでも、分析していきましょう。

まず、「いい疲れ」という部分。これは、友達と会話していた内容から来ていると思われます。

高校生活が疲れるという話から、でも、いい疲れってあるよねという話に発展していきました。

いい疲れとはどのような疲れなのか。

いい疲れと悪い疲れに分けるとすると、

「あぁーー、疲れたぁ⤴︎。さて、noteでも書くか。」
というのが、いい疲れ。

その反対に、

「あぁーー、疲れたぁ⤵︎。もう、今日したことは二度としたくないな。」
というのが、悪い疲れです。(伝わるかな、、、?)

疲れというにも、2種類あって、充実感を伴うものと、ただ消耗するもの。

というところでしょうか。

それはひとまず置いといて、その先を読み解いていきましょう。

「気がすることで忙しい」

文章的に全く意味が通ってないですが、無理矢理こじつけをします。

うーん。

忙しいと思うから、そんな気がするだけなんだ。ということなのかなと思いましたが、そうすると、その前と関連がないので、違うのかなぁ。

忙しいと思うから忙しいだけなんだ。

投げやりにも聞こえる言葉ですが、意外と、真実だったりするのかもしれません。

うーん、他の解釈の仕方、、、。

いい疲れだったから、忙しいかったはずなのに、振り返ってみると、「忙しかったのかな?」と疑いたくなる。

わかりにくいですね。つまり、

めちゃめちゃ忙しい1日だったのだけど、1日の終わりには、充実感が漂っていた。(=いい疲れ)
だから、ほんとに忙しかったのかな?と思った。

ということです。(どういうことや!ww)

はい。そろそろ分からなくなってきました。とにかく、今日のキーワードは、

「いい疲れ」
「忙しい」
のふたつだったと思います。

同じ忙しさだとしても、それが自分にとって意味があることだったら、1日の終わりには「いい疲れ」を感じているでしょう。

反対に、無意味だと思うことに時間を忙殺されていたら、「悪い疲れ」に襲われると思います。

皆さんの、今日という1日は、

「いい疲れ」

が残るものだったでしょうか?

今日も、一日、お疲れ様でした。

明日の終わりには、「いい疲れ」が残るように、頑張っていきましょう!



#う

#う
嘘ついたんか?

3日目。これ↑です。

うわぁー、綺麗な文ですね!昨日に比べると、精度が格段に上がったみたい。

って、内容!内容!

いや、これは笑うでしょ。

一人で、爆笑してしまいました。

嘘ついたんか?


Siriがそんなこと聞いてきます?普通。

嘘ついたっけ、、、、、?

ついてないと思うんだけど。

しかも、語調が偉そうだし!そこが、また面白い!

私たちは、小さい時から嘘はだめだと教えられて育ちます。

でも、成長するうちに、世の中には、大なり小なり、嘘が溢れていることに気がつくんです。

そして、自分も試しに嘘をついてみようとします。小さい子供を見ていると、ある時期になると、嘘をつくようになります。

「おしっこした?」

「ううん」

(チェックして)
「してるじゃん!」

みたいな感じです。ここで、嘘はダメだよとまた教えられます。

でも、また、嘘をつくのが好きな時期があるんです。今度は、もう少し大きくなってから、

この時期は、嘘をついた後に、

「嘘だよーーーーん!」

ってつける気がします。嘘をつくことが楽しいのでしょう。

満面の笑みで、面白くもない嘘をついて、

「嘘だよーーーん!」

っていうので、こっちも笑ってしまいます。

小さい時は、嘘は一律にダメと教わりますが、もう少し大きくなると、楽しい嘘と、つかなければいけない嘘があることにも薄々気づきはじめます。

赤ちゃんの顔なんて、みんな同じに見えるのに、人の家の赤ちゃんを見ると決まったように、

「まぁー、かわいい。利発そうなお顔。」

っていうとか。(もちろん、赤ちゃんは全員かわいいに決まってます!)

そういう「嘘」を見て、子供は社交辞令というものを学んでいきます。

でも、この社交辞令。結構、重要なもののような気がします。

なぜならば、相手に向かって敵意がないよということを手っ取り早く示すことができて、人間関系を潤滑にすることができるからです。

社交辞令だろうと、そういう言葉をいうということは、少なくとも敵対心を持っていないということ。

相手は、社交辞令と分かっていても、嫌な気持ちにはならないでしょう。

全部が全部、本音の世界なんて、辛すぎるし、考えられません。

そんな世界がいいという人ももちろんいるでしょうが、私はあまり魅力を感じません。

自分が言いたいことだけをぶつけ合って、それで満足して、争って。そんなことを繰り返すくらいなら、もっと、生産的なことを、プラスの感情が生まれるようなことをすればいいのになと思うと思います。

そして、楽しい嘘があることも学びます。

俗にいう、「ジョーク」っていうやつです。

その嘘をつくと、周りが「ワっ!!」ってなって盛り上がる。場をなごます事ができる。

嘘は必ずしも悪い面ばかりではないようです。

でも、もちろん、悪い嘘だってあります。

嘘をついたせいで、傷ついた人だってたくさんいるでしょうし、憎しみが生まれる事だって多々あります。

嘘は、考えてつかないとダメですよって事ですね。

そして、もう一つ他とは違う嘘があります。

それは、

自分に対してつく嘘。

自分の気持ちに対してつく嘘です。

自分が感じていることに逆らって、自分を騙して、生きていく。

ほんとは、自分がやりたいことはこんなことじゃないって気がつているのに、ずるずると自分に嘘をつきながら時間が過ぎていく。

「もうちょっと続ければうまくいく」

「今、不調なだけだ」

そうやって、時間を過ごしていませんか?

嘘ついたんか?


自分に嘘をついていませんか?

どうせ嘘をつくなら、人を楽しませるような、嘘をつきましょう。

やっぱり、自分に、嘘をつかないように、生きていきたいものですね。



#え

#え
絵の具である企業で実際には常駐の。


うわぁーーーー。わけわからんのキタァーー!

なんじゃこりゃ!どうやってこじつけたらいいんだ。

どーしよ。どーしよぉ〜〜。

まず、絵の具なんて入力したことあったっけ?記憶にある中ではないぞ。

しかも、絵の具と企業のコラボレーション。に続けて、「実際」と「常駐」のダブルパンチ!!

痛いよ、、、。接続詞も的外れだし。

Siriさん、どうしたの?

って言いたくなるけど、もともと文を作るためのものじゃないよね。単語は提案してくれるけど。はい、こっちが悪いです。ごめんさい。

っていって、なんだかんだごまかそうとあがいてみたけど、もう、逃げ切れなそう。しょうがない、なんとか読み解いていくことにしますか。

まず、

「絵の具である企業」

これは、結構深い意味がある気がする。(というより、意味を付けなくてはならない。)

企業って絵の具みたいなもんだよね。って言いたいらしい。

絵の具って、それぞれの色があって、真っ白なキャンパスに自分がすきなようにすきなものを描いていくためのもの。

絵の具だけあってもどうしようもないですよね。食べられるわけでもないし、、、、。

でも、それを、「道具として」使うことで、人を笑顔にしたり、楽しませたりすることができる。

そうやって初めて、価値が出てきます。

企業っていうのも、そういうものなのではないでしょうか。

企業自体は、ただの紙切れです。紙に、会社名とかなんとかが書いてあるだけ。

それだけでは、器みたいなもので、価値はありません。

でも、企業には、人が集まります。

人が集まって、ひとりひとりの「色」を持ち寄って、協力しながら成長していく。

社会や経済というものが真っ白なキャンバスだとしたら、企業というのは、そこに何かを描き出していく「絵の具」なのではないでしょうか。

企業に集まる人達は、それぞれのカラーを持っていて、それを混ぜ合わせたり、なんなりして、ひとつの企業という「作品」を生み出す。

そして、その「作品」が人々の暮らしを少しでもよくしたり、幸せな気分にさせたりする。

ほら、企業って絵の具でしょ?
ふぅー。なんとかなった、、。(冷や汗が、、、。(^_^;)

そして、ダブルパンチ。


「実際には、常駐の」


しんどいなぁーー。難しいなぁーー。どーしよ。

(20分後、、、。)

この意味は。ですね、、。

実際には、企業自体がすべてのようになってしまって、そこにいる人の大切さや社会の中での企業の目的について忘れてしまっているということですね。

長いのでわかりにくいですね。

えーっと、つまり、

企業がすべてみたいになってしまっているということです。

先程書いたように、企業っていうのは、道具に過ぎないのにも関わらず、それを維持すること自体が目的になってしまっている。

そして、そこに集まっている人々のことを忘れてしまっている。

自分たちが、企業として、社会にできることは何なのかを忘れてしまっている。

そういうことです。

「実際は」本質から外れてしまっているよというAppleという超大企業で開発されたAIからのメッセージだったんです。

おや?あなたは、気がついてはならないことに気がついてしまったようですね。
「常駐の」

に触れていないということに。

それは、指摘したらダメなところです。

#うでも書いたでしょ?建前が必要なときもあるって。

まぁ。そのぉー。つまり、、、。

思いつかなかったというか、、、。

どうしても関連性を見いだせなかったというか、、。

許していただけないでしょうか?もっともっと、精進しますので。許していただけると幸い中の幸いです。

おそらく、皆さんの多くは、企業に所属していられると思います。

その中で、自分のカラーは何色なのか。自分の企業は社会にどんなプラスの影響を与えることができるのか考えながらすごしていくといいかもしれません。

企業に所属していないよという方。直接的に、社会と関わっているわけです。あなたのカラーはそのまま社会に与える影響となります。

絵の具は絵の具でしかないので、それを使って誰かを少しでも楽しい気分にさせる。そんな生き方がしたいですね。




(by 働いたこともない生意気な15歳)




#お

#お
大蟻になったら?


いやぁー。昨日とは打って変わって綺麗な文ですね!

Siriさん大きな進化を遂げましたな。

なんですって?内容が気になる?

はいはい。確かに、気になるかもしれません。

でも、実は今日、私は、大蟻というキーワードが出てくることを予想していました。

なぜか、それは、今日、友達との会話の中で、「大蟻」というキーワードを使ってしまったからです、、、。

え?どんなシチュエーションで大蟻という言葉を使うのかって?

それは、、、。

私は、

「大有りでしょ!!」

って入力したかったんです。なのに、、、。

変換された結果は、

「大蟻でしょ!!」

どういうこっちゃ!

間違えてそれを送ってしまったせいで、当然のように友達とその話題になるわけですよ。

そこで、「大蟻」を連発してしまうという。大きな大きな過ちを犯してしまったわけです。

気づいた時にはもう後の祭り。Siriさんは、完璧に記憶してくれていました。

さてさて。「大蟻」については予想はしていたものの、これが実際に出てくるとなるとどーしましょうか。

蟻に詳しいわけでもないし。

でも、この機会に、蟻について少し調べてみますか。

蟻は、蜂の仲間で、土の中で暮らすうちに羽根は退化して無くなっていったそうです。

確かに、形が似ていますよね。羽がついている羽蟻なんて、蜂との見分けはほとんどつきませんもんね。

そして、蟻っていうのは、非常に力持ちで、自分の10倍もの重さのものを運ぶこともあるそうです。

確かに、庭先で、あんな小さい体で、頑張って虫とかを運んでいるのを見かけますよね。

あの小さい体のどこにそんな力があるのか。いつも不思議に思います。

蟻は、コロニーという集団で生活をして、時には数千匹という個体が一緒に住んでいることもあるほど、大集団で生活をする生き物です。
いかに、社会的な生き物なのかがよく分かりますよね。

うーん、、、、。

話がつなげられない、、。

蟻。

アリ。

あり。

蟻ねぇーー。(絶賛脳内の引き出しを片っぱしから捜索中。)

どこかに、面白い話「あり」ますかぁー?

