京都ツウしか知らない場所!京都の藤/藤原道真💛明子の家/淀君念持仏/松尾大社展へ!◆京都伏見山科⑧中京⑪
京都は人が多いので桜の時期は京都市内からは逃げて丹波王国へ!ゴールデンウィークは京都市内で京都ツウのみが知る場所へ!歓喜天が見えている~などなどツウを越えてマニアック見仏かも。。
▼長いのでダイジェスト写真
▼ルート/見どころ
▽2024年04月20日(土):京都市伏見区
京都市上下水道局「 #鳥羽の藤 」
竹田駅からシャトルバスが出ているよう。周りの駐車場は安いので車でもOKかと思います。
ランチ「 #みね八 」京都市南区吉祥院長田町543
席に着くとQRコードが渡されてそこから注文するシステムになっています。
お出汁が効いた京風の絶品カレーうどん!トロトロの牛スジ煮込みもたっぷり!「美味采宴みね八」 - Kyotopi [キョウトピ] 京都観光情報・旅行・グルメ
▽2024年04月22日(月):京都駅
▽2024年04月27日(土):京都市中京区
ランチ「洋食屋 #キッチンゴン 六角本店」京都府京都市中京区六角通高倉東入堀之上町129
#京都文化博物館 『 #松尾大社展 -みやこの西の守護神-』9割が初公開の神宝展」( #松尾大社展 )
平安京遷都より前に鎮座する古社で、秦氏が建立した。祭神は上賀茂神社の父説もある「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」と宗像三女神の1柱「市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)」。また、二十二社制の1つで、四条通の西側を守護する古社でもある。清少納言は『枕草子』で、八百万の神々の筆頭に「神は松の尾」と記している。
全国に名の通った「酒の神」であり、酒Oneグランプリの聖地で、源頼朝、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長、足利尊氏などの権力者も崇敬したことがわかるの数々の朱印状、アンタッチャブルな神像が公開された!!
詳細は次のNOTE「★神宝展★京都秦氏『松尾大社展-みやこの西の守護神-』9割が初公開の神宝展/京都文化博物館」参照です。
リンカンストリート アップルパイ「 #松之助 」
妻が #アップルパイ が食べたいというので寄った。
光る君へ藤原道真💛明子が生活!真田幸村念持仏「 #高松神明神社 」京都府京都市中京区 釜座東入津軽町790
源明子が藤原道長と結婚して住居にしたのが「高松殿」で、その神社はココ!!醍醐天皇の皇子である源高明の邸内に鎮守の杜として祀られたのが始まり。神社境内に地蔵さまが安置され『真田幸村の知恵の地蔵尊』と呼ばれており、神仏習合で白鳥居が特徴的!!
なお、道長の娘で敦明親王の妃となった寛子は、高松殿女御と言われたということからも名所だと思う。
「高松殿の旧跡にして、御鎮守の御社なり」とある
920年、醍醐天皇の皇子・高明親王が、源朝臣の姓を賜り、左京区の一条一坊に御殿として高松殿を造営
同時に伊勢からアマテラスを勧請し、鎮守社として祀った
高明親王は源氏物語のモデルとも言われている源高明
高明の娘・源明子が藤原道長と結婚し、高松殿を住居とした
1021年と1120年、焼失
1146年、新造され近衛天皇の内裏になる
1155年、後白河天皇が即位して、御所(里内裏)「高松内裏」として使う
1156年、天皇方の本拠地となり、源義朝や平清盛らが参集した
1159年、高松殿は焼失し、神社のみが残った
1565年、高松神明宮宝性院という名の神宮寺が出来る
1864年、「蛤御門の変」による大火により、境内の地蔵尊・金比羅神社をはじめとする末社が焼失
1868年、神仏分離令で廃仏毀釈により、宝性院は廃寺になる
1893年、地蔵堂が建立され、地蔵尊が安置された
現在の祭神は天照大神・八幡大神・春日大神の三柱
開運厄除けの神さんとして信仰を集めている
1794年、和歌山・真田庵(善名称院)から真田幸村の念持仏とされた「幸村の知恵の地蔵尊」が来る
2016年、大河ドラマ「真田丸」で、京都にも数は少ない真田信繁(幸村)ゆかりの地になる
2024年、大河ドラマ「光る君へ」で話題になるかも?
