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バナナとお金とオロナミン ー 今まで育ってきた場所を旅立つ前に


人が好きだ。じゃあ、人がいっぱいいればいいのかって?そうでもないらしい。自分が本当に人のことが好きかどうか確かめるために、世界で4番目に人口が多いと言われる東京都市圏のど真ん中、東京を訪れたこともある。

しかし、結果は芳しくなかった。東京は、はっきり言って疲れる。なぜか?ヒトが多いからだ。歩いただけなのに、とってもくたびれる。生物としての「ヒト」が好きというよりは、「人」が好きなのだ。

生まれてから今まで、沢山の人と出会ってきた。もちろん、まだ16年しか生きていない若造だからまだまだ少ないとは思うけど。

そして、この8月から地元を離れインターナショナルスクールに入学する。そこでも、たくさんの人との出会いがあるだろうなと考えるととてもワクワクする。

でも、地元を離れる前に、すこしだけ自分が今まで住んできたこの場所について書いていきたいと思う。


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というわけで、皆さんお久しぶりです。お久しぶりすぎて、どうやって書いたらいいか分からなくて、田所さん風に書き出してみたやおきです。(真似さえできていないとは言わせません。)


まえがき?にも書いたように、今回は、自分が住む地域について書いていこうと思います。

今までほんとにたくさんの人にあってきて、ほんとにたくさんの刺激を頂いてきたのですが、今回は、近所のおじいちゃんおばあちゃんのお話にしたいと思います。なぜなら、すべての人のことを書くと書きたいことが多すぎて、いつまでたっても書ききれないし、誰も読みたくない、いや、読めないような文章になってしまう恐れがあるからです。

この文章を読んで、少しでも人っていいな。田舎っていいな。と感じていただけると幸いです。


バナナとお金とオロナミン


今回、タイトルにもしているこの3種の神器??がなんなのかを気になった方も多いと思います。まずは、そのことについて話していきましょう。

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この3種の神器は、隣のおばあちゃんから頂いたものです。


ある日の朝6時のこと。

「ピーン、ポーン。」我が家のインターホンがなります。

「おはようございますー。」隣のおばあちゃんです。sさんとしておきましょう。

父:「あぁ、sさん、おはようございます。どうされたんですか?」

sさん:「いやぁ、あのねぇー。今日、うちのところの溝を掃除してくれんかの?」

父:「わかりました。やおきが暇そうなので行くかどうか聞いてみますね。やおきぃーー!」

私:「はーい。」

父:「今日、いまからsさんところの溝掃除行く?」

私:「うん、行くわ。」

という感じで、sさんの畑の溝掃除に行くことになったのです。

溝掃除と言っても、せいぜい10m くらいの短い区間の溝、しかもゴミは殆どありません。案の定、5分くらいで終わってしまいました。流石に、早すぎるので、当初の予定にはなかった、溝の続きまで掃除をすることに。そこの掃除を終えても、20分くらいしか経っていません。

sさん:「予定より多くのところやってくれてありがとね。お小遣いは、1000円のままでいいの?」

私:「20分で終わったので、そんなにいらないですよ。」

sさん:「いやいや、少なすぎることはないでしょーがいね。お父さんに電話してみ。」

いや、話の流れがわからないのですが、やたらと父に電話するのを勧められるので、電話を借りて電話させてもらうことにしました。

私:「もしもし」

父:「はい、もしもし。終わった?」

私:「終わったよぉ〜。なんか、sさんが電話してっていうから電話したんだけど。お小遣いをそのままでいいよって言ってくれる?代わるね。」

sさん:「あ、もしもし。やおき君に、予定よりも多くやってもらっちゃって、お小遣い1000円でいいって言っとんじゃけど、いいんかいね?」

父:「あ、もちろんです。ありがとうございます。」

sさん:「はい、わかりました~。」

なんだ、この会話は...................! まぁ、いっか。

sさんは、「ちょっと待っとてねぇ。」といって、家の奥に消えていきました。私は、上がり框に座ってぼんやりとそとを眺めていました。雲ひとつない空に、燦々と降り注ぐ太陽の光。目の前には、グングン大きくなっていく稲が植わった棚田が並んでいます。まるで絵に書いたような、田舎の風景。


「お待たせー。お茶とお菓子食べんさい。」とお盆に、麦茶とハッピーターンを持ってきてくれるsさん。汗をかいたあとの、冷えた麦茶は最高に美味しいというのは最早常套句。ご多分に漏れず、美味い。