まずいまずい。見つからなすぎて、面白く無いこと言い始めたぞ。

お!

あ!

い!

見つけました。

脳の奥の奥の方に隠れてた!出てこい!

それっ!

働き蟻の法則!


なんで、これが、思い出せなかったんだろうって言うぐらい、ピッタリ!

有名な話なので、知ってる方も多いかと思いますが、「働き蟻の法則」とはなんなのかについてさらっと紹介しますね。

働き蟻の法則とは、ビジネスの世界でよく使われる逸話?でして、働き蟻のうち、「2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠けていて働かない」という法則のことです。
これについては、面白い研究がされていて、蟻の集団の中で、そういう法則があるんじゃ無いかと思った人が、

まず、よく働いている2割のありを間引くんですね。つまり、集団から取り除いてしまうということです。
そうすると、今まで普通の働きだった蟻がよく働くようになり、怠けていた蟻の中からも普通に働く個体が出てくるようになり、一定期間後には、また、「2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠けている」という状況が復元されるんです。

そして、取り除いた蟻だけを置いておいても、その中で、6割のアリは、働きが普通になり、2割のアリは怠けるようになり、結果として、「2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠けている」というふうになるんです。

サボっている蟻だけを集めても同じことが言えるんです。

これってすごく面白いですよね。初めて聞いた時、とても衝撃だったのを覚えています。(なのに、忘れるという、、。w)

これがなんだというのか。それは、これは、人についてもよく当てはまるようなんです。

人が集まってできた組織でも、

「2割はよく働き、6割は普通に働き、2割は怠ける」

という法則が、どうやら当てはまるらしいんです。

これを、普通に聞くだけだと、

「なんだ。2割の人は絶対に怠けているのか。」

「どうしようもないのかな。」

と悲観的に捉えてしまうかもしれません。

そして、それをなんとか改善しようと、働かない2割にもっと働かせようと仕事の効率をあげようと必死になるかもしれません。

現に、そういう人たちがいることを踏まえた上で、どう生産性をあげるかという事が書かれた本や記事も多々あります。

でも、私が言いたいのは、そういう事じゃありません。


この研究には続きがあるんです。

それは、この、一見非効率なシステムにはなんの意味があるのかということ。

当然、これについても研究されているわけです。

それによると、蟻が動くか動かないかというのは腰の軽さによって変わるそうなんです。

腰が軽いありほど早く動き出して、次に仕事が来ると、2番目に腰が軽い蟻が動き始める。

そういうふうにして役割分担?がされているようなんです。

では、なぜこんな仕組みになっているのか。

それは、

蟻が一斉に疲れて、集団が機能しなくなるのを防ぐため。

だと言います。

疲れてしまうと、いかに「よく働く蟻」であっても、休憩をしなくてはなりません。

そうすると、それまで怠けていた蟻が、動き出すわけですね。

そうやって、疲れるタイミングをずらすことで集団としての機能を維持できるようになっているんです。

もし仮に、同時に全てのありがMAX120%で働き始めてしまったら、最初は効率がいいでしょう。

でも、ある時点で、全ての蟻が、疲れ切って動けなくなってしまいます。

そうすると、働く蟻がいなくなるので、集団としての機能が維持できなくなって、消滅してしまうんですね。

こういうふうに、一見、とても非合理に見えることが、実は、とても効率的なものだったりするんです。

私たちは、サボっている人を見ると、イラッとしますし、嫌な気分になってしまいます。

もちろん、それはよく分かりますし、正しいことは間違いありません。

でも、そこであなたが怒ったからと言って、誰かが得するでしょうか。もちろん、必要な時は指摘するべきです。

しかし、いつでも怒るのではなく、

あの人は、私が疲れた時のために、休んでいてくれるんだ。意味があるんだ。」

と思うようにしてみてはどうでしょうか?

そして、先程の実験でもわかったように、あなたという「よく働く蟻」(他人のことを蟻にしてしまってすいません)がいなくても、組織というのは、回っていく事がほとんどです。

自分が全てやろうとせずに、たまには、同僚や後輩などに任せてみるのも良いかもしれません。

そうすれば、意外と、その人たちが「よく働く」ことに気付かされるはずです。

(もし働かなかったら、全力で怒鳴りましょう。ww)

試しに、

蟻になったら? 

(頑張って繋がりを持たせようとする試み↑)

そして、さらに、一見非合理的に見えることの裏には、実はとても合理的な理由が隠されているのかもしれません。

睡眠だって、何も生産できないし、一見非合理的で、ついつい削ってしまいがちですが、間違いなく大切です。

大切なひとと過ごす時間だって、何かを生産するわけではないし、お金がもらえるわけでもありません。

でも、それでも、そういう時間が何よりも大切だというのは火を見るより明らかですよね。

見た目だけの、合理性、非合理性の裏には、とてもとても大切なものが隠されているのかもしれません。

見えるものだけに囚われず、本当に大切なものとはなんなのかを考えながら、GWを楽しみたいですね!




#か

#か
書くことがないyいの、、。


この物語も、「あ行」を終え、「か行」に突入しました。

そんな記念すべき、節目の日の文が、こんなやる気のない文だとは、、、。

拍子抜けです!

「書く事がないの、、。」

と普通に表現すれば良いのに、Siriさんのセンスにかかると、

「y」を入れて「い」を一つ余分に付け加えるというわけわからない文になるようです。

あ、待って。

もしかして、

これは!

書く事がないワイの!
って事!?

なぜか標準語ではなく、少し訛っていますが、そこは気にしないことにしましょうか。

でも、「ないワイの」なんて言った事ないし、ましてや「ワイ」を「y」で表現するような素敵な感性は持ち合わせがないので、使ったことはないと思うんですが。

なんでなんでしょうか?

こういうユーモアを持って生きた方が良いよというSiriからのメッセージなのかな?

ユーモアって、日本ではあまり重視されない能力?だと思いますが、海外では割と重視される事が多いようです。

ユーモアがあるっていうのは、ひとつの立派なアピールポイントになるようですし。

もちろん、Siriはアメリカで生まれ育っているはずですから、そこらへんのセンスに満ち溢れているのかも知れませんね。

まずい、、、。いつもにまして、つまらないことをことを書いているきがするぞ。

あ、ちなみに。

私に限って言えば、書く事がないなんてことはないですからね!

書く事がないなんてない。うわぁお!二重否定!英語で、二重否定を使わないという話を聞いて以来、二重否定に対してやけに敏感になっている。そんなお年頃です。(どんなよ!w)

まぁ、そんなどうでも良い話はさておいて。

Siriさんは、私がインターネット機器に触れているときはいつも一緒にいて、なんでも知っていると思っていました。

検索した事がある商品をすぐに、広告として出してくれるし。(最近は、カメラと写真現像ソフトばっかり)

あ、これは、google先生のお仕事かな?

Siriは、入力した文字を全て覚えていてくれて、予測変換のおすすめとして常に表示してくれますよね。

だからこそ、このシリーズも成り立っているわけで。

でも、時には、その優秀さに慄いてしまうこともあります。

「なんで君がそんなことを知っているんだい?」

みたいなことを知っていたり。

「それ、今から調べようと思ってたやつ」

っていうのが、よく表示されるようになったり。

空恐ろしさも感じていました。

私は、このAIから逃れることはできないのか。この優秀で完璧な存在から逃れる術はないのかと思っていました。

そんなパーフェクトヒューマン?のSiriくんも、

私のnoteの下書きに常時9つもの記事があることは知らなかったようです。


ふぅー。この一文を言うためにどれだけの前置きをしたんだろう。
大切なお時間をすいません。

いやぁ、これには一安心です。

私が書く事がないばかりか、書きたい事が多すぎて困っていると言うことまでは、把握していなかったようですね。

しめしめ。出し抜いてやりましたぞ。Siriさんどうですか?今の気持ちは?

でも、こう言うことを嬉しく感じてしまうくらい、私たちの行動や思考は、AIに見られ、予測されていると言うことですよね。

最近は、それが問題になってきていて、色々な対策もとられているようです。

Googleなどは最たる例でしょう。

トラッキングデータを使った広告の表示によって利益を得ているわけですから。

私自身も、恐怖心を覚えます。

ただ、その一方で、

「私の情報がナンボのもんじゃい!」

という気持ちもあります。

カメラを検索して、「あぁ、カメラが欲しいんだな」っていうことがバレようが、大したことではありません。

国とか、組織に関わる重要事項を扱っている方々は違うかも知れませんが、私のような15歳の情報が企業に提供されているからといって、他企業に売られたりしていないのであれば良いかなと思ってしまいます。

特に、Googleなんかは、無料でとても素晴らしいサービスを提供してくれているわけで、その見返りとして良いかなと思ってしまうんですね。

と、思う私は意識が低いんでしょうか?

まぁ、あんまりGoogleの話をするとSiriが拗ねてしまう恐れがあるので、このくらいにしておきましょうか。

ユーモアって大事ですよね。
(唐突な話の飛躍)

ユーモアがうまいタイミングで、うまいこと言える人は「そりゃぁ、人から好かれるよな」って思います。

ユーモアのかけらもない人はそれはそれで側から見ている分には面白いのですが、実際に一緒に働いたりするとなるとちょっと嫌ですもんね。

ユーモアということを知らなければ、人生で起きたことを全て悲劇と捉えてしまう可能性だってありますし。(文章の飛躍がすごい、、。w)

起こったことは、あくまでも事実でしかありません。

それが、どういう意味合いを持ってくるかは、人が決めることです。

一つの同じ事柄を見て、

「最高だ!」

って思う人もいれば、

「最悪だ、、、。」

って思う人もいます。

もちろん、人生には、最悪なことだって絶対にあります。

そんな時にも、ユーモアがあれば、少しでも、楽しく乗り切れるのではないでしょうか。(何を当たり前のことを偉そうに。)

ユーモアのセンスがないと思っても、必死でユーモアを持とうとする。


そうすることで、起きていることが、そんなに悪いことばっかりじゃないのかも。って思えてくるのかも知れません。

ユーモアっていう言葉を使いすぎてゲシュタルト崩壊が始まりそうなので、ここら辺で終わりにしておきます。

ユーモアというのを忘れず、明日も一日頑張って生きていきましょうか。

たとえGWで休日だとしてもね!思いっきり満喫していきましょう!