詳細は次のNOTE参照。(2025年3月公開)
菓子工房&Sweets Cafe KYOTO KEIZO:〒604-8331 京都府京都市中京区御供町293
並んでいるよね。
妻曰く、期待が大きすぎると良くないとのこと。(自粛)
#八坂御共社 :京都府京都市中京区御供町289
祇園祭で阪急四条大宮駅から三条商店街のここに寄ります。重要文化財だとは知らなかった・・・。
#三条商店街から四条大宮方面へ
坂本龍馬💛おりょう「 #武信稲荷神社 」一寸法師!巫女に慣れる!!:京都府京都市中京区今新在家西町38
坂本龍馬とおりょうゆかりの神社。龍馬は御神木に「龍」と書き、おりょうは龍馬の無事を知り後に結婚する。この御神木は「厳島神社(私のNOTE)」からの苗木からのもの!!巫女にも慣れる!!
平安初期、この一帯には藤原氏の学問所「勧学院」と、医療施設「延命院」があった
859年、右大臣左近衛大将・藤原良相により、人々の健康長寿を願い、また延命院と観学院の守護神として創祀
藤原武信が、この神社を厚く信仰し神徳を高めたことで、武信稲荷と呼ばれるようになる
江戸時代末期、坂本龍馬とおりょうの逸話がある
江戸時代、神社の南に幕府直轄の牢獄があり、坂本龍馬の妻・おりょうの父・楢崎将作が勤王家の医師であったため捕らえられていた
おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわないので、神社の大木の上から様子を探ったとか
命を狙われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる
おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた
二人は、良く参拝した武信稲荷神社の榎を思い出し訪れる
龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったとか
龍馬からおりょうへの「自分は今も生きている。そして京都にいる」という伝言だった
二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えた
御神木一部の枝が折れ落下。チェンソーアート世界チャンピオンによって龍の姿に生まれ変わった!世の中には神社の御神木を仏像にしたものがある。良いことですね!
本殿裏の摂社・末社「宮姫社」は、龍馬とおりょう所縁の場所。
本殿を時計回りに回る。まずは、「宮姫社」ですね。
祭神は、弁財天
平安時代末期、平重盛が宮島・厳島神社(私のNOTE)から苗木を移したと伝えられている
榎は「えんの木(縁の木)」とも呼ばれ、縁結び、恋愛の神としても知られている
昔はお見合いの席が多くもたれていたようだ
詳細は次のNOTE参照。(2025年3月公開)
ビルの間で小さいが守られている「 #三森稲荷大神 / #正運寺 / #誓弘寺 」運慶発見の十一面観音は長谷寺同木
→三森稲荷大神:京都府京都市中京区因幡町110−6
武信稲荷神社近くにある「三森稲荷大神」は詳細不明。狛狐と扁額から「三森稲荷大神」を祀る。
→正運寺:京都市中京区因幡町112
浄土宗鎮西派で「洛陽三十三所観音霊場」の26番札所!でも入れなかったですね・・・。残念・・・。 洛陽三十三所観音霊場の「正運寺」には運慶作ではなく発見の「十一面観音立像」が安置され、長谷寺の本尊と同じ木からできている!?
→誓弘寺:京都市中京区四坊大宮町190
詳細は次のNOTE参照。(2025年3月公開)
▽2024年04月28日(日):京都市伏見区
秘仏!淀君持念仏「 #常念寺 」泥絵具削ると美仏!BeforeAfter:京都府京都市伏見区淀水垂町330−3
詳細は次のNOTE参照。
淀君ゆかり常念寺「 #網敷天満宮神社 」徒歩5分の鎮守社?
水害などに苦しむ、淀君ゆかりの淀水垂町は「常念寺」と個々の神社だけになったようだ。「網敷天満宮」で良いのに「網敷天満宮」に「神社」を足す謎の名称「網敷天満宮神社」へは、常念寺から5分以内に鎮座。
空海×年二回開帳の十一面観音「 #勝龍寺 / #春日神社 / #正勝社 」勝×3のアメノホミミ京都府長岡京市勝竜寺19−25
→勝龍寺:京都洛西観音霊場
784年、奈良・平城京から長岡京へ!