ふと、横に目をやると、ドローンで撮ったような写真が。「この写真、どうされたんですか?」と聞くと、業者の人がセールスに来て、撮ってくれたとのこと。
「高いんよぉー。何十万もするんじゃけぇ。」と言うsさん。

そんなに高いものを.........なんでそんなに高いんだろう?「ドローンで撮ったんですか?」という問いに帰ってきた答えは、「ヘリコプターよ!」とのこと。

e........え、、、、、そりゃ高いわ。ヘリコプターがわざわざ飛んできて、この1枚の写真を撮っていくという。なんてシュールな、、、。しかも、何の役にも立たないのに。

昔は、セールスによく来ていたようで、「最近は、全然来んくなったけんねぇ。」というsさん。それは、そうでしょう。ドローンというものがあるのでヘリコプターなんて出動する必要ないし。一般家庭がそんな航空写真を欲することも考えにくいし。


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なんやかんやで、40分。

sさんと、ズゥっとおしゃべりしていました。途中で、隣の家のおばあちゃんがやってきて、とうもろこしの差し入れ。「あんた、持ってく?」と聞かれるも、我が家は農家なため、丁重に断っておきました。

ん?おしゃべりしてる時間が働いている時間よりも長いって??

そう、これが田舎時間っていうやつなんです。

そして、そろそろ帰ろうとしたとき、sさんが家の奥へまた消えていきました。
なにやらごそごそ音がしています。

「はい、お待たせ。今日はありがとうね。これもって帰りんさい。」

といって渡してくれたのが、先程の、バナナとオロナミン。そして、お小遣いのお金。

疲れたじゃろ〜けぇ、これ飲んで元気出しんさい」というsさん。オロナミンの目的は、とりあえず理解しました。確かに、飲めば元気になるかもしれない。

で、バナナは?

よく分からんけど、もらっておきましょ。「ありがとうございます、またいつでも声かけてください。」と言ってsさんの家を離れる私。

そうして、家に帰って、オロナミンとバナナは美味しくいただきましたとさ。めでたし、めでたし。


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こんなふうに、田舎の近所の人達との関わりを通して田舎と都会の大きな違いを見つけました。

都会と田舎で大きく違うなと感じるところ、それは人と人の密度です。


それは、いい意味でもあるし、悪い意味でもあります。

都会に暮らしていると(そんな長期間は暮らしたことがないので推測ですが。人それぞれだと思うので、傾向的にということですが)自分が選んだ人としか付き合わなくていいと思います。

なんだ、あの隣の部屋の人。気に食わないなぁ。と思ったら、ほとんど会話しなくたって生きていけます。まず、田舎では、隣の部屋に他人が住んでいるっていう状態が考えにくいです。いや、そんなことがあったら事件ですww

都会には、人が多いです。自分と関係性がある人を「人」と呼ぶのであれば、そうでない「ヒト」があまりにも多いです。

あまりにも多いがゆえに、一人ひとりと丁寧に向き合う必要性というのが薄くなっていきます。必要最低限の暗黙の了解のマナーみたいなのを守っていれば、その人達とぎゅうぎゅう詰めの電車という空間を共有することもできますし、あれだけ大勢の人が集まっても、大したパニックにはなりません。

私が初めて、都会(東京)に行ったときに感じた違和感の一つは、

すれ違った人と挨拶をしない

ということです。田舎では、道ですれ違った人全員に挨拶をします。これは、学校の先生に言われているというのもあるのですが、最早すでに当たり前のことになっており、何の抵抗もありません。

朝、登校するときは、「おはようございまーす。」と声をかけるし、帰ってきたときは「只今、帰りました。」って挨拶します。

地域の人も、「おはよう!」とか、「おかえり!」のあとに、「今日も頑張ってね」とか、「今日もお疲れ様」とか言ってくれることもしばしばです。

人によるとおもいますが、私はこのやり取りが好きです。別に、全員にやってほしいと思っているわけでもないし、学校で強制的にそうさせるのはおかしいと思います。

でも、学校からの帰り道に、「只今、帰りました。」と言う。この言葉の奥には、この地域全体があんたの家なんだよ。っていうメッセージがあるんだと思います。
自電車に乗っていても、例外ではありません。私なんかは、自電車の速度と相手との距離を目測して、ちょうど返事が帰ってくるタイミングで声をかけたりもしますw


都会では、こんなこと絶対にありえないでしょう。というか、物理的に無理です。すれ違う人の数が多すぎますし(1秒に一人とすれ違うと仮定しても、1時間で、3600人)、どこまでをすれ違ったということにするのかにも問題があります。なにしろ、田舎では、目に見える範囲に入ったすべての人に声をかけますので。(それだけ、人の数が少ないということです。)

