その意識を持つことが出来れば、自分に課するハードルを低くすることができる。 自分は強い人間だ。もっとやれるはずだ。なんて、出来もしないことをやろうとすると、結局そのプレッシャーで何もできなくなったりする。 弱い人間だと認識することは夢物語を語ることとは違う 現実に何が出来るのか?を考え、一歩一歩前に進む為には必要なこと しかも弱いから準備するわけだし、弱いから行動に移さなければいけない。とも思えるわけで強かったら初めから何もしなくてもいい。になってしまう。 だから「
そうしないといけない部分があると思う。 自分を信じて初めて、その未知な力みたいな部分を発揮できたりもする。 信じる=見るとでも言うのか 見もしないのに何かを確認することができない。 もっと信じてみる。 そうすれば、何かが変わって来るのかもしれない。。
お金を払ったなら、お客様だから何か偉そうになってしまう。 でも、お金を払って仕事をしてみる。 それをやってみると新しい世界が開ける。。 常識的に考えればおかしい。 なぜなら世の中は、お金をもらうために仕事をしているのが常識だから。。 でも、お金をもらっているから苦労しなきゃならないって言うのもおかしいよね。 お金をもらって楽しんでもいいと思う。 お金を払う側がサービスをして、お金をもらってる側は楽しむ。 何を言いたいのか? 常識を逸脱した考え方、だからこそ、
「まず、自分が楽しまなければ、誰かを楽しませることなんてできないよ」 それは飲み会での話だったんだけど、周りを楽しませようとしても、なかなか出来ないんだよね。 そりゃそうだ。 世界中の人に理解される事は出来ないけど、少なくとも、自分が楽しいと思うことを楽しいと思ってくれる人はいる。 逆に、誰かが楽しいと思う事を探そうとしても、自分にはわからないわけで。。 それをやろうとして迷走してしまう事がある。 まずは自分が楽しむこと。 幸せになる事。 それが出来て、はじめ
なんて言うか ゲームにしたって、蓄積のないモノだったら、すぐに辞めてしまう。 なぜなら、過去の努力が少しでも蓄積されてるから、また積み上げようとも思える訳で やるたびにリセットされたら、いつまでも前に進めないしつまらないと思う。 蓄積が見えると楽しい。 プラモデルみたいなものかな? どんどん、組み立てて最後に完成形を見る事が出来る。 その道は、やればやるほどプラモデルの組み上げが蓄積されてゆく様なもの。 そして、未完成な形を見る事が出来るから、またその続きをや
何にも増してミスしない方法があるとするなら、自分のペースで動く事だと思う。 大半のミスが、誰かに邪魔されたり、精神的な影響を受けての事だと思っていて、自分のペースでやれなくなってしまう事が原因だと思う。 焦らない事。マイペースでやる事。。 それが、いかに大切か。。 仕事を覚える時だって、作業の早い人のペースに合わせてたら、いつまでも覚える事が出来ない。 だけど、一人で、自分のペースでやってみれば意外と簡単に出来たりして。。 ある意味、マイナスな影響をして来る人とか
同じ状況でも、どこを見るかでその精神状態が変わって来る。 つまりは、仕事で忙しい時は、些細な悩みを忘れているんだけど 暇になって来ると、誰かの悪口が気になってしまう。 結局、同じ状況でも、笑ってる人もいれば、泣いてる人もいる。 それもこれも、どこを見るか?でしかない。。 どん底にいる時でも上を向いて行こう。
何についても大事な事だな。なんて思うけど なかなか、行動出来ない事が多いい。 結局、そんな人で溢れていて、 実力云々よりも、行動出来た人が、失敗もするけど、成功する可能性があると言えるんだよね。 バッターボックスは立たなきゃヒットは打てない。 何かを勝ち得る為には、三振する覚悟で、打席に多く立つ必要がある。。 行動あるのみ。。
何事も近くなりすぎるとよくない。 距離をとって。 そうすれば、もし何かがあったとしても、簡単にぶつかる事は無い。 これは、自動車を運転する時の車間距離を考えてみるとよく分かる事なんだけど 人間関係でも同じことが言える。 近すぎるとぶつかる。 距離さえとってれば、何か問題があった場合も、そうやすやすとぶつかる事は無い。 距離感、大切です。
そう思って勉強したり、学んだりすれば、大変だった事が楽しくなる。 やる前から、大変だ、なんて言ってたんでは、楽な事も楽じゃなくなる。 焦らないで、楽しんでいきましょう。。
よくそんな事を言うよね。 何か傷ついたり、心にダメージを負った時、 無理に治そうとするんじゃなくて、時間が経つのをひたすら待つ。 そうすると、自然と心のしこりみたいなモノが取れて楽になる。 だから、なにか、失敗したり、嫌なことがあった時は、無理に動かず、時間が経つのをひたすら待てば良い。。と言う話し。。
昔好きだった人がいた。 その人の見た目がかわいい、と言うのもあったんだけど、それだけで人は人の事を好きにはならない。 そこには、恋人、家族、年齢、性別を問わず理由がある。 生き物の真理とでも言うのか、 生物として一番「中心にあるもの」と言える。 誰もが望み欲しているモノ。 「承認要求」 人は「自分がこの世に存在している」と言う事を誰かに承認されたいんだ。 猫でも無視すれば怒る。 だから、挨拶は大切。 誰もが認めてもらいたい。 何にも増して、目を合わせ、笑
例えば、何か買い物をして満足出来た。と言うのがある。逆に、払ったお金とは、対価に合わないと言う事もある。 前者は納得出来、後者は納得出来ていない。 昔パチンコをやってた時、負けて嫌な気持ちにになった時があった。 その感覚が何かといえば、お金と時間をただ失ってしまったという感覚。。 喪失感。 払った対価と得た対価に差がある場合に起こる事。 価値観は人それぞれ違うけど、出来れば自分が納得するお金の使い方や時間の使い方をしてゆきたい。 なぜなら、自分が納得する事が出来
なんか、同じ気持ちの人を見ると、怒りとか悲しみが相殺される感覚がある。 逆に、楽しそうにしてる人、上手く行ってる人なんか見てるとストレスが溜まってしまう事がある。。 なんでそうなんだろう? 恐らく「自分だけじゃない、他の人も苦労しているんだ」って思えると気持ちが楽になるんだと思う。 ある時、ある人に腹立たしい気持ちを持っていた時があったんだけど 他の人も、その人に対し怒りを感じていて、その怒りをあらわにしている姿を見て、自分の心の怒りが消失した事があった。 自分だ
なんて言うか、他人って自分が想像している様に見えてくる部分があって 勝手に相手を想像して、怖いと決め込んでしまう事ってあるんだよね。 怖がっていたとしても実際、話してみたらそうでもなかった。なんて事はよくある話。 怖いと言う想いは、思い込みでしかない可能性がある。 最悪な相性は、最高になる事もあり得るよ。。
今は最悪の状況じゃない。 そうなはずなのに、人はいろんなことを忘れて、その時、その時で「今は最悪」なんて言って落ち込んでしまうことがある。 自分にとって最悪な、あの瞬間、それと比べて、今の状況なんてたいしたことないはずなのに 自分で最悪と言って、最悪な状況に追い込んでしまっている。 きっと忘れてはいけないんだと思う。 過去の嫌だった経験とか、追い込まれた状況とかは、今を楽に生きる材料になりうると言う事。 人は喉元過ぎれば熱さ忘れるじゃないけど、いろんなことを忘れて