#き

#き
聴いたこと言ってる場合じゃないぞ。


なんだか、語調が荒いですね。いや、そんなに荒くもないかな。

今日も昨日に引き続き、文としての完成度は高いように感じますね。

どこもおかしいところはありません。

まぁ、少し気になるのは、普通なら「聞」という漢字にするはずのところをあまり使われない「聴」という漢字にしているところ。

私のイメージ的には、「聴」の方が、なんとなく、深く理解するというところまで含んでいるような気がするのですがどうなのでしょうか。

ちょっと調べてみますね。

ただ単に「きく」場合は一般に「聞く」を使い、注意深く(身を入れて)、あるいは進んで耳を傾ける場合には「聴く」を使います。「音楽を聴く」「講義を聴く」
ー NHK 文化研究所


なるほど。

「聞く」というのは、自然にきこえてくる音などを捉える時に使い、「聴く」というのは、より能動的に、意識して「きく」時に用いられるようですね。

さて、これを踏まえてSiriさんからのメッセージはなんなのか。

あ、もしかして。

これは、、、、。

まさに、私が今やったようなことではないでしょうか?


さっきの「聞く」と「聴く」の違いのように、調べて、それを言うだけ。

このことを言っているんではないでしょうか?

思い当たる節はかなり多くあります。

私は、できるだけ中立であろうとするあまり、自分の考えを述べることなく、感情を入れることなく、事実を事実のまま伝えてしまいがちです。

ニュースを見て、それを他の人に

「こんな事があったんだよー。」

と言って、満足している節があります。

もちろん、中立であるというのは、私の信念?でもあり、それは曲げたくはありません。

でも、事実だけをただ伝えるだけならば、私が伝えなくても良いわけで、私が伝えるというメリットは何一つありません。

受け取った相手にしてみれば、私が伝えた情報と全く同じ情報がGoogle先生からも教えてもらえるわけで。

ニュース以外のことだってそうです。

「誰々がこう言っていたよ。」

というだけに止まって、それで、自分の意見まで述べてしまったような気持ちになってしまっているのかも知れません。

「場合じゃないぞ。」

というSiriさんの言葉はちょっと違う気もしますが、相手が聞きたいのは、

「私がそれを受けてどう思ったのか。」

ということなのかも知れません。

そして、それを表明することで、相手とのコミュニケーションが始まり、さらに深い対話へとつなげる事ができます。

もちろん、情報が欲しいだけで、「あんたの意見なんて聞きたくなんだよ。」

という人もいると思います。

私も、もし仮に、ニュース記事の中で事実関係だけではなく、ジャーナリストの個人的な感想や感じた事が入っていたら、「うーん」と思ってしまいます。

報道やニュースに期待しているのは、できるだけ中立でバイアスのかかっていな情報を提供するという事だからです。

それを見てどう思うかは、私たち受け取り手に任せてほしいと感じてしまうわけです。

でも、それは、報道の仕事です。

私は、一個人として、自分がどう思っているのかを載せながら相手に伝えた方がいいのかなと思いました。

そして、「聞く」と「聴く」の話。

私は、今までなんの気なしに、「聞く」という方を乱用?してきましたが、対人関係においては「聴く」というのがとても重要だなと思いました。

自分から能動的に「聴こう」としているのか。
それとも、

「聞いている」だけなのか。

これは、大きな違いです。

私が、人とコミュニケーションを取るときに、特にあまり話した事がない人とと話すときに意識していることは「聴く」ということです。

これは、私が「聴く」という行為が好きということもあるのですが、相手を一番に考えた結果でもあります。

人は誰でも、自分で話すのが好きです。飲み会などがあって、人が集まったときにも、「喋らなかった人より、たくさん喋った人の方が満足度が高い」という研究結果もあるようです。(なんの方んで読んだのか忘れてしまいました、、。)

そして、どんどん話を聞いていくと、その人の為人がよくわかるし、信頼性を構築する事ができます。

自分が心を開いて相手の話を「聴く」構えがあるのかどうか。

これは、対人関係において大きなポイントだと思っています。

でも、ただ「聞く」だけではダメです。

そういう姿勢は、おそらく相手にも手にとるようにわかります。

もちろん、自分が楽しくなくて、その人とコミュニケーションを取りたくないのであれば、「聞く」だけでもいいでしょう。

しかし、「きく」という行為は、受け身だととらわれがちです。

だからこそ、興味がないわけではないのに、なんとなく「聞いて」しまうということもあるでしょう。

でも、その人と本当に信頼しあえるいい関係を作ろうと思ったら、「能動的に聴く」という事が必須になります。

そうやって初めて、相手は心を開き、こちらの話を「聴こう」という気持ちになるのです。

初めての人に会うと、ついつい自分のことを一生懸命に話してしまいがちですが、「聴く」ことから入ってみるのもいいかも知れません。
(とか言いつつ、ほんとは初対面の人に自分のことを語れる積極性が欲しいお年頃です。)

GWもあと1日!しっかり休んで。音楽でも「聴いて」、新たな人との出会いのために準備をしましょうか。




#く

#く
口が裂けてもか?

8日目。これ↑。

主語が抜けている文ですね。

何で藪から棒にこんなことを聞いてくるのでしょうか。

まず、恐喝みたいだし。

だめですよ、Siriさん。恐喝は、犯罪ですから。脅さないでください。

話を発展させられませんね、、、、。

が、しかし。

私は恐怖を覚えています。


「いや、なんで?何に対して?」

って思われるでしょう。当然です。

私が恐怖を抱いているのは、今回Siriが生成したこの一文に対してです。

みなさんは、「普通の文じゃん。どうってことないよ。」って思えるかも知れません。

しかし、私は、

ジョージオーウェルの

1984年を読み終えたばっかりなのです。

この「1984年」という小説は、世界的な名著で、

「20世紀世界文学の最高傑作」

とまで言われています。


この作品を端的に紹介するとするのならば、

ザ・ディストピア

です。(ディストピアとは、反理想郷、暗黒世界のことです。)

AppleのCMでも、テーマとして使われています。(私の好きなCMの一つです。)

全体主義的近未来として描かれ、希望が見当たりません。

人々は、洗脳され、「ビック・ブラザー」という党の作り出した空想の人物を崇拝しています。

その思想と違う思想を抱いた人々は「思想犯」と呼ばれ、「蒸発」(つまり、粛清)されます。

人々の自由は何一つなく、「蒸発」させられた人々は完全に記録から消し去られ、人々の記憶からも消されます。つまり。「最初から存在しなかった」ことになるんです。

この、党のスローガンは、

戦争は平和なり

自由は隷従なり

無知は力なり

です。

これで、どんな世界観かある程度理解していただけたのではないでしょうか。

また、いつか、ちゃんと感想文も書きたいと思っています。学ぶことがとても多いので。

とにかく、一読してみることをお勧めします。(絶望的に暗い気分になるので、読むタイミングを間違えないように)


話が外れてしまいましたが、この話を読んだばかりだったんです。

このお話は、例の体制に対して、疑問を抱いている一人の青年を主人公として進んでいきます。

ネタバレになってしまうので、あまり詳しく言いたくないのですが、青年は捕まり、拷問を受け、自白を強要され、心を入れ替えさせられそうになります。

その時に、口にするのも、言葉にするのも憚られるような、ものすごい拷問を受けるのですが、愛する恋人のことだけは裏切らないと心に決めます。

そして、そのことによって、さらに、ひどい拷問を受けるわけです。

そして、ついに、恋人を、裏切ってしまうんですね、、、。

それだけの、あれだけの拷問を受けたら、そうなってしまっても当然に思えるし、むしろ、よく頑張ったと賞賛したいぐらいです。

でも、そのことが原因で、恋人と以前のように、接することができなくなってしまいます。(恋人も彼のことを裏切ってしまっていました。)

本文中には、こう書かれています。

「自分が助かるにはその方法しかないと思って、その手で助かろうっていう気にすっかりなっているのよ。(中略)その人がどれほど苦しもうがちっとも構わない。自分のことしか考えていないのよ」
(中略)
「それで、そのあとは自分の身代わりにさせようとしたその誰かさんに対して、二度と以前のような気持ちを持てなくなるの」

ジョージオーウェル「1984年」p.455(ハヤカワepi文庫)

なんて、切ないんでしょうか。

そして、なんて恐ろしいんでしょうか。

人を裏切ってしまったという事実は、本当にその人の心に大きな大きな傷を残してしまいます。

そんな本を読んだ直後の私にとっては、Siriの

口が裂けてもか?

という言葉は恐怖でしかないのです。なんで、このタイミングで、Siriがそんなことを言ってくるのか。

「ビック・ブラザー」は、この世界にも存在しているのか。

現実的に考えるとあり得ないことですし、もちろん私もきちんと論理的に考えればそんなことがないのはわかっています。

それでも、頭ではわかっていても、恐怖を感じてしまう。それほどまでに、強烈な作品なんです。

みなさんには、「口が裂けても」他人に言えないことはありますか?

絶対に、裏切りたくない人はいますか?

そういうことを持ったり、そういう人がいたりするのは、しんどいことかも知れません。

責任?のようなものが生じますし、気楽ではないかも知れません。

でも、人は、往々にしてそういう秘密を持っている方が、そういう人がいる方が、強くあれるのかもしれません。

自分が、絶対に裏切りたくないと思えるような人がいること。

口が裂けても、絶対に言わないということがあること。

こういうことが、私たちをより強くするのかもしれませんね。

GWも今日で終わり。

明日からは、新しい生活が始まります。自分の中に、何か芯となる物を持って、楽しく、強く、生きていきたいものですね。




#け

#け
結構楽しいよね。


うん、そうだねSiriさん。そう思うよ。

今日は、いい感じ。意味わからんこともないし、怖くもないし。

今までで最高傑作じゃない?これ。

そう、実は日常って「結構楽しい」んです。

いやいや、全然楽しくなんかないよ。辛いことばっかりだよ。って思われるかもしれません。

でも、よく考えてみてください。


今が、楽しくない。その気持ちは十分にわかります。

なんとなく、今を変えたくて、常に上に上に目指そうとする。

それ自体は、とてもいいことです。だって、「向上心」ですもんね。

でも、どれだけ上に上に求めても、おそらく完全に満足することはないでしょう。

だからと言って、現状に満足していいわけではありません。

今より、良い日常にしようとしつつ、

今をふと振り返ってみる。

そうしたら、意外と悪くない日常なのかもしれません。

私たちの日常って、

結構楽しいんです。

それに気が付かず、先へ先へ追い求めていては、もったいないです。

今、聞こえている音。

今、感じていること。

今、隣にいる人。

それらを、思う存分味わってください。

今ある、ふとしたなんともない幸せに気がつけば、日常がそんなに悪くないことに気がつくはずです。

ほら、こうやって、こんな暇なnoteを読むことができている時点で、平和でしょう?

周りの人は、声に出して、ときには声に出さずにあなたに

がんばれ。

って言ってくると思います。

でも、私は言いたい。

そんなに頑張らなくてもいんだよ。

もう、十分頑張っている。

さぁ、今日1日を振り返って、ふとした楽しさを探してみてください。きっと、いくつもいくつも見つかるはずです。

そして、明日は、

結構楽しい。

ということを心に留めて1日を過ごしてみてください。周りの景色の見え方が、すっかり変わるはずです。

私の書いた文章史上、もっとも短い文章ですが、今日はここら辺でおしまい。

後の空白は、みなさんがふと見つけた小さな幸せで埋め尽くしてください。

さぁ、明日は、金曜日。がんばってきましょう!(さっきと言ってることが180度違うぞ、、、。ま、いっか。)




#こ

#こ
後悔しております♪♪♪♪♪♪♪♪


この「予測変換物語」も今日で10日目。

いよいよ二桁に突入です。

それもあってか、Siriさん、今日はいつにも増してご機嫌な様子。

音符をたくさんくっつけてハイテンションのようですね。

でも、音符の前の文と合っていないような気がするのは、私だけでしょうか?