声が枯れるどころの騒ぎではないし、挨拶以外なにもできません。「あの、今日さ......おはようございます!どこ行...おはようございます!く?......おはようございます!」っていう感じでしょう。スマホも見てる暇ないし、飲み物だって飲めません。そして、間違いなく騒がしい街になりそうです。

あと、田舎では、横断歩道で車が止まってくれた時に一礼をすることがほとんどです。「止まってくださって、ありがとうございます」みたいな感じですね。もちろん、運転者には横断歩道前で減速や停止をする義務があるのですが、それとこれとは関係ありません。すこしでも、止まってくれた人にいい気持ちになってもらいたいから礼をするんです。(少なくとも私はそういう気持ちです)
都会では、これもありません。一度、癖で礼をしてしまって、運転手さんに驚いた顔をされたこともありますww


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ここまで書いてきて、言いたいこと。それは、どっちが良いとか、悪いとかそういう話ではありません。ひとまずは、そういう違いが事実としてあるというだけです。

まえがきの部分で、都会は疲れるみたいなことを書いてしまったので、まるで都会がダメで田舎が良いみたいに聞こえるかもしれませんが、そんな事はありません。

今までは、田舎の人間関係が密でいいところばかりを書いてきましたが、もちろん悪いところもあります。


ひとつは、

人間関係が固定されていて、凝り固まっている。

ということです。結束が硬いというのは良いところでもある反面、一度人間関係が壊れてしまったり、新しく地域に入ってきて馴染めなかったりすると、それを打破することが非常に難しいです。

都会で、自分が付き合いたい人を選ぶことができる一方、田舎ではある程度、誰とでも仲良くする必要があります。言い換えると、都会にできるコミュニティーは同じ「目的」を持った人たちの集まりであることが多い一方、田舎のコミュニティーというのは目的というのではなく、「同じ地域に住んでいる」ということで形成されているのです。


ふたつめは、

地域の人達の目が行き届いている一方、監視されている感もある

ということです。

例えば、私と友達が、通学路以外の道を通って下校していたとき、それを地域の人に見られて学校へ報告されました。次の日、学校へ行くと、「昨日、通学路じゃないところ通った人がいるだろ?」と聞かれるわけです。

これには、正直驚きました。まさか、そこまで見られていて、しかもそれを学校に報告する人がいるとは!でも、これも見方を変えると、治安がとっても良いってこと。だって、そんな監視下において、人がさらわれてたりしたらすぐに発覚するでしょ?

近所の人も、どこどこの家から車が出ていって帰ってきてないからまだ家に帰ってきてないんかね?とか話してたりする。いや、どんだけ見てるんですか??

もちろん、全く悪意はないし、心配もしてくれてるし、癖なんだろうけど、嫌なタイミングとか、嫌な人は嫌だと思います。



というふうにですね。田舎にも、もちろん悪いことはあります。人によって、好みは分かれるでしょう。

でも、個人的に、田舎のほうが好きです。

それは、多くのヒトがいるところよりも、関わりのある人がいるところのほうが好きだから。

なんだかんだ言って、自分が今まで過ごしてきたこの田舎の地域が好きです。

というと、まるで都会の学校へ行くように思われるかもしれませんが、そんな事は全くありません。私が行く学校も田舎の山の中?にあります。だから、これからも田舎の空気と自然と、人々と関われることは変わらないでしょう。

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それでも、ひとまずは、自分が住んできたこの地域とはお別れです。
今まで、住んできたこの地域に対して自分がどう思っているのかをきちんと文章として残すために、そして今までお世話になった人たちに一旦、お礼を言うために、sさんとのひとつの出来事を例に、このnoteを書きました。

この地域と、今までお世話になった方々と、この文章を最後まで読んでくださった方に感謝をしながらそろそろ終わりたいと思います。

もし、この文章を読んでいる方が都会に住んでいるのなら、たまには田舎を訪れてみるのも良いかもしれません。そして、自然とかだけではなく、そこにいる人達との関わりも楽しんでみてはいかがでしょうか?(歩いても人っ子一人いない過疎の田舎や、他所者に対して厳しめの人もいるので、そこは自己責任でw)


最後まで読んでいただきありがとうございました!

このnoteは、自分の考えを発信したいという上下変動が激しい不安定なモチベーションと、皆様からのとてつもなくパワフルなサポートで成り立っています。いただいたサポートは、なんらかの形で皆さんに還元できるように大切に使わせていただきます。いつもありがとうございます!!