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「書き手の未来」を巡るレジデンスの旅

*この原稿は2013年に書いたものの、発表のあてがないままお蔵入りしていたものです。
この原稿の執筆当時、日本には日本人文筆家を対象とした常設のレジデンス制度がありませんでした。
若干状況が変化しましたが、2020年現在も有効な内容だと思いますので、投稿いたします。

●作家に書斎と居住スペースを提供し、金銭負担なしで創作をサポートする制度

 挨拶代わりに出版不況が口にされるこのご時世。景気の良い話はほとんど聞こえてこない。景気の悪さは出版業界特有のものではない、と言われればその通りなのかもしれないが、他ジャンルのクリエイターたちはどうやって糊口をしのいでいるのだろうか?

 一口に「クリエイティブ分野」と言っても、音楽やデザインなどその裾野は広い。しかし商業分野よりも純粋芸術方面の方が経済的に大変であろうことは察しがつく。つまり乱暴に言ってしまえば、貧しい作り手の代表格といえるのは美術畑の人たち。いわゆるアーチストだろう。ゴッホ、モジリアーニなど暗くまずしい生活に耐えた美の求道者たちの話はよく知られている。

 現在、アーチストたちをとりまく環境はかなり改善され、「食える」確率は上昇している。理由はいくつか考えられるが、そのうちのひとつは「アーチストに対する助成制度が確立したこと」である。
 
 参考:ハンス・アビング「なぜアーティストは貧乏なのか?」
    http://d.hatena.ne.jp/araiken/20100602/1275544456

 一般に認知されているのは、プロジェクト単位の助成だ。しかしアーチストへのサポートはそれだけではない。一定期間、経済面や創作環境をサポートする制度も存在している。それが「アーチスト・イン・レジデンス(略称 AIR)」と呼ばれる制度だ。

 アーチスト・イン・レジデンスとは「各種の芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招聘し、その土地に滞在しながらの作品制作を行わせる事業のこと」(Wikipedia より)である。 

 ひらたく言えば「住み込み作家」制度だ。

 (江戸時代風に言えば「食客」ということになるだろうか?)

 美術の世界ではアーチスト・イン・レジデンスはよく知られた制度で、その恩恵にあずかる者も多い。日本でも文化庁が地方自治体と協力し、1997年から2004年まで、18の地域で「アーティスト・イン・レジデンス事業」を行った。助成を受けながら、NPO 団体がプログラムを主催している例も枚挙に暇がない。

 ところでこの制度、海外ではライターにも提供されていることをご存じだろうか? 先進国である欧米のみならず、韓国や東南アジア、南太平洋諸国でもアーチスト・イン・レジデンスの枠の中で小説家や詩人、ノンフィクション作家などを受け入れているのである。

 さらに文筆家専門のレジデンス制度「ライター・イン・レジデンス」を行っている例も多い。作家に書斎と居住スペースを提供し、落ち着いた執筆環境をあてがう。滞在費や食費などが助成され、金銭負担なしで創作に専念できる環境が与えられるのだ。

▼参考リンク:英語圏でのレジデンス紹介リストの例

 その対価として、滞在中、学生に対してレクチャーを行ったり、トークショーを開くなど地域住民との交流プログラムが設けられているのが通例である。

 日本の作家でこの制度の利用者はいないかと調べたところ、村上春樹がハーバード大学やプリンストン大学で、井上ひさしがオーストラリア国立大学で、この制度の恩恵にあずかっていたことが分かった。彼らとレジデンス制度の話は、回を改めて触れることにしたい。


●なぜ知られていないのか

 海外ではめずらしくないライター・イン・レジデンス。なぜ日本では行われていないのだろうか?

