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僕を生かす

全部おいてきた

僕は中学1年生です。ミャンマーのヤンゴンにあるインターナショナルスクールに通っていました。友達とサッカーをしたり、プールで泳いだり、一緒にご飯を食べたり。毎日、何も考えずに、ただ遊んで暮らしていました。
コロナとクーデターが起きて、平和な毎日は大きく変わりました。僕の友達は、それぞれの国に避難のため帰国していきました。
僕も母から「明日、日本に帰ることになったよ!」と急に言われて、お気に入りのサッカーボールも、Switchも、全部ヤンゴンに置いたまま日本に帰国しました。
日本の中学校に編入した後も、時々、モンゴル人の友達とはネットでゲームをするけど、ミャンマーの友達がどうしているのか、わかりません。もしミャンマーに戻れるなら、僕はヤンゴンの学校にまた通おうと思っています。いろいろ置いてきたから。

僕は積極的な活動は得意じゃない

クーデターで学校に通えない間、オンライン授業を受けているとき、『コロナ禍で懸命に働く人々』の写真の課題が出ました。僕は日頃から写真を撮ることが好きだったので、あまり意識もせずに、ヤンゴンで撮影した写真を提出しました。それが、イギリスの財団のコンテストで、18歳以下のクラスで優勝しました。オークションで50ユーロで売れて、途上国の学校建設に寄付されると聞きました。
「えー、なんで、僕がもらえないの?」って僕は最初に思いました。

コンテストで優勝したヤンゴン川の写真

できることをするだけ

僕は正直、ボランティアに興味もないし、ミャンマー支援と言われても、自分に何ができるのか、あまりピンとこない。写真コンテストで優勝したことは、僕にとってはあまり特別じゃないことだったけれど、兄と姉にはすごく褒められた。「すごい気付きをもらった」と言われた。それが今のヤンゴンかるたプロジェクトにつながっている。あまり表に出なくても、積極的に発言をしなくても、自分の好きなことで、世界と繋がり、社会に貢献する。それなら僕にも何かできるのかもしれない。

ヤンゴンの裏路地を撮影中
ヤンゴンの環状線はJRの車両が使われている

僕は、プロジェクトに写真撮影、英語の翻訳やナレーション、映像制作などで関わっています。

(野中茂壮)


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