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大原女まつり「寂光院」594年に聖徳太子の父・用明天皇の菩提寺【京都大原シリーズ】

2000年5月9日未明に火災により焼損され、本堂や本尊は新しい。旧本尊は焼失せずに大やけどをしたまま安置されている。『平家物語』に登場することで有名になり、平清盛の娘・建礼門院が終生を過ごしたことで知られている。大原女まつり期間中は、通常2500円の大原女着付け体験が1000円となり、寂光院から勝林院に向けて歩く行事「大原女時代祭り」がある。ちょうど、歩き始めに寂光院手前に着き、運よく見れました。一般の方も参加しているため、写真は後ろ姿のみをアップ。この後、豪雨になりましたが、無事着いたのだろうか?

変更履歴
2022/11/01 初版

▼HP

▼アクセス

京都市左京区大原草生町676

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽大原女まつり

 静かなブームなのか?妻だけのブームなのか?この顔ハメパネルを見つければ写真を撮りたがる。それはさておき、大原女着付け体験をするとこんな感じになります。


▽寂光院(京都市左京区大原草生町676)

 2000年5月9日未明に火災により焼損され、本堂や本尊は新しい。旧本尊は焼失せずに大やけどをしたまま安置されている。

「春期京都非公開文化財特別公開」により旧本尊「地蔵菩薩@重文」と「胎内仏小地蔵尊像@重文」や竹内栖鳳筆「燕図」などが公開された。

 1186年4月、後白河法皇が壇ノ浦で平家が滅びた後、洛北・寂光院に隠棲された建礼門院を訪ねられたことは「平家物語」の謡曲「大原御幸」に謡われている。

 初代住職は、聖徳太子の乳母であった恵善尼(えぜんに)である。その後、「大原女」のモデルとも言われる阿波内侍(あわのないし)、平清盛の息女・建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)といった女性が住職を務めたので尼寺とする。

 そもそもこの寺は由緒ある寺なのだが、2000年5月9日未明に放火により焼失。新しい本尊が安置されている。旧本尊は現在、このお堂の左にある収蔵庫に安置されている。特別拝観期間は一度、下に降りないと収蔵庫に入れてくれない。

 収蔵庫に旧本尊「地蔵菩薩立像@重文」が安置されている。お堂焼失により黒こげになっていたが、それが逆に何かを訴えている気もした。ある心無い人の行為で1400年守り続けた仏像がなくなったのだから。同じ時間帯に参拝された初老の方が涙を流していたのが忘れられない。聞けば、大原に住んでいたらしく、子供のころから守ってくたお地蔵さんだからと言っていた。。。歴史の重みを感じた。

▼おまけ


▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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