 理由の一つとして考えられるのが、我が国における文学と芸術の関係性である。美術や音楽、舞踊といった表現が芸術であることに異を唱える者はまずいないと思われるが、小説やルポルタージュが芸術に相当するかどうかは、意見が分かれると思う。純文学や詩作など「売れそうもない分野」はともかく、ルポルタージュに関してはアートとして認識されていないと感じられる。これが日本の現状ではないだろうか。

 一方欧米では小説や詩は勿論、ルポルタージュでさえ一定の要件さえ満たしていれば「クリエイティブ・ノンフィクション」と呼ばれ、芸術の一部に包括される。

 こうした「文学を芸術の一部として認知しない傾向」が、「アーチスト・イン・レジデンスの対象に文学を含まない」という日本特有の現象を招いた可能性がある。

 あるいは私小説の伝統が長い日本の文学界にあっては、作家の個人色が強い創作行為と、公的な助成という制度の取り合わせがミスマッチに感じられるからかもしれない

 また戦争中の「文学報国会」や「国策文学」などといった苦い経験から、国やお役所から距離を置きたいという心理が働いていることも考えられる。つまり「公的な助成を受けると表現の自由が奪われる」という強迫観念が根強く残っているのかも知れない。

 それにしても、一般社会のみならず、出版界のなかでさえ、ライター・イン・レジデンスの存在が知られていない現状は、奇妙に思える。日本にこの制度がない以上、仕方がないのかもしれないが、韓国や東南アジアでさえ行われていることが日本で出来ないとは思えない。

 この日本でライター・イン・レジデンスを立ち上げることは出来ないだろうか?

 この連載は、ライター・イン・レジデンスを立ち上げるまでの過程を現在進行形のドキュメントとして開示するものである。

 といっても、書き手である私自身がこの制度に対する理解がまだ不十分な状態だ。

 まずは、この制度を研究するところから始めたい。

●レジデンス経験豊富なアーチストにインタビューしてみた

 能書きが長くなってしまった。

 日本にライター・イン・レジデンス制度がない以上、その実態は曖昧なままで今後調査していくほかない。しかし、アーチスト・イン・レジデンスであれば、経験者は労せずして見つけることが出来る。

 この連載の第一歩として、 ISCP(ニューヨーク)、アンガー(バルセロナ)、ベタニエン(ベルリン)、アイルランド現代美術館(ダブリン)、IASK(韓国)など通算14箇所のレジデンス・プログラムに参加し、さらに若手に向けて助成申請書の描き方をアドバイスしたり、レジデンス情報をレクチャーするなどしてきたことで知られる増山士郎さんにご登場願おう。

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増山士郎さん(撮影:新納 翔)

 私が増山さんの知遇を得たのは、増山さんが2012年7月に開催した「レジデンス・助成金応募対策講座@神奈川」に参加したことがきっかけだった。

 当然のこととはいえ、自分以外の参加者は全員美術畑の人たちで、私は完全に浮いていた。とはいえ、たくさんのスライドを見ながら海外のレジデンス話を聞けたのは、大きな収穫だった。

 今回の原稿執筆にあたり、あらためて取材意図を伝え、北アイルランドのベルファストに住む増山さんに Skype でインタビューさせていただいた(インタビュー日時:2013年4月4日)。

「ライター・イン・レジデンスですよね。一般にレジデンス先は建築家や写真家など雑多なジャンルの人たちを受け入れてはいるものの、アーチストの割合が多いですね。今まで実際にレジデンスした中で、ライターを受け入れていたのは一つだけです。オーストリアのクレムス(Krems / Krems an der Donau)の施設は、ある部屋をライターに特化して貸していましたね」と増山さん。

 クレムスはウィーンから電車で一時間くらいの所にある、ドナウ川沿いの小さな街。街並みが世界遺産に認定され、観光地として人気があるという。

 欧州の街は文化施設を一箇所に集めていることが多い。クレムスもそうした街の一つで、街の一角に美術館、建築博物館、コンサートホール、文化センターなどが集まった「クンストハーレ(Kunsthalle Krems)」と呼ばれるミュージアム・コンプレックスがあり、そこがレジデンスを運営しているのだという。そのミュージアム・コンプレックスのなかに文学関係(リタラチャー)の組織も入っており、ここが文学部門を担当。呼びたいライターを審査し、毎回一人をピックアップしてレジデンス・ライターとして招いているそうだ。