実は、今日も私は、過ちを犯してしまったのです。

でも、過ちを犯したということに今の今まで気がついてすらいませんでした。

問題となった?ツイートがこちら。↓

この時点で、「こうかい」という言葉を2回も使っていますよね。

でも、このツイートには続きがあるんです。

ほら、このツイートのなかで、4回も「こうかい」というワードを使っています。

痛恨のミスです、、、。

全然、今日の予測変換物語を意識したわけではありません。

そんなためだけに、こんな後から落ち着くとそれこそ「後悔」するようなツイートするわけがないでしょ。

これによって、今日の文は生成されたわけです。

え?やらせじゃないかって?

本当に、そんな事実はございません。

本当です。この投稿が、単なる呟きであるということは、私のTwitterを訪れていただければ、よくわかると思います。(イタイことばっかり書かれていますから!)

まさに、あんなツイートをして、

後悔しております。

そして、後悔しているといえば、この「予測変換物語」もです。これを毎日必ず更新すると決めたことで、眠れません。

「おいおい、自分で始めたんだろ。別に誰がみたいと言ったわけでもないし。」

ごもっともです。

自分の挑戦として始めただけです。

私は、連続投稿がしんどいと感じられてよかったなと思っています。(本当に、心から。)

これは、連続投稿しなければ、わからない事ですし、これを乗り越えれば、次のステップへと進めると確信しているからです。

後悔しているけれども、本当に後悔しているわけではない。

軽い気持ちで後悔している。

だからこそ。

後悔しております♪♪♪♪♪♪♪♪

っていう感じなんです。

明るい気持ちで後悔しています。

どうか、この情緒不安定な人間を見守ってくださると幸いです。

さて、話は、少し戻って、ツイートの話。


これは、心から思うことです。

実は、ツイートだけではなく、noteでもよくあります。

記事を後悔してしまった後に、落ち着いて読み直して、

「あぁ、ここはもっとこう書けばよかったな。」

「そもそも、この文章、自分で読むのがしんどいな。公開しなければよかったな。」

と思うこともあります。

というより、ほとんどいつもそうです。

今すぐにでも、記事を削除したい気持ちに駆られます。

メンタルが強い方やプロの方は大丈夫なのかもしれませんが、素人でメンタルも強くもない私は挫けそうになります。

それでも、こうしてnoteを続けることができているのは、なぜか。

それは、

みなさんが、読んでくださって、反応を示してくださるからです。


反応を示していただいてしまうと、こちらとしては、削除できなくなります。もうすでに、公開されて、人の目に触れて、リアクションしていただいているからです。

「人がいないと続けられんのんかい!そんなやわなモチベーションなんかい!」

と思われるでしょう。

まっことに、その通りでございます。みなさんの支えによって続けさせていただいています。

本当に、感謝しかありません。

そして、さらに厚かましいお願いをさせてください。

それは、

もっともっと、反応を示してほしい。

ということです。

私の記事にはおそらく、note外からの方も多いと思います。

そういう方々も、ログインをせずにすきを送ることができます。(ハートマークを押してください。)
自分でこういうことを言うのも違うかもしれませんが、もっと反応を示して欲しい。

というのが本音です。

反応が多ければ多いほど、投稿を続けられるばかりか、更なる頑張りへの確実なモチベーションになります!!!

そうやって、「公開」してしまったことへの「後悔」を次の記事を書くモチベーションへと変えていけたらいいなと思っています。

あれ?なんの記事だっけ。これは、、、?

いつの間にか、物語ではなくなって、ただの懇願になってしまいました。

ごめんなさい。

じゃあ、最後に、私が好きな言葉の一つをご紹介します。

それは、

反省はしても後悔はしない。

という言葉です。

反省は、次なる成長へとつなげることができます。でも、後悔したからといって何かいいことがあるでしょうか?

そんな時間があるのなら、次に向かって少しでも前に進んだ方がマシです。(さっきと言ってることが違いすぎて、説得力がない、、、。ww)

だから、たとえ、後悔という言葉を使うにしても、

最後に音符マークを連発するくらいのノリでいいのではないでしょうか?

後悔しております♪♪♪♪♪♪♪♪

そう明るく周りの人に宣言して、「次」を見据えて進んで行けたらいいですね。

今日は、一週間の終わり、金曜日。今週もお疲れ様でした。

来週の月曜日くらいは、何があっても、

後悔しております♪♪♪♪♪♪♪♪

って明るい気分で言えるくらいの、エネルギーを補充しておきましょう!




#さ

#さ
際限なくても大丈夫だけどいい物語だと思う壺なんだ。


うーん。長い。文がいつもにまして長くないですか?

しかも、日本語的に間違ってるし。

最近は、ちゃんとした文ばかりだったから、成長したのかと思ってたのに。

いや、分からんぞ。文が長くて、どこで区切るかがわからない。

例えば、

際限なくても大丈夫/だけどいい物語だと/思う壺なんだ。

なのか。

それとも、

際限なくても/大丈夫だけど/いい物語だと思う/壺なんだ。

なのか。

際限なくても大丈夫だけどいい物語/だと思う/壺なんだ。

なのか。

どれなの?って聞きたくなるけど、もちろん、誰も答えてはくれません。

自分で、好きなのを選ぶしかないわけです。

じゃあ、一番最初にあげた、

際限なくても大丈夫/だけどいい物語だと/思う壺なんだ。

にしておきましょう。

それでは、読み解いていきましょうか。

際限なくても大丈夫

ここからいきましょう。

際限なくても大丈夫?

何が大丈夫なの?

何に際限がないの?

色々解釈の仕方がありますが、私は、この「予測変換物語」の話だと思います。

この物語って、まさに、際限ないですよね。

面白くもない話をただただ延々と続けて、いつもよくわからないところで、終わる。

際限がないんです。

論理の飛躍もすごいし、、、、。

話は、広がりに広がるし。

大丈夫というのは、多分、勝手にしろということだと思います。

長いくて際限なく続く文章は、読む側は読まなければいいだけです。

だから、大丈夫なのでしょう?(大丈夫って何ぃーーーー??ww)

そして、その次、

だけどいい物語だと

これは、物語を「予測変換物語」だとすればなんてことはないですね。そのままの意味です。

はい、次。

思う壺なんだ。

思う壺なんだ。これは、おそらく、やおきの思う壺だということでしょう。

じゃあ、まずは、少し繋げて

だけどいい物語だと思う壺なんだ。

をまとめて分析します。

うん、これは、いい物語だと、ついつい読んでしまう。それが、やおきの思う壺なんだ。ということですね。

はい、それでは、全部まとめます。

際限なくても大丈夫だけどいい物語だと思う壺なんだ。

これは、きっと、際限がない文には、適当に飛ばし読みするから時間も取られないし、別にいいんだけど、それがいい物語だと、最後まで読まないといけなくなって、それがやおきの思う壺なんだ。ということだと思います。

はい、つまり、この文は。私(やおき)を褒めている文なんです!(ほんとか?)

そんな感じで、自画自賛して気分を向上させようという、試みでした。

でも、結構、自画自賛って大切だと思います。

自分を、自分でしっかりと褒めてあげる。そうすることで、自己肯定感は確実に上がります。

結局のところ、自分を一番よくみているのは自分であって、自分のことを一番知っているのも自分です。誰になんと言われようと、とにかく自分を褒めてみる。

で、気分をあげる。

そういうのも大切かもしれませんね。

今日は、土曜日。しっかり休めたでしょうか?


今日も、お仕事や学校だった皆さん、お疲れ様でした。そんな頑張った自分をしっかりと褒めてあげてください。


明日は、日曜日!

のんびり、休みましょ!




#し

#し
幸せだと思っています。


私は、普通に暮らしていた。普通の学校を出て、普通の就職をして、普通の結婚をして。
特に、見どころがない人生だと自分でも思うけど、それでも満足していた。

何も、困ることはない。収入は、そこそこあるし。妻もいて、子供もいる。

毎日、7時に起きて、急いでご飯を食べ、7時半に満員電車に乗って、会社へ到着。昼ごはんを適当にコンビニで食べ、また、午後も仕事。

上司に少し怒られて、後輩を少し怒って残業をする。

家に帰ると、夜中の9時。

子供は既に寝ていて、妻が準備してくれている夕食を食べる。

そのあとは、風呂に入って、テレビをみて、寝る。

そうやって、もう何年も何年も、生活をしてきた。

でも、ある日、一人の男に声をかけられた。

「そのままで一生を終わるつもりかい?」

「どうせなら何か大きいことを成し遂げないか?」

私は、全然興味を示さなかった。

それでも、男は追いかけてきて、話しかけてくる。

そんな普通の暮らしの何が楽しいんだい?」

「もっと、ワクワクするような毎日を送りたくはないかい?」

その男は、ずーっとついてくる。

「もっといい生活がしたくないかい?」

ついに、会社の前まで来てしまった。

私は、言う。

「このままでいい。ほっといてくれ。」

それでも男は引き下がらない。

「もっと、もっと楽しい未来が待っているんだ。新しいことを始めようじゃないか。」

「もったいないぞ。」


私は、聞いた。

『あなたは。「今」幸せですか?』

男は、自信満々に答える。

「将来の楽しみのためだ。今の楽しみは全て犠牲にして頑張っている。君も一緒に頑張らないか?」

「今を犠牲にして頑張れば、将来楽ができるんだぞ?」

私は、言った。

『私は、「今」に満足してる。もう、十分だ。』

『確かに、パッとしない人生かもしれない。でも私は、私の人生が幸せだと思ってる。』

そして、男を振り切り、会社へと出勤した。

心の中に、少しもやもやしたものが残ったものの、何か行動を起こす勇気も気力もない。

私は、その後もライフスタイルを変えることはなく、普通に退職し、なんとなく生きていた。

妻は、既に亡くなった。

自分の人生、特に目立ったことはない。後悔も幾つかある。何か成し遂げたわけでもない。


「私には十分だった。けれど、特別に楽しくもなかったな。」

あの時、男の忠告の通りにしておいたほうがよかったのかどうかはわからない。

あの男は、あの一時間後、「将来の幸せ」を感じる前に、交通事故で亡くなってしまったのだから。

そんなことを考えながら、私は、永い永い眠りについた。




#す

#す
巣みたいな顔を見ていた。


「初めまして。」

「初めまして。」

ある街角で、二人の人間が出会ったみたいだ。

二人は、全く対照的な人間に見える。一人は細身で、もう一人は肥満気味。一人は眼鏡をかけていて、もう一人はかけていない。一人はスーツを着ていて、もう一人はパジャマみたいなものを着ている。一人はブランドもののビジネス鞄を持っていて、もう一人は中学校で作ったようなナップサックを背負っている。

