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【旅エッセイ】ミャンマーで見つけた「やさしさの意味」

 「やさしい」とはなんだろう。

 これを知りたくて20代の頃、いわゆるバックパッカーとしてアジアを放浪していたことがある。

 バックパッカーと言う人種は「貧乏旅行者」「無銭旅行者」と呼ばれ、言わば、人のやさしさを喰らいながら旅を続ける人種なのだ。私も、旅中にたくさんの人から「やさしさ」をもらって、それを喰らいながら旅を続けていた。受ける「やさしさ」を通じて、本当の「やさしさ」を探し求めようとしていたのだった。

 たくさんの「やさしさ」を喰らいながら、旅を続けていた一方で、私が旅をしていたどの国でも、物乞いからその人の出来る限りの不幸そうな顔をして、「お金を恵んでほしい」と言う声をたくさんかけられていた。この物乞い達は要するに、私に「やさしさ」を要求していたのだ。
 しかし、私は、何かこの路上生活者たちにお金を渡す行為が、何か「やってはいけない行為」のように考えていた。

 一度、お金を渡したことがあったのだが、渡しても決してその人が笑顔になることはなかったからだ。むしろ、お金を渡せば渡すほど、もっと哀れみのある、不幸そうな顔をしていった。

 そんなある日、ミャンマーのヤンゴンで1人の老婆の物乞いに会った。例にもれず精一杯の不幸そうな顔で、ビルマ語で何かを訴えかけてきていた。言葉は分からなくても、お金を恵んでほしいと言っていることは明らかだった。私は、足を止め、おもむろに老婆の隣に座り、目を見て笑顔で老婆に日本語で話しかけた。
「やだよ。だって、お金あげてももっと不幸そうな顔するやろ?」
当然老婆は私が何と言っているのかは分からないだろう。老婆は、私の意に介さず、変わらず必死に哀れみのある表情で私に何かを言い続けている。
私は、そんな老婆の訴えにもかかわらずひたすら日本語で話続けた。
「そんな一生懸命哀れみを伝えられても、俺幸せにならん。笑顔!笑顔で普通に話しようや!」

当然、お互い好きな事を、老婆はビルマ語で、私は日本語で話をしているだけなので、いつまでもお互いが何を言っているのかは分からず、かみ合わないやりとりだ。しかし、老婆はなぜかこのやり取りをやめなかった。

10分ほど、このやりとりをやっていたが、私は一つのことに気が付いた。
老婆の表情が、哀れみを誘う表情ではなくなっていたのだった。
私は、その変化が興味深くなり、さらにこのやり取りをつづけていると、しだいに老婆の顔は、笑顔になっていったのだった。

結局30分くらい、このようなやりとりをした後、私はその場を離れようと、立ち上がり老婆に言った。
「チェーズーティンパーデー」
ビルマ語でありがとうという意味だ。
この言葉に続けて、また日本語で、
「めっちゃ楽しい時間やった。素敵な会話をしてくれてありがとう。」
と言いながら、私はお金を手にもって老婆に差し出した。

しかし、老婆のとった行動は私の予想に違う行動だった。

私の手に持っていたお金を受け取ることらず、「しまえ」「いらない」と言っているのか、そのお金を私のポケットに私の手ごと入れてきた。
満足そうな、満面の笑みで。

なぜだか分からないが、宿へ帰る道の途中、私の心の中はすごく温かくなり足取りはとても軽くなっていた。

私は、20年たった今も、この老婆の行動の本当の意図は分からないが、これ以上に「やさしさ」を感じた事がない。


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