「エア・クレムス(Air Krems)に滞在中、国ははっきり覚えていませんけれど、ポーランドかどこかの小説家が来ていたんですよ。バイオグラフィーを見たら、すごかったですよ。なにかすごく有名な作家の賞をもらっていましたね」

 とはいえ実際の所、アート関係者との付き合いが中心になってしまい、他ジャンルの人たちと交流する機会はあまり多くないという。だからライター・イン・レジデンスの情報はもっていないが、欧州であれば、日本語作品でも許容される場所があるのではないか、と増山さんは語る。

 実際、アメリカ東海岸でレジデンスした村上春樹は、日本語で作品を執筆している。「日本語で書く」という姿勢を貫いたまま、海外でライター・イン・レジデンスの恩恵にあずかることは、不可能ではないと思われる。

●レジデンスに応募し始めたきっかけ

 ところで増山さんがアーチスト・イン・レジデンスに参加し始めたきっかけは、何だったのだろうか。

「2001年にウィーンではじめて海外での展覧会を開きました。そのとき現地で知り会ったアーチストが『日本は魅力的で行ってみたいが、東京には受け入れてくれるレジデンスがない』と嘆いていたんです。その当時、東京近郊にはレジデンス・プログラムがありませんでした。

 その後、6年前に父親が亡くなりまして実家を相続しました。実家だった物件は持ち家なので自由に出来る。海外のアーチストを受け入れる場所に出来ないかなと思い、『やってみよう』と」。

 思い立ったものの、当時増山さんにはレジデンス・プログラムにステイした経験がなかった。モデルケースを見て、どうやって経営しているのか理解してからでないとプログラムを始めるのは無理があると思った。

「そこでまずニューヨークの ISCP へ応募しました。その後いくつか滞在して十分にレジデンスについて分かった、と思ったところで『Art 11号』という滞在型のプログラムを始めたんです」

 初めてのレジデンスでは強烈な言葉の壁を感じたという。

「当時はろくに英語が話せませんでした。それなのにニューヨークに半年ステイしたんです。

 アメリカ人にしろイギリス人にしろ、英語が母国語の人は英語が出来ない人間に対する忍耐力がありません。英語ができないと分かると、オーガニゼーションのディレクターから無視されました。面倒を見るのが億劫なので、挨拶しても無視されるような感じです。最初は傷つきましたよ」

 しかし増山氏は実力で逆境を跳ね返した。

「最終的に僕らは作っている作品が全て。それで勝負しています。レジデンス中にオープンスタジオがあって作品を展示したんです。千人くらい来場者があったんですが、『増山の作品が一番良かった』と言ってくれた人が結構多かったらしいんですよ。

 それ以降、ディレクターの態度が一変して『士郎、士郎』みたいな感じになって。それまではろくに口をきいてくれなかったのにね」

 言葉では苦労したものの、 ISCPでの日々は楽しかったという。

「それぞれの国を 代表するようなアーチストたちが集まる国際的な雰囲気で、アメリカなのにアメリカ人は殆どいませんでした。ステイしているのはみんな異国の人、という感じ。ほかのアーチストもある意味同じ境遇で、ゲストとして来ていたと思うんですよ。お互い寂しいような感じもあり、仲良くなりやすい条件が揃っていました。海外のアーチストたちと生活を共にする経験はそれまでしたことがなかったので、楽しかったですね」

●満足感の高いレジデンスの条件

 世界各国のレジデンス・プログラムを経験した増山さんだが、「レジデンスがうまくいった」と感じる指標はどこに置いているのだろうか。

「レジデンスを機に現地のアートシーンとコネクションが出来たり、レジデンス後もギャラリーで展覧会が出来たり、という形になれば『成功した』と感じますね」。

 増山さんによると、運営者が「如何にして招いたアーチストを地元に紹介するか」で、レジデンスの正否が左右されるという。

「良いレジデンス・プログラムは地元での認知度が高く、現地のアートシーンとつながっています。オープンスタジオや展覧会などを開いたとき、重要な人が見に来てくれます。ステイしたアーチストなり、ライターなりが喜ぶような出会いを仕掛けることは大事ですね。そのためにトークイベントをオーガナイズするなどといったことが必要です」

