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ディズニーランドとジャック・ケルアック-3/5

●第二の家

 義兄との折り合いの悪さから一旦ニューヨーク州ロングアイランドのノースポートに居を移したものの、彼はすぐにオーランドへ戻ることを考えはじめた。無頼のイメージとは結びつかないが、英語の国で暮らすフランス語話者で、少数派のカトリック信者でもあるケルアックにとって、家族の結びつきはなによりも大切なものだった。

 義兄もふくめた家族全員でファンの視線を気にせず暮らそうと考え、ダウンタウンから10キロ北のサンランドスプリングの森に土地を購入したこともある。ここに一族の家を建てる計画だった。このプランは頓挫したが、1961年にオーランドに舞い戻ると、アルフレッド・ドライブ1309番地に改めて家を購入している。これが第二の家だ。第一の家(ケルアック・ハウス)から6マイル(約9.65キロ)の位置にある。姉夫婦の家から車で10分程度の距離だ。

 英語で”ranch house”と呼ばれる様式で、エアコン付きの中流家庭の家だった。ケルアック・ハウスより床面積も広く、彼はこの家をたいへん気に入っていたそうだが、現在は赤の他人の手に渡っている。

 相変わらずケルアックは夜行性で、昼は眠りにつき夜しか活動しなかったため、近所の人と顔を合わせることがなかった。ここにケルアックが住んでいることを知っていたのは、遠方に住むわずかな友人たちと近所に住む母の友人オードリー・レディングくらいであった。なによりも静かな生活を望んでいた彼にとって、まさに思い通りであった。

 もっともオーランドではケルアックの本はタブーで、書店では扱っていなかった。フロリダは保守的な土地である。ケルアックの作品は、マッカーシズムの嵐が吹き荒れていた時代にセンセーショナルに登場した。エルヴィス・プレスリーの腰振りパフォーマンス同様、土地の人々にとって受け入れがたいものだった。ケルアックにとって、フロリダはインスピレーションを掻き立てる土地ではなく、家族と暮らす待避所でしかなかった。したがってフロリダやオーランドを舞台にした作品は書かれなかった。アメリカの文学は「郊外の文学」である。もしケルアックがその気になれば、『路上』とは違った意味で現代アメリカ文学の新たな地平を開くことが出来たに違いない。しかし彼は「郊外の文学」という視点を持ち合わせていなかった。

 この家の目と鼻の先、直線距離でわずか1.5キロの場所に、アメリカ黒人女性作家の先駆けとして知られるゾラ・ニール・ハーストン (Zora Neale Hurston) の故郷、イートンヴィルがある。アメリカで最初の黒人の町として独自の気風を誇るこの一帯は、小説の題材としてうってつけだろう。しかしケルアックとイートンヴィルの関わりは、最悪の形で行われた。 

 ケルアックは酔った勢いでハチャメチャなことをしでかす癖があった。義兄の息子で甥にあたるポール・ジュニアが中学生だったときのことだ。義兄とは上手くいかないケルアックだったが、この甥とは仲が良く、しばしば行動を共にしていた。あるとき泥酔したケルアックは、甥を連れて夜のイートンヴィルにやって来た。街角に立つ十字架に火を付けようというのである。「いざ実行」という段になって、なぜか思いとどまったため大事には至らなかったものの、この一件はケルアックが地元をどう考えていたのか、端的に表しているのではないだろうか。

#ケルアック #旅 #ビートニクス #文学 #ノンフィクション


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