二人は、何やら話している。

「最近の景気は、、、、」

「おたくの会社は、、、、、」

何やら、ビジネスに関係のある話のようだ。

細身で眼鏡をかけていてスーツを着ていて、ブランドもののビジネス鞄を持っていている方の男が、会話を先導しているらしい。

まぁ、それはそうだろうな。

誰がみてもそっちの方が仕事ができるように見える。

肥満気味で、眼鏡をかけていなくてパジャマを着ていてナップサックを背負っている方の男は、ペコペコ頭を下げてばかりだ。

どうやら、話はまとまったらしく、二人は連れ合って歩いて行く。

と思ったら、後ろからぴっしりとスーツを着込んだ男が20人くらい、ドタバタ追いかけている。

どうやら、あの二人を追っているようだ。

手に銃のようなものを持った男もいる。大変なことになる予感がする。

二人の男は、裏道を回って、元いた場所に帰ってきた。

今度は、肥満気味の男が眼鏡をかけて、スーツを着てブランドものの鞄を持っている。

細身の男は、眼鏡をかけておらず、パジャマをきて、ナップサックを背負っている。

あ、細身の男が裏路地に飛び込んで姿を消した。

20人のスーツの男たちが、肥満気味の男に迫る。

スーツの男たちは、肥満気味の男を捕らえる。そして、顔写真を一枚。

それをどこかに送信している。おそらく、本部かどこかだろう。本部に本人かどうか確認しているらしい。

どうやら、本人だと確認がとれたようだ。肥満気味の男は、真っ黒な車に乗せられ、連れ去られる。

やがて、隠れていた細身の男が物陰から出てくる。

「ふぅ。危なかった。どうやら、全世界のコンピューターを一瞬で無効化できるこのウイルスは奪われずに済んだようだ。」

「それにしても、似ている顔の奴が見つかって助かったぜ。」


20人の男たちは、なぜ、こんな重大任務に顔写真だけで本人確認をしようとしたのだろう?

細身の男はつぶやく。

「ふぅー。こんな鳥の巣みたいな顔でよかったぜ。奴らは、顔しか見ていなかったからな。」

なるほど。男の顔があまりにも特徴的だったため、20人の男たちは油断していたらしい。

顔ばっかり見ていたと言うことだ。鳥の巣みたいなね。

え?私は誰かって?

商店街の軒下のツバメの「巣」だよ。




#せ

#せ
正確な数字通りの人しかいないのです。


no.20202021。身長は、167.8cm。体重50kg。妻一人。子供一人。趣味は、ゴルフ。好きな色は、青。昨日は会社に出勤せず、仮病で一日休んでいた。家の玄関においてある置物はカエル。規律を重んじ、年上を敬う。靴は、必ず同じ革靴。革靴の手入れの頻度は、月に1回〜2回。先月は、1回だった。初恋の相手は、、、。成績は、、、、。

これは、街である男にすれ違った時に、私の頭の中に溢れかえってきた情報だ。

何も、この男に限ったことではない。私は、全ての人類の情報にアクセスすることができる。その情報にどれほどのものが含まれているかは先述した通りだ。

もちろん、私自身の情報も相手に伝わっている。

時は、西暦3056年。

私たち人類は、一人一人の脳に情報の受信機と発信機、入力機を兼ね備えたものを埋め込むことで、お互いの情報にアクセスできるようになった。

この背景には、独裁的な政府の又は、大衆を管理したいと願う大企業の思惑があったのではないかと思うかもしれない。確かに、それも少なからずあった。彼らが、この技術を開発したことからもそれは明白だ。

ただ、私たち人類は、誰もがそれを望んで手に入れたがった。なぜならば、この技術こそが、人類が平和に暮らすことができる最後の手段だと思ったからだ。

私たちが対立する大きな理由の一つは、お互いに分かり合えていないと言うことにある。

自分の主張が少しでも相手を打ち負かすことができると思うから、自分の意見を主張したり、相手に攻撃を仕掛けたりするわけだ。

つまり、平和な社会を実現するためには、

「お互いに分かり合えばいい。」

全人類がそう考えた。こうして、私たちは、脳にチップを埋め込んだのだ。

当初最も懸念されていたのは、政府や企業による悪用だった。でも、その心配もすぐに消え去った。独裁的な国家があれば、人々は目覚ましい連携をしてそれに対抗した。簡単なことだ。裏切りというのは考えられない。なぜなら相手の全てがわかるからだ。正確な数字として、仲間同士で連携することができる。

そうやって、世界中から独裁国家は消え去った。

あとは簡単だ。選挙が保障されていれば、候補者の情報にアクセスしさえすればいい。そうやって、自分たちにぴったりな人を選んできた。

危険な思想(例えば、殺人だったり、独裁だったり)を持っている人たちは、周りの人にすぐさまそのことを見破られ、頭角を見せる間もなく、この世から去った。

何もかもが順調だった。人々は争わなくなり。お互いをよく知っていることで、助け合いができるようになった。なにしろ、1000年ほど前の人々が何十年かかってわかり合った情報を一瞬のうちに手に入れることができるのだ。

でも、人々はこう感じ始めた。

「何かが違う」

人類は、お互いに分かり合える「プロセス(過程)」を楽しんでいたのだ。そこに喜びを見出していたのだ。

それが無しに、情報だけ手に入れても、何も嬉しくはない。

そして何より、

「同じ考えの人しかいない。」

ということに気がついた。

やがて、こう考える人々が出てきた。

「このチップは、私たちを幸せにしないのではないか。」

一人がそう考えると、その人とすれ違った人全てがその可能性に触れることになる。

やがて、思想は広まり、全人類は、チップを脳内から取り出すことを決めた。このような驚くべき団結力が発揮されたのは、言うまでもなくチップのおかげた。

そして、人類は、チップなしで生活するようになった。

すると、戦争は元の通りに始まり、独裁者は出現し、全人類が一つになることなどできなかった。

相手の本当に考えていることがわからないから、真偽を見極めることができない。危険な思想を持った人も野放しにされた。

世界は、悪い方向に退化しているように見えた。

でも、多くの人々は、後悔はしていなかった。

なぜならお互いに理解し合える喜びを知ったからだ。

「知らない幸せ」を感じたからだ。

Aさんは思った。「平和な社会を作ろう」

Bさんは思った。「私が全てをコントロールしよう」

Cさんは思った。「あの人を殺してやりたい」

Dさんは何も思わなかった。

でも、それは、自分以外が知る方法はなかった。彼らは、人類としてではなく、一人の人間としてそう思った。

これから先の世界がどうなるかは誰にもわからない。

私にわかるのは、「全人類共通の正しさはもう存在しない」ということだ。

でも、それでも、なんとかそれを探っていこうとする人がいる限り、世界が真っ暗になることはない。

何が正しくて何が正しくないのかは誰にもわからないけど、

闇があるからこそ光があるように全てのものに意味があるはずだ。と「私は」思った。



名称未設定のデザイン

#そ
相応の方が良いけど今日からはよろしくお願いします。


俺は、今、悩んでいる。

役に立つロボットと、ポンコツロボットの前で。

ロボットは、家事を全部やってくれる。仕事のスケジュール管理をしてくれる。話し相手をしてくれる。

でも、俺には必要がなかった。今まで、全部自分でできていたからだ。そこまで忙しくもないし、独り身なので、何も不便はなかった。それよりも、お金の無駄遣いだと思っていた。

でも、あまりにも売れなくて俺は気がおかしくなりそうだった。何を書いても返ってくるのは酷評ばかり。

もしかしたら、ロボットでも買って、書くことに集中すればもっといいものが書けるのかもしれない。

友人からも、TVのcmの人からも、「ロボットを買わないなんて、狂気だ」とさえ言われた。

そこで、全財産を叩いて安いロボットを購入することにしたというわけだ。

俺は、ふと店員に聞いた。

「あのロボットはどうなんだい?」

店員は言った。

「とんでもございません、あのロボットは何一つできません。逆に、こちらが世話をしなくてはならないのです。高名な研究者が全力を上げて作ったのですが、一向に価値がないため全くもって売れません。20年前からあそこにあります。」

「ただ、開発した研究者がものすごく高値で販売するように指示しているため、ものすごく高額になっています。業界では、詐欺では無いかとの噂さえございます。」

確かに、そのロボットはとてつもなく高かった。全財産を2回ぐらい叩かないと買えない。

でも、俺はそのロボットのことが気になった。役に立つロボットを見せてもらったが、全然ときめかない。

頭では、役に立つロボットの方がいいとわかっている。これ以上、やることを増やしてどうするんだ。でも、心は、ポンコツロボットを選びたがるのだ。

俺は、なぜか心を尊重した。つまり、ポンコツロボットを買ったのだ。店員は、気が触れたのかという顔で見ていた。

俺も後悔していた。

家に帰って、早速起動させた。ギクシャクぎくしゃく動いている。別に何をするわけでもなく、ただうるさいだけだ。

俺の今の現状と似ているような気がして、心が痛かった。

それでも俺は、なぜか満足してこう言った。

「相応のロボットのがいいけど、よろしく」

その日から、気のせいかアイデアがどんどん浮かんでくるようになった。
ペンもみるみる進む。

必死に書いた。寝食も惜しんで書き続けた。その間、ロボットはガチャンガチャン鳴らしているだけだった。その音も気にならなくなった。慣れ切ってしまったのだ。

やがて、俺は賞を総なめするような偉大な作家になった。

インタビューで聞かれた。

「なぜそんなに活躍できるのですか?秘訣は?」

俺は答えた。

「分からない。」

ほんとにわからないのだ。運としか言いようが無いだろう。俺は、家を引っ越し、大豪邸を構えた。

引っ越しに当たって、ポンコツロボットは売り払った。「無意味」だったからだ。
代わりに、めちゃくちゃ高い優秀なロボットを購入した。そのロボットは、全ての家事をしてくれる。とても役に立つのだ。

俺は、新居に引っ越してから調子が悪くなり、全然書けなくなった。

やがて俺は、どんどん収入が減り豪邸も売り払わなくてはいけなくなった。俺はまた、貧乏作家に戻ったのだ。

そして、ある店先で、二束三文で売られているあのポンコツロボットを発見した。

俺は、ハッと気づいてそのロボットをまた買った。

店員は訝しげな目で見てくる。

でも、俺にはもう分かっている。このロボットの無意味な動きにこそ意味があるのだと。

創造性は無意味の中から生まれるのだと。



名称未設定のデザイン-2

#た
退屈していないのではないもーん。


エイ氏はB国に仕事で出張へ行った。

その国は、温暖で、人々は温厚で、物価がほどほどに安く、治安はいいという人気の国だった。

エイ氏はV国で、政府の官僚として働いている。妻子はおらず、独り身だ。一人でいるのが嫌いなわけでもないが、好きなわけでもない。

政府から命じられて、B国があんなにも平和でまとまっているのか秘密を調べることになったのだ。

というのも、V国は、近年人々の考えが大きく二分化され、分断が進んでいた。政府としては、なんとかそれを食い止めたいのだ。

とはいうものの、エイ氏は全く期待はしていなかった。自分の考えが絶対に正しいと思っていたし、それをわかっていない人にわからせてあげることが必要だと考えていたからだ。