 そういった意味では田舎にレジデンスするよりは、都会でレジデンスした方が具体的な成果が出やすいと言える。

「そうは言っても、田舎ならではのおもしろさもありますね。

 完全に田舎とは言い切れない環境ですが、韓国のゴヤン(高陽)で国立現代美術館が運営するプログラムに5ヶ月間参加したことがあるんですが、近隣にはギャラリーも遊ぶところありませんでした。同時期に滞在したアーチストは10〜15人いましたが、参加者の7割が韓国人という環境で、彼らと僕らの間には言葉の壁がありました。

 そう言うこともあって、いっしょにステイした外国人アーチストたちとは自然といっしょに遊ぶ機会が増えて、内輪の横のつながりが出来ましたね。彼らとは未だに繋がりあって、展覧会に呼んでもらったり、いまだに連絡を取りあったりしています。これはこれで悪くないですよ」

 プログラムの性格に影響をあたえる要素は、それこそ枚挙に暇がない。国民性やオーガナイザーの人柄、運営形態、環境など、あらゆる事柄が絡み合って作用するので、要素単位で切り分けて考えることが難しいという。それでも敢えて「特に大きな三つの要素」を上げるとしたら、以下の通りだという。

●レジデンスプログラムの性格を決める三大要素

1)立地条件(都会 or 田舎、駅までの距離など)
2)資本/運営形態(アーチストラン、NPO、資本豊かな財団、文化庁のバックアップ)
3)プログラムの中身

1)の立地条件は、アートシーンが必ず存在している都会なのか、のんびりした環境で主催者や同時滞在したアーチストたちと深い付き合いをする田舎なのか、という部分である。ほかに鉄道までのアクセスが良いかどうかもポイントだという。

2)の資本は、運営形態に直結する。強力なスポンサーがつき、世界各国から大勢のアーチストが招かれるのか、あるいは後ろ盾がないままアーチストが自主運営する形態(アーチスト・ラン)なのか。

 一見すると大きな組織が運営する方が良いように思えるが、フットワーク軽く、アーチストが望むものを分かってくれやすいアーチスト・ランも捨てがたいそうだ。

 往々にして小さなプログラムでは「一時期に一人呼ぶのが精一杯」ということになりやすいが、オーガナイザーが熱心だと、ディナーや飲みに連れ出してくれるなど、参加者が孤独に陥らないように手厚くケアしてくれるという。世界にはこうした小規模なレジデンス・プログラムもたくさんある。

 もちろんスタッフが沢山いれば大勢アーチストを受け入れられるわけだが、その分、たくさん資金を集めなければならず、運営側の重荷になる。だからプログラムを継続して実績を積み、規模を大きくしていって、という方向が考えられる一方で、敢えて小規模のまま運営している例も少なくないようだ。

3)のプログラムは、「ステイした人をどうケアしているか」「どうやって地元のシーンに紹介するか」などという部分だという。

 一般的に言えるのは、金銭的な条件が良いプログラムは先進国に集中しているが、金銭面で恵まれていることが、プログラムの良さに直結するかというと、必ずしもそうでもないようだ。

 パリの Cite Internationale des Arts のように施設は巨大で有名だが、アーチストへのサポートが一切ない例もある。またレジデンス施設の維持運営にはお金が必要なので、参加アーチストが参加費や諸経費を払わなくてはいけないケースもあるが、資本が大変な状況でも支える有志たちがしっかりして、実際に参加してみると良質なプログラムもある、という。また参加者が助成を受けてレジデンスに参加しているか否かによっても、居心地は変わってくる。

