アジスキタカヒコネ開拓「土佐神社」土佐高賀茂大明神と称す「善楽寺」お遍路第30番札所【高知シリーズ】【お遍路シリーズ】
葛城王朝?アジスキタカヒコネは出雲から奈良へ!賀茂氏は南山城から京都・下鴨神社&上賀茂神社へ!一方、この高知にはアジスキタカヒコネが開拓した場所に鎮座する土佐国一宮「土佐神社」。そして、関係が深い「善楽寺」へ!神仏習合時代は「土佐高賀茂大明神」と称された。
高知の博物館でアジスキタカヒコネに括弧書きで「一言主」とあった。実は同一神なんじゃないか説は知っていたが、やっぱそうなのか?そして、高鴨から来たと記されていた。
つまり「出雲」から「奈良・葛城」へ、一部は京都へ、そして高知へも!!ということで、賀茂社と出雲を先に紹介。
変更履歴
2023/12/10 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽土佐神社:高知市一宮しなね2丁目16-1
延喜式神名帳には「都佐坐神社」として大社に列し、その後は一般に「高賀茂大明神」と称す。この高賀茂は奈良・高鴨神社に通じ、葛城王朝の葛城氏を支えた賀茂(鴨)氏と関係がありそうだ。
祭神は「アジスキタカヒコネ」と「ヒトコトヌシ」で葛城氏の氏神であり、大和朝廷から土佐に流された史実が詰まっている神社。境内東北にある「礫石」と呼ばれる自然石があり、元々はこれを磐座として祭祀したものかもしれない。
460年頃に創建とか
675年、『日本書紀』の「土左大神、神刀一口を以て、天皇に進る」とある
686年、「秦忌寸石勝を遣わして、幣を土左大神に奉る」とある
元々の祭神は土左大神とされる
『土佐国風土記』逸文には「‥土左の高賀茂の大社あり、其の神のみ名を一言主尊と為す。其のみ祖は詳かならず。一説に日へらく、大穴六道尊のみ子、味鋤高彦根尊なりといへり。」とあり祭神の記載が変わっている
祭神をヒトコトヌシとアジスキタカヒコネ
ヒトコトヌシは「葛城之一言主大神」とも
764年、大和葛城山で雄略天皇と出会った「高鴨神」が、天皇と猟を争ったがために土佐に流されたと(『続日本紀』より)
1563年、兵火で社殿を焼失
1571年、長宗我部元親が四国平定を祈願して社殿を再建
楼門(神光門)・鼓楼は土佐藩第2代藩主・山内忠義による造営
1871年、高賀茂大明神や一宮大明神から土佐神社に名称変更
→楼門@重文、参道
第二代藩主・山内忠義が建立した楼門。って、寺の物だと思うのだが。。
扁額には内閣総理大臣・近衛文麿書の「土佐一ノ宮」で、鳥居の脇にある社号標の文字は橋本龍太郎元首相の書だとか・・・。権力者からも信仰が篤い神社なのでしょう。
→幣殿@重文・拝殿@重文 ・本殿@重文
拝殿、幣殿、御本殿が十字の形を「入りとんぼ」と呼ぶらしい。1570年に長宗我部元親に再建されたもの。
NHK大河ドラマ・龍馬伝のロケ地だったそうですね。全面的に出ています(笑)
あっ「備前焼」の狛犬がいます!なぜ?ここに岡山がつながっているのか??
祭神のアジスキタカヒコネはオオクニヌシと宗像三女伸の1柱である「多紀理毘賣命(タギリツヒメ)」の御子。ヒトコトヌシは一言主神は事代主命と同神とも言われている。これは奈良・高鴨周辺の祭神関係だろうか。でも、コトシロヌシは後述の摂社に祀られているんですよね。
→本殿左の摂社・末社「西御前社」「大国主神社」「事代主神社」
「西御前社」の祭神は未詳!?
「事代主神社」の祭神はコトシロヌシですね。ということでオオクニヌシもいるのでしょうね。
「大国主神社」の 祭神はオオクニヌシです。
「西御前社」の祭神はなんなんでしょうかね。オオクニヌシとコトシロヌシと言えばミホツヒメ??というのは出雲大神宮=出雲大社=美保神社の祭神繫がりなだけだけど・・。一説によると、「高比売命(下照比売命)」もしくは、アジスキタカヒコネの妻「天甕津日女命」とも。たしかに主祭神に所縁の神様ですね。
→しなねの森と御神木
社殿の左後方の「三社殿」奥に社叢「しなねの森」への入り口があります。
→礫石(つぶていし)
本殿右奥。しなねの森にある。土左大神が鎮座地を定めるにあたり投げた石とか。古くはこの礫石を磐座として祭祀が行われたとも。
ちなみにこの磐座ですが、鳴無神社から一言主神が石を投げたそうな。
→神明宮
本殿右奥「神明宮」にアマテラスとトヨウケを祀る。ある意味、熱田神宮の奥宮に来た雰囲気だが、新しいようですね。
→そのほか「輪抜祓所」「」「」
「輪抜祓所」は杉を輪切りにした「茅の輪くぐり」ですね。
→禊石
拝殿右の神苑にある。下鴨神社や上賀茂神社共に古代祭祀場は本殿手前で右側なのは偶然か?
禊神事を行う川にあったが、河川改修工事のため今の場所に移されたよう。祓戸社の4柱が祀られています。
奥にはこちらも立派な御神木ですね。
→放生池と巌島神社
祭神は「田心姫神(タゴリヒメノカミ)」「湍津姫神(タギツヒメノカミ)」「市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)」の宗像三女伸で、アジスキタカヒコネの母もいますね。
→鼓楼@重文
拝殿右手前に立つ。1649年、土佐藩第2代藩主山内忠義による造営。つまりのところ神仏習合が残っている。殿様関係なので残ったのかな?
鼓楼は善楽寺の鐘楼だったようでうね。公式HP紹介後に「善楽寺」をどうぞ。
→しなね祭
▽善楽寺:高知市一宮しなね2-23-11
810年に、弘法大師・空海がこの地を訪れ、高鴨大明神(現・土佐神社)を管理する寺として開創。土佐2代藩主・山内忠義時代には、武家の庇護の下で寺は繁栄するが、廃仏毀釈で荒廃する。1929年に再興し、1994年に四国八十八箇所霊場の第30番札所となる。って、新しいな・・。と思ったが、歴史は複雑だ。
神仏習合時代は土佐神社の別当寺だったが、明治時代に神宮寺とともに廃寺。神仏分離で30番札所が2つある状態が続いていましたが、現在は善楽寺が正式に30番札所となっている。そして神宮寺とは別に寺も複数持っていうたとは・・。
→境内
→本堂
→大師堂、夢見地蔵
本堂の隣には大正時代の大師堂があり、「厄除け大師」として有名。また、子安地蔵堂は安産・子宝祈願にご利益があり、夢見地蔵は、脳の病気やノイローゼなど、首から上の病気にご利益があるという珍しいお地蔵さんだとか。
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