そして、自国の問題は、自国で完結するべきで、他国なんてなんの役にも立たないと思っていた。何しろ、V国は最強なのだ。

それでも、エイ氏はA国の人々とたくさんの話をした。もちろん、言語は違う。だから、当初はV国の言葉で話していた。特に面白い話はなく、普通の国民たちのようだった。

しかし、エイ氏はB国の言語を学びたくなった。あまりにも平凡で、このまま帰ったら、上司に何を言われるかわかったもんじゃ無いからだ。
エイ氏は必死に勉強し、日常会話は理解ができるまでになった。

そうすると、エイ氏のB国民の人々に対する認識はガラリと変わった。彼らが話していることが、とても深遠で奥ゆかしいことに気がついたのだ。

その言葉は、聞く相手への配慮で溢れている。相手が少しでも嫌な思いをしないように配慮が散りばめられているのだ。

例えば、V国の言葉にはない「二重否定」というのがある。

否定に否定を重ねることで、さらに否定が強くなるのかといえば、決してそうではない。これを使うことで、より「ソフトな」言い回しをすることができるのだ。

エイ氏はこの心遣いこそが、B国の大きな特徴の一つだと考えそれを重点的に研究することにした。

すると、興味深い事実が浮かび上がってきた。

B国民の中には、この「深遠な」言い回しや気遣いを否定している人がいるらしい。これによって、分断は未然に防がれお互いへの気遣いができるようになっているというのにだ。

もっと詳しく話を聞いた。すると、こういうことらしかった。

「B国民は、周りの目を気にしすぎるあまり、自分の意見をはっきりと主張することができない。また、決断を下すことができないため、なぁなぁに物事が進んでしまう。V国のように、自分の意見をはっきりしなければダメだ。」

エイ氏は、思わず唸った。エイ氏の考えはこうだった。

「お互いに思いやることができるからこそ、自分の意見を過信することがない。決断ができないというのは、むしろ、平和な社会を作るという意味ではメリットなのではないか。」

やがて、エイ氏はV国へ帰った。

そして、こう報告した。

「B国は、相手のことを思いやり気遣いすることができます。それによって、極端な意見に走ることなく、協調することができるのでしょう。それと同時に、決断ができない。同調圧力に負けてしまうというデメリットもあるようです。」

そして、エイ氏はこう付け加えた。

「どちらが正しいとかどちらが正しく無いとかという話ではありません。それぞれが正しいのです。だからこそ、我々V国はB国と協力しあってお互いのデメリットを打ち消しあえばいいのでは無いでしょうか。」




名称未設定のデザイン-3

#ち
チェスはもうすぐそこまでいる。


やぁ、こんにちは。私はチェスの神様。チェスが生まれた時(なんと紀元前だ)から人類がチェスを楽しめるように見守ってきた。

少し、私事を話させてくれ。私が誕生したのは、紀元前のいつか。(雑ですまんの。最近物忘れがひどくて)私の親は、古代インドの「チャトランガ」だ。兄弟には日本の「将棋」や中国の「象棋」がいる。ま、兄弟の中では私が一番有名だろ。

主に、ブリテン諸島(イギリスのあたり)でよく遊ばれてきた。途中でルールの変更もあったぞ。例えば、最初は四人制だったのにも関わらず、途中から二人制になった。人数が減ってちょっと寂しかったが、少しシンプルになってよかった。

あとは、キング(王様)の隣にはもともと将軍がいたんじゃが、いつの頃からかクイーン(女王)がいるようになった。これは、歴史を勉強した皆さんならピンとくると思う。

まぁ、そういう風に、時代に合わせて変化しながらずーっと受け継がれてきたわけじゃ。人々は、最初は自分の意思でチェスをしておった。しかし、徐々に私も力をつけてきたから、人類をコントロールすることができるようになったのじゃ。

おっと、昔話はこれくらいにしよう。日本で、一人の男の子が産まれたようじゃ。

ほら、私が瞬きしている間に小学校へと入学したぞ。全く、時が経つのは早いもんだ。そして、小学校へ入学すると同時に、学童に入れるように仕向けることにしよう。

さて、あの子も学童に入った。学童には、さまざまなボードゲームがある。まずは、将棋だ。日本だからな。将棋を学童の先生達と遊んで楽しそうにしている。

私の兄弟の将棋ばかりで遊んでいるのは面白くないな。そろそろ本気を出すか。ほら、そろそろ将棋をマスターしてきて新しい遊びがしたくなってきた。さりげなく、チェスを置いておこう。

よしよし、先生に聞いてチェスを始めたぞ。兄弟とあってチェスと将棋はほとんど同じルールだ。すぐに楽しめるようになる。チェスの方が、テンポよく進むから楽しいだろう?

まぁ、あの子にとってみればどちらも楽しいようだ。ただ、チェスの方が全世界的に遊ばれているからその点では、私の勝ちだろうな。

あの子も中学生になり、あんまりチェスをしてくれなくなった。寂しい限りだ。まぁ、しょうがなかろう。でも、海外に行って向こうでもチェスができたという経験のおかげでチェスの株が上がったようだ。

そして、中学校もあっという間に終わり、友達とチェスをするようになったようじゃの。嬉しい限りだ。月に1回は、必ず集中してチェスをしてくれる。おいおい、オセロなんかするな。お前は、オセロが苦手だろ?知ってるんだから。
ほら、見たことか。ボロ負けじゃないか。

あの子の楽しい気持ちがひしひしと伝わってくるわい。私はチェスの神様だが、願うことは、人々が楽しく暮らせるということだ。

チェスというのがそのために役立てばいいなと思っている。

あの子が、何か言っているぞ。なになに?

「チェスの神様、キッカケをくれてありがとう。」だって。

いえいえ、それはこちらのセリフさ。ありがとよ。これからも、思う存分口実に使って、楽しんでおくれ。

チェスを通してもっともっと多くの人が繋がれたらいいなぁ。さて、この子はこう大丈夫じゃろ。次の子に行こう。

と思ったが、今日は、金曜日じゃ。人々はこの週末にのんびりチェスを楽しんでくれることじゃろう。それを鑑賞するのも一興かもな。いや、でも、新しくプレイヤーをゲットした方がいいかな。ま、どっちでもいいわ。

人類が、この週末で疲れが取れてまた月曜日から頑張ることができるのであればな。見守っておるぞ。




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#つ
Twitter is a good but not to have fun.


ちょっと、ちょっと。物語形式にしてから、口を挟んだことはなかったのですが、これは言わせていください。

『なんで英語やねん!』

はい。なんでなんでしょう?ちゃんとひらがなで「つ」って打ったのに、、、。ひらがなを英語に変えるという力技。初めてのことですね。

一応、日本語にすると、

Twitterは良いですが、楽しむことはできません。

といったところでしょうか。少しおかしいですけども。

まぁ、そんな感じで物語を始めますか。(あ、日本語ですよ。)



カチャかちゃかちゃかちゃ。トントン。キーボードを叩く音が部屋に響く。と思ったら、かなり長い静寂。ほんのかすかに、何かガラスのようなものを擦るようなスっスッっという音が聞こえる。

そんなことが一日中繰り返される。その部屋の主は、伸びをしてこう言う。

「あぁ、今日も疲れた。あれ?いつの間にか深夜、、、。今日は何をしたんだっけ、、、?」

男は気がついていないみたいだから教えてあげよう。彼は一日中スマホをいじっていたのだ。朝起きて、何気ないつもりで開いたスマホをずーっといじってしまった。

気がついたら、もう夜だった、、、。

Twitterで100個くらいのいいねをもらった。10回リツイートしてもらえた。男は、喜んだ。

でも、ふと気がついた。

『自分の周りの世界は一つも変わっていない』

ということに。

友達から、一緒に遊ぼうと誘われたのに、それを断った。親から電話しようと言われたのに、それも断った。

当初男は、自分の考えをちょっと呟くだけのつもりでTwitterを始めた。時々ツイートして、自分が満足すれなそれでいいかなと思っていたのだ。しかし、それは甘い考えだった。

最初のきっかけは、初めていいねをもらったことだった。自分が呟いたことに対して誰かが反応をしてくれる。それは、それまでに味わったことのない快感だった。

そこから男はいいねやリツイートをチェックするため、5分ごとにTwitterを開くようになってしまったのだ。

Twitterも使い方によっては、非常に有効な手段となり得る。しかし、それに囚われる恐怖も知らなければならない。

便利ではあるが、あくまでも「手段」出会って、楽しめものではないのだ。ましてや「目的」などでは決してない。




#て

#て
天下のお魚さんを食べる。


「うみぃ〜は広いなぁー〜おおキィきぃーいぃーなぁーー。」

パクゥッ!ん?お!?体が上に引っ張られる。なんだなんだ。うおっ!海から飛び出してしまった、、、。

よし、歌う歌を変えよう。

「幼い微熱ぅーをぉーーー下げられないままぁーー、、、、、、」

痛い。一番いいところを歌い終わる前に、俺は口に鋭い痛みを感じた。何者かに、体を掴まれている。

「おい!はなせ!何するんだ!」

必死に体を動かしても、一向に放してくれる気配がない。ぽちゃん。なんだか、狭いところに入れられた。

「ただいまぁー!」誰かの声が聞こえる。

「おかえりぃーー」ドタバタという音と、高めの声が聞こえる。

「あー君ただいま。お魚さん釣ってきたよ。」なるほど、俺は釣られたのか。ということは、、、。

やっぱりな、まな板に乗せられる。噂には聞いていたが怖いもんだ。死にたくはない。人間どもを恨んでやる。

「あー君もするかい?」男の声だ。

子供の声が答える。「うん、、、。」おや?泣いているのかい?泣いている。あー君は泣いていたのだ。

男の声が聞く、「なんで泣いているんだい?」

「だって、お魚さんが可哀想だもん、、、、。食べたくない。」

でも、俺は、もう覚悟を決めた。食べられ、食べるのは自然の摂理だ。ジタバタしてもしょうがない。ましてや、あー君は泣きながらやってくれている。この命、くれてやろう。

そして、あー君が包丁を握る。「あぁ、ついに。」でも、もう覚悟はしてある。この子の命になることができるのであれば、俺は良い。

でも、俺の今の思いを人間とやらが言おうものなら、そいつを呪ってやる。勝手に、自分の都合がいいように解釈するんじゃねぇよ。

「天下のお魚様だ。お食べ。あー君。」

俺の意識は、海へ戻った。「やっぱり海は広いなぁ。」

あー君は、いつもより、たくさんの思いを込めて、

「いただきます。」

といった。そこにある命に対して。その言葉だけではあまりにも少なすぎると分かっていたけど、今のあー君にはそう言うことしかできない。

やがて、俺の肉体は、あー君の肉体となった。命をいただいているんだ。その自覚を持って育ってくれ。あー君の中の命の一つとして、俺は願った。




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#と
通り名であれば大丈夫。


僕は僕だ。名前を言うと長すぎるので省略しておく。30歳。側から見れば、ごく普通のサラリーマンに見えるだろう。でも、僕の仕事は少し普通ではない。僕の仕事は人の名前を売買する仕事だ。

ネームブローカーとでも言おうか。世の中には、なんらかの事情で名前を変えたかったり、新しい名前が欲しかったりする人がいる。そういう人たちに向けて名前を売るのだ。もちろん、名前を売りたいという人がいれば、買取もする。