●ジプシー生活を通してアーチストが得るもの 

 さてレジデンス施設を転々とすることで、アーチストは旅暮らしを強いられることになる。文字通りジプシー生活に突入するわけだ。

 この「旅を枕にする暮らし」は創作にどういう影響を与えるのだろうか。

「(自分にとって)作品作る行為自体がコミュニケーションのツールでした。最初の頃はとくに言葉もままならない状況でいきなり海外に出て、僕という人間を理解してもらわなければなりませんでした。

 いろいろな社会や考え方にふれ、実際に生活することで視野が広がります。僕はその影響を、最終的に作品に落とし込んでいくタイプのアーチストです。コミュニケーションのツールとしてのアートなので、僕がやっていることは、社会性が強いんですよ。

 日本にいたときよりもたくさんの国でグローバルに理解されやすい話題やテーマが増えました。昔は日本社会に住んでいる人にしか分からない話題を扱っていましたが、変化してきていますね」

 一見良いことずくめのように見えるレジデンス制度だが、人によって向き不向きがあるそうだ。

「アーチストによっては自分の望む施設や機材がないと、作品を作れない人もいます。いつもの環境でないと集中して創作しづらい、とか。そういう人にはレジデンス厳しいかもしれません。全ての人に勧められるものではありませんね。

 たまたま私はレジデンスに向いている作家で、気がついてみれば通算14箇所を渡り歩いていました。機材などがなければないで、行った先の条件で自分を適応させるのを楽しめるタイプです。『郷に入りては郷に従え』。これが出来ないと厳しいでしょうね」

 なにより大切なのは、生活環境よりも作品制作を優先する態度にあるようだ。

「泊まる場所が良くない場合もあると思うけど、宿泊施設には重きを置いていませんね。住環境でレジデンスの良し悪しを判断することはありません。最低限、寝るスペースがあれば良いと思っています。

 それよりも立地条件、プログラムの質、資本や運営形態といった『レジデンスプログラムの性格を決める三大要素』の方が重要です」

 取材中、増山さんから何点か逆取材されたのが興味深かった(Aと記した回答者は筆者。個人的見解による回答)

Q:ライターは環境面的な部分に関してどうなんですか?

A:ライターはそもそも必要な機材が少ない。極端なことを言えば、ペンと紙があれば済んでしまう。あとは辞書程度。あまり環境には左右されないと思う(もちろん個人差もあるかもしれないが)。

Q:根本的な問題としてライターは新鮮な場所に行った方がいいんですか? インスピレーションが湧く場所とか? 今まで住んでいなかった場所に行った方が刺激になるんでしょうか?

A:ライターという人種は、ふだんあまりそういうことを話さないんですよね。他人の方法論や取材方法も知らない。
自分の住んでいる社会や環境を知らない土地から相対的に見られるようになるのは、批評性や観察眼が養われるのでいいことだと思う。
とは言え、場所からインスピレーションをもらうのは、小説家や劇作家、詩人だという気がする。日本語で言うところのライター(英語のArticle Writer。 英語でWriterといえば小説家のこと)は知らない場所に赴いても取材記事か体験記しか書けないと思う。

* * *

……という訳で未完成の記事を引っ張り出してきたが、どうだろう?
近年になって国内でも尾道などいくつかの街でライター・イン・レジデンスが行われるようになってきた。
もし多少でも反響があるようだったらつづきを書きたいと思う。

補稿)

・「アーチスト・イン・レジデンス」についてもっと詳しく知りたい方は、『美術手帖』の1998年3月号をご覧になるとよい。

・ドイツのシュツットガルトの郊外にある「アカデミー・ソリチュード(Akademie Schloss Solitude)」のレジデンスプログラムもライター( Literature :essay, criticism, poetry, prose, translation)を募集している。滞在中のサポートは手厚い。ビジュアルアートの審査は最難関。

・ベルリンの「キュンストラーハウス ベタニエン(Künstlerhaus Bethanien)」にも文学者募集あるようだ。


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