806年、弘法大師・空海が開基
元の寺号は、空海が学んだ唐の青龍寺からいただき「恵解山青龍寺」で、観音堂を始め九十九坊があった
962年、祈祷で雨が降り、龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名
本尊は、鎌倉時代の十一面観音@重文で、8月18日の観音大祭、11月第2日曜日に行われる長岡京ガラシャ祭で御開帳
1336年、足利尊氏の兵乱に合い全焼
1582年、豊臣秀吉と明智光秀の山崎の戦いで焼失
1634年、徳川家康が参詣
京都洛西観音霊場第14番札所
日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場第3番霊場
ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第3霊場
春日神社:勝龍寺併設
神仏習合の名残りで、勝竜寺地区の氏神を祀っているようだが、たぶん、長岡京遷都で移ってきた藤原氏の影響かと思う。神社の説明では、1174年、九条兼実によって創建されたと伝わる。
正勝大神:勝龍寺併設
「正勝大神」とのこと??純粋にアマテラスの息子「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」じゃないかな??アメノオシホミミは、アマテラスとスサノオの誓約ので、生まれた神様です。「勝」が3文字も入っているので、勝負の神様とか、実は弱いので字だけ強くしたとか色々な謂れがある。
詳細は次のNOTE参照。(2025年2月ごろ公開予定)
#勝竜寺城公園
長岡天満宮兼務社「 #神足神社 」レア神様に翻弄!ふ~ん・・あの鳥は??
桓武天皇ゆかりの神社で「こうだにのじんじゃ」と読む。祭神は「天神立命」というレア神様!!長岡京に繋がるのか、結構距離があるのに長岡天満宮が兼務している大事な神社!!
あと、長岡京駅って、元々は「神足駅」だったんだって!!ふ~ん、ふ~ん、糞!?帰りのある家の表札に「神足」とあった・・・神足氏なんだだ!!あと、「御百度石」がね「御千度石」なんですね・・・神様厳しいな。笑
詳細は次のNOTE参照。
▼2024年5月5日(日):京都市伏見区
御本尊御開帳!歓喜天だ!レア仏像「 #宝福寺 」伏見城より金毘羅大権現/歓喜天御開帳「宝福寺」陰陽石で秀吉💛淀君→秀頼
台座が狐の仏像乱立は伏見稲荷大社との関係か?金毘羅大権現&歓喜天&稲荷茶吉尼天とレア仏像が・・・😲
京都の伏見にあり、秀吉と淀君ゆかりの寺は、年に一度だけ御開帳がある。本堂と金毘羅堂からなり、金毘羅堂では、金毘羅大権現、稲荷大明神、不動明王の三尊合体した珍しい三尊と秘仏・雙身歓喜天像が公開される。超レア仏をどうぞ!!
なお、江戸時代には伏見港(淀川の重要な河港)に着く旅人の信仰が篤く「木挽町の金毘羅さん」と呼ばれていた。理由は、豊臣秀吉が宝福寺の住職を伏見城に招き、大般若経を転読させたという歴史を持つ寺でもあるからだろうか。
金毘羅大権現像(合体金毘羅権現)・・・台座はお稲荷さん!不動明王と稲荷大明神を融合!!
※金毘羅大権現、稲荷大明神、不動明王の三尊が合体
※権現=神様×仏像=日本独自創作されたもの雙身歓喜天像・・・台座はお稲荷さん!密教系のアンタッチャブルなので原則、一般公開NG仏像だが、私が実際に見たのは京都と奈良で3寺ですね。頭は像で体は人間の2体がハグをしています
変形茶吉尼天・・・台座はお稲荷さん。信濃国の神仏習合神・飯縄大権現に類似するとか
詳細は次のNOTE参照。(2025年GW前に公開予定)
油を掛けられ続けられた石仏地蔵「#西岸寺/ #油掛地蔵 」芭蕉が尊敬する師【京都伏見シリーズ】【京都伏見・山科シリーズ】
油を掛けられ続けた地蔵菩薩は2cmほどの油の鎧で出来ており、本来のお姿は不明のようだ。取ると油で痛んだ石仏なので壊れちゃうので、そのままにしている。
そんなレア石仏を観に行くと、たまたまお世話をしている方と出会い、特別に開けてくれた!少子化で色々継続も難しいなど多々問題はあるよう。
さて、芭蕉の句碑がある。実は芭蕉が尊敬する僧が居たので、ここに来たそうな。そんな僧の存在や墓についても教えていただいた。
私のNOTEは次の通り。(2025年GW前に公開予定)
▼旅行記一覧
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