まぁ、需要は結構あるらしく、なかなかたくさんのお客さんが来る。ほら、今日も来た。

「いらっしゃいませ。どんな御用でしょうか?」

「ここでは、名前を売買出来ると聞いたのだが。」

「はい、その通りです。間違いありません。今日は、お名前をお売りになりたいのですか?」

「実は、そうなんだ。」

お客さんは、暗い顔をしている。まぁ、明るい顔でこの店に入ってくる人の方が珍しいが。

複雑な理由があるのだから、理由は詮索しないことにしている。なので、いきなり本題へ入る。

「お客様のお名前を伺ってもいいですか?」

「木上落だ。」

「木上落さん。そのお名前をお売りになりたいのですね。」

「そうだ。」

「それでは、いくつか注意事項をお伝えしておきます。名前というのは、あなたが生まれた時に、親や周りにいた人につけてもらったものです。名前というのは、すなわちあなたであり、あなたをあなただと認識するためのものです。それを売ってしまうというのは、あなたのほとんどを失うことになってしまいます。それでもいいですか。」

「うむ。よろしい。ところで、いくらで売れるんだい?」

「本名でしたら、10万円といったところでしょうか」

「ほぉ!そんなに高値で売れるのか。」

木上さんは、驚いたようだ。自分の名前にそこまでの価値があるなんて思ってもみなかったのだろう。確実に売ることを決心したようだ。

「よし、売ろう。どうすればいいんだ?」

「この契約書にサインをしてください。」

木上さんは、言われた通りにサインをした。そして、僕は彼に10万円を渡す。

「毎度ありがとうございました。」

そして、一週間後。木上さんがまた、店にやってきた。正確にいうともう、木上さんではないのだが。

「なんだか、俺が俺で無くなったみたいだ。いや、なんというか、、、。自分の中の大切なものがなくなってしまった。頼む。返してくれないか。」

僕は、こう答えた。

「残念ながら、それはできません。買い戻していただくことも可能ですが、完全に元に戻ることはないのです。あなたは、今のあなたで生きていくしかない。もう、戻れないのです。」

木上さんはーいや、名もなき男は、突っ伏して泣いた。そしてフラフラとした足取りで外へ出て行った。外は土砂降りの雨だ。微かに喧騒が聞こえる。「人が落ちたゾォー。」「救急車を呼べぇーー。」

多くの人々は、自分が持っている名前がどんなものなのか考えたこともない。それは、単なる呼び名ではないのだ。その人自身であり、周りの人がその人に対して注いできた愛情の対象でもある。

あなたは、あなたの名前をもらったことで、あなたになっているのだ。そこにあるのは、ただの文字の羅列ではなく、愛の結晶なのだ。

そのことを知ってほしい。自分の名前を大切に、他人の名前を大切にしてほしい。そして、自分自身も大切にしてほしい。

そんなことを考えながら、僕は、その名前を大切にしまい、自分の名前へと組み込んだ。ある雨の日の、街の片隅で。




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#な
なんで俺だけ?


俺は、不満を抱えている。

それは、俺にばっかり不幸なことやめんどくさいことが起こることに対してだ。考えて見れば小さい頃からそうだった。長男の俺は、お手伝いなども全部任され、妹や弟はキャアキャア遊んでいただけだった。

それなのに、親は、俺にばっかり何かを要求してくる。「お兄ちゃんでしょ?」「ちゃんとやって!」

なんでなんだ?俺ばっかり。

高校入試だってそうだ。人一倍頑張って勉強して、中の良い友達と一緒の高校へ行こうと言っていたのに、仲良し四人組の中で、俺だけ落ちた。みんなよりも頑張ったはずなのに。なんで俺だけなんだ?

大学入試もそうだった。全国の何万人という同級生は、着々と進学していくのに、俺だけは、浪人になった。なんでなんだ?おかしいぞ。俺は、不幸だ。

就職の時だってそう。20社も30社も受けたのに、どこからも内定がもらえず、コンビニのアルバイトをすることになった。なんでなんだ?友達は、それぞれに内定をもらって入社していった。なぜだ?

俺は、一年後にようやく、まともな職にありつけた。でも、遅すぎる。同期のみんなは昇給もしている。なんでなんだ?なんで、俺だけ?

そして、つい先日、リストラされてしまった。長年にわたる不景気とかなんとかで。でも、なぜ俺なんだ?ここまで不幸なのはなぜなんだ?

俺は、ふらふらと彷徨った。俺は、なんてかわいそうなんだ。なんと恵まれない男なんだ。

ドンっ!人とぶつかった。うわぁー。やってしまった。怖い人だったらどうしよう。でも、幸いにおじいちゃんだった。

おじいちゃんは、話しかけてきた。

「お前さん何か悩んでおるの?」

俺は、何も話したくなかった。なんでこいつは話しかけてくるんだ?気分が落ち込むじゃないか。最悪だ。

それでも、おじいちゃんは、話しかけてくる。

「ないがあったんじゃ?どうしたんじゃ?話してみなさい。」

俺は、観念して、自分の不幸について話すことにした。

おじいちゃんは、目を細めて仕切りに頷きながら聞いている。次第に、気持ち良くなって、調子に乗って話してしまった。

俺が一通り話終わると、おじいちゃんは、こういった。

「お前は、自分の不幸に酔ってないかい?」


俺は、ハッとした。確かに、気持ちよかったのだ。

おじいちゃんは、こう続けた。

「自分の不幸を嘆くのは簡単だ。周りの人や環境を恨んでいれば良い。自分の責任を他のものに押し付けることができる。」

「自分は、何もしなくてもいいんじゃ。」

俺は、何もいえなかった。確かに、そうだったからだ。

「自分に全ての責任があると考えるのはあまりにもしんどい。だが、それを引き受けなければ、変わることなどできやせんよ。」

俺は、不幸なんかじゃなかった。自分で、自分を不幸に仕立て上げていたのだ。そうすることで、弱い自分を守り、薄い膜を作っていた。

不幸というのは、絶対的にくるものではない。受け取った側が、それを不幸だと感じて初めて不幸になるのだ。

俺は、意気揚々と歩き出した。頭に、鳥のふんが落ちてきた。

でも、全く不幸には感じなかった。むしろ、「なんて貴重な体験だ」と感じることができた。そして、その鳥のふんを鼻歌を歌いながら洗っていると、女性が現れた。「大丈夫ですか?お手伝いしましょうか?」

俺は、もう不幸なんかじゃなかった。世界一幸運な男だった。




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#に
ニュースを見ている。


あるところに、一人の男がいた。男は、ある山の奥で一人で暮らしていた。かなり深い山の中に住んでいた。他の人間が入ってきたことは一度もない。

生まれた時からずっとそこに住んでいた。山から出たことはなかった。

男が心配することといえば、蜂が襲ってこないか、洪水が起きないか、畑の実りは悪くないか。ということばかりだった。つまり、自分が生きていくのに直接かかわることばかりだ。

男は、幸せだった。日の出とともに起き、畑で働き、原っぱで昼寝をし、日の入りとともに寝る。毎日が、淡々とすぎていった。

ある一人の山高帽の男が来るまでは。山高帽を被った男は、男に話しかけた。

「やぁ、私は、街の方から来た役所のものだ。今回、この山を開発することになった。そこで、君にこの山の一部を売ってほしいんだ。」

男は考えた。自分が穏やかに暮らしていた土地だ。うるさくなるのは好ましくない。

「少し考えさせてくれ。」

男は言った。山高帽の男は、「3日後に来る。それまでに考えておいてくれ。」と言い残して山を降りて行った。

3日後。山高帽の男は約束通り、男の元へやってきた。手には何やら機械のようなものを持っていた。

「これは、畑仕事が捗る機械だ。種まきから水やり、収穫まで全てしてくれる。使ってみてくれ。」

男は早速、試してみた。なるほど、とても効率的だった。やらなければいけないことが8割も減った。男は喜んで、山高帽の男に礼を言った。

山高帽の男は、「どうだい。土地を売ってくれればもっと便利な機械をお届けするぞ。」と言った。

男にはとても魅力的に思えた。これだけ広い土地だ。少しくらい売っても害はないだろう。そして、契約書にサインした。

山高帽の男は、喜んでポケットから小さな液晶のようなものを取り出した。

「これは、誰とでも会話することができるものだ。こんな山奥でも、何かを注文すれば、届けてくれる。情報もたくさん入手することができるぞ。」

男は、何が何だかわからなかったが受け取った。その機械を使いこなすのに、時間はかからなかった。何しろ大勢の人たちが、誰でも使いやすいように考えて作ったものだ。すぐに使いこなせるようになる。

そして、すぐに依存するようになる。

男は、たくさんの情報を手に入れた。隣の国の政治がどうとか。今年の天気がどうとか。どこどこの会社が儲かっているとか。

少しでも役に立ったのは、天気予報ぐらいだった。でも、男は、情報を入手することをやめることができなくなった。

やがて、会社というものに興味を持ち、街に降りて会社を始めた。もちろん、元では山高帽の男に土地を売って得たお金だ。

そうすると、ますます情報をチェックするようになった。というより、情報が目に飛び込んでくる。そして、それを見て憂いたり、喜んだりするのだ。

男は、商才があったようで、会社は瞬く間に成長を遂げた。男は、ちょっとした金持ちになった。

望むものは全て手に入れたはずなのに、少しも幸せではなかった。全然満足できなかった。もっともっとと求め続けた。

しかし、やがて歳を取り、求め続けるのがしんどくなった。色々と心配することに疲れてきた。情報にうんざりしてきた。

そして、男は、山を購入し、スマホなるものを捨て、ひっそりと暮らし始めた。

この何十年も時間を費やしてきたのに、結局は、そのお金を全て元の生活に戻るために使った。もちろん、全てを後悔しているわけではない。ただ、自分には、元の生活に戻るという選択肢があってよかったなと感じている。

あのまま、情報に溺れ、自分の生活に全く関係のないことを心配してばかりいたらどうなっていたことだろう。

情報は、知らない方が幸せな場合だってある。そのことを男は身をもって学んだ。



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#ぬ
主のお陰である。


時は、今から3000年ほども昔のお話。

ある池に1匹の蛇が住んでいた。ただのヘビではなく、神様の使いだ。色は真っ白で全長は5m程もあった。

蛇は、池に住み着いて、人間たちを観察していた。そして、神様に報告するのだ。村人たちもそのことを知っており、蛇を丁重に扱った。祭り事の時は、酒や肉や魚を供え、周りで踊った。

ある年のこと。村に大飢饉が襲った。米は全く取れず、麦でさえもわずかに手のひらばかり取れただけだ。村人たちは、今年生き延びることができるのか不安だった。

そして、さらに感染症も流行した。人々はドタバタと亡くなっていった。村人の恐怖は増すばかりだ。村人は、蛇の元へお願いをしにいった。「どうか、平穏を取り戻してくだされ」

蛇はもちろん、神様にお願いした。しかし、神様は首を縦に降らなかった。「人間は、少し調子に乗りすぎた。そろそろ懲らしめておかなくてはならない。」

でも、蛇は、村人のことが大好きだった。どうしても救いたかった。

そして、蛇は、暴挙とも言える行動に出た。池から出て、村人の元へ行ったのだ。そして、こういった「皆で、私の体を食べなさい。少なくとも今年一年は生き延びることができるはずじゃ。」

村人は、恐れ、丁重に断った。そんな恐れ多いことができるわけがない。しかし、蛇は譲らなかった。どうしても、食べろという。食べないならば、自ら死ぬとまでいうのだ。

村人は泣く泣くヘビを食べた。そして、その年を生き延び、次の年は豊作だった。

神様は言った「今回は、蛇の行動に免じて許してやろう。しかし、この恩を忘れるのではないぞ。このことを忘れれば、また、禍が起こるだろう。」

村人は、決して忘れないと心に誓った。そして、蛇は、龍となり、神様にもっと近いところで、より広い範囲の人々を観察することになった。

しかし、人は忘れるもの。時として、調子に乗りすぎた。そして、その度に、神様は戒めを送った。

しかし、神様はそれにも疲れてきた。いつまで、わしが人間を管理して居ればいいのじゃ。そろそろ奴らも独立できるだろう。そう言って、最後の試練を下した。それは、感染症を流行させることだった。

この感染症に、全人類が協力して立ち向かい、克服することができるのか。もし、できたならば、わしの監督は要らんじゃろう。

かくして、人類の団結を試される試練は始まったのである。



#ぬ

#ね
ね。


男は、探し求めていた。「何か」を強烈に探し求めていた。でも、それがなんなのかは分からない。でも、男は必要としていた。

幾千もの山を越え、谷を越え。何百もの国を通過し。道ゆく何万もの人と話し。そして、何十年もの年月を費やした。男は、自分が今何歳なのかも分からなかった。

ここまでの道程には、たくさんの悲しみがあった。たくさんの喜びがあった。ある町では、愚かな王のために何千もの人々が苦しんでいた。また、ある国では、道を歩いていると、水や食べ物を分け与えてくれた。その土地の人の話を聞き、一緒に涙を流しながら、一夜を過ごした。彼らの話を聞き、ずーっと笑い続けた。

病気にもなった。もうだめだと思ったことも一度や二度ではない。それでも、男は「何か」を探し求めていた。

男が話した人は、口々にこういった。「きっとそんなものはないよ。」「妄想に取り憑かれているんだ。」

男は自分でも感じていた。「きっと自分はどこにないものを探しているんだ。」

これだけ、たくさんの国を周り、たくさんの人と話して手がかりさえないものがこの世界のどこにあるんだろう。それでも、男は探し続けた。いや、探し続けなければならなかった。

ある村に男は立ち寄った。なんてことのない村だった。一人の娘が出てきて、食べ物をくれて家族に紹介してくれた。男は、自分が探し求めて「何か」について話した。

家族の反応は、いつもの通りだった。でもただ一人、娘だけは否定しなかった。でも、肯定もしなかった。

男は、その家族と語り合った。徐々に、家族は寝床についた。キッチンには、男と娘だけが残った。男は聞いた。「寝なくていいのかい?」

娘は答えた。「ね。」

ズカーンと男に衝撃が走った。何かが男に起こったのだ。この一言に込められた、声なき声。

全てのものを受け入れる暖かさ。男はこれこそが自分が探し求めているのものだったと知った。全く特別なものでもない。キラキラしていないし、豪華でもない。でも、この人が発するこの一言を探し求めていたのだ。

自分の全てを受け入れてくれて、否定も肯定もしない一文字を。そして、何よりこの人を探していたのだ。男は、旅を終え、このまぁるい地球の隅っこの村に根を張った。いや、この丸い地球の中心で暮らすことにした。




#の

#の
登りたい人がいる。


山。それは、ある人にとっては人生の全てでもあるし、ある人にとってはどうでもいいものだったりする。

論理的に考えて、わざわざ命の危険がある場所に自ら飛び込んでいくというのはおかしい。もっというと、狂っている。

だって、生物として間違った判断を下しているんだもん。普通に低めの位置にいれば、安全に暮らせるのに、わざわざしんどいところ、命の危険があるようなところに行く。

私にだって、丘に登りたくなる気持ちはわかる。普通にしんどくないし、高いところからきれいな景色が見えるから。

でもさ、標高何千メートル特に8000メートルとかって、しんどいし、何も見えないでしょ?

一歩を歩くのが精一杯って言うし、なにより命の危険が。(さっきからそればっかり)

そんなの何が楽しいんだって思う。正直ね。

でも、きっとそれが「人間らしさ」なんだと思う。

達成感とか自分が好きなこととか言う生物的に見れば「しょうもないこと」に一番後生大事にしたい「命」をかけて挑むことができる「愚かさ」。

これが、人間を人間たらしめている気がする。

だからこそ、私たちは、限界に挑んでいる人を見たら応援したくなるしかっこいいなと感じる。

ここまで、命をかけて山を登るなんて馬鹿げているみたいなことを書いてきたけど、正直、そういう人たちは最高にかっこいいと思う。

山登りじゃなくたって良い。なんでもいいから論理的に考えたら「愚かなこと」を「命をかけて」できる人って超かっこよくない??




#は

#は
はい、お気をつけてお帰り下さい。


今日は、大事な打ち合わせの日。新規取引先と契約を結ぶことができるかがかかっている。

少し緊張しているが、プレゼンの準備は万端だ。「大丈夫、大丈夫。」と自分に言い聞かせる。今日は、先方がこちらに出向いてくれるらしい。逆に緊張だ。

予定している時刻まであと5分。先方が到着し、部屋に入ってきた。軽く挨拶を交わし、当たり障りのない世間話をする。

そして、いよいよ本題だ。ビジネスの話に入る。しかし、先方の条件は厳しい。こちらがだいぶ損失を被りそうな内容だ。俺は、隣りにいた秘書に目配せする。秘書は小さくうなずき部屋から出る。

秘書は、お茶と茶菓子を手にして帰ってきた。「まぁ、お茶でも飲んで落ち着いて話しましょう。」先方も「そうしよう」と賛同した。

お茶を一口飲んで、先方は感嘆のため息を漏らした。「ほぉ。なんですかこの美味しいお茶は?」

「これこそが、我社が扱うお茶でございます。どんな気分のときもこれを飲めば幸せな気持ちになることができます。」

先方は、とても満足したようだった。「ほんとだ。幸せな気分に満ち溢れている。なんでもできそうだ。」そして、「もっとくれ!」と言った。

俺と秘書は「いや、、、。あまり、、。そのぉ。」と口ごもった。

「なんだ?私には出せないというのか?」先方はご立腹だった。俺は仕方なく秘書に持ってこさせた。

そしていい気分になった先方は話を聞いてくれるようになり。商談は上手く成立した。

「いやぁ。今日は、素晴らしい時間を過ごさせてもらった。ありがとう。」先方は、そう言って車に乗り込んだ。

俺は、「はい、お気をつけてお帰り下さい。」

と言った。何度も何度も言った。先方は社交辞令だと気にせず、帰っていった。

俺と秘書は、落ち込んでしまった。なぜならあのお茶は、「幸せな気分」になれる代わりに「不幸」が訪れるというものだったからだ。

そして、次の日、商談は交渉者が変わったため、振り出しに戻った。

早く、お茶を改良しなくては。



悪口屋

#ひ
人がどうあれ。


迷っていた。とても迷っていた。

このまま自分がやりたいことを続けるべきか。それとも、周りの忠告を聞いてやめるべきか。どれくらい悩んでいたのか。それは、コンビニでアイスを一つだけ買ってもいいと言われた子供並みに悩んでいたのだ。

どちらもそれぞれにメリット・デメリットがあって中々決められない。

自分のしたいことをやめたら絶対に後悔することはわかっている。でも、周りの人の期待に背くようなことをする勇気はなかった。結局、周りの人の忠告にしたがい、自分のやりたいことをやめてしまった。

決断をして、それを周りに表明した直後は非常に後悔した。諸葛亮孔明が馬謖の首を切ってしまったときなみに後悔した。

ただ、その後悔もやがて消えていった。これで良かったのだ。そう言い聞かせて自分を納得させた。

そんなある日。行商をしているタバコ売の男に声をかけられた。「もしもしあなたなにか後悔しているでしょう?」

「いや、後悔なんかしていない。これが正しいのだ。」

「いやいや、あなたは自分のしたいことをできなくて苦しんでいる。今からでも遅くはない、自分がしたいことを始めなさい。」

その言葉に惹かれ、家族を捨て、タバコ売の男についていった。きっとそれまでの鬱憤もあったのだろう。

そして、自分がしたかったことを始めた。それは。。。。

他人の悪口を言うことだった。

悪口屋を始めることだった。

最初の方は、人気を博した。痛快に悪口を言ってくれるからだ。しかし、次第に調子に乗り始めた頃、人々はついてこなくなった。

悪口を言う人のそばには、悪口を言う人しか集まらない。違う者同士が引き合うのは磁石くらいだ。

ついに、誰からも相手にされなくなり、悪口ばかり言うようになった。自分のことは棚に上げて、タバコ売の男の悪口。自分のことを悪く言う人の悪口。

全然楽しい人生ではなかった。

人がどうあれ自分のやりたいことをすることは正しいと思っていたのに。

必ずしもそれが正しいとは限らないらしい。人を幸せにして、楽しい気分にさせて初めて自分も楽しくなれるのだ。



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#ふ
吹き飛ばしてくださいますか?


私の職業は、吹き飛ばすこと。

何でもかんでも吹き飛ばしてスッキリさせるのだ。部屋の中のゴミから空に浮かんでいる雲まで。つまるところなんでも吹き飛ばせる。吹き飛ばすのを見ているのは中々に気持ちがいいらしく、多くの依頼が寄せられる。

吹き飛ばすといっても、なにか道具を使って吹き飛ばすわけではない。象みたいな大きな機械を使えば少しはできるかもしれないが、それにも限界がある。

私のやり方は簡単。ただ念じるのだ。怪しいって?それはしょうがない。そういうものなのだ。対象に心を集中させて。そーっと動かす。そして、エイやとばかりに吹き飛ばすのだ。

結構な集中力はいるが、元手はゼロでいい。便利だ。まぁ、そうやって生活してきた。

そんなある日。一人の女が訪ねてきた。私はその女に聞いた。

「なにを吹き飛ばして欲しいんだい?」

女は答えた。

「不安を吹き飛ばしてほしいんです。」

おや、これは新しい依頼だ。この店が始まって以来、こんな依頼には出会ったことがない。おっと、ダジャレじゃないぞ。

とにかくやってみるしかない。「不安」というものに心を集中させて頑張ってみた。ただ、どうしても対象が定まらない。それはそうだ。不安というものに正体はないのだから。

私は苦戦した。そして、何度も何度も挑戦したがその度に失敗した。

私は諦めることにした。人生で初めての失敗だ。それを聞いた女は、

「ありがとうございます。おかげで不安が吹き飛びました。」

と言った。私は訳がわからなかった。何もしていないというのに、どうして吹き飛んだのだ?

すると女は言った。「実は私自分で自分の不安を吹き飛ばそうと頑張ってみたんです。そうすると、不思議と消えてなくなりました。」

私は女にも自分と同じ能力があるのかと思った。だが、違うようだ。そんな能力などないという。

そして、私は気がついた。

「自分のことを解決できるのは自分しかいない」

という事実に。自分の中身を変えることができるのは自分しかいないのだ。周りにいる私はその手助けしかできない。






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