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国家とは何か。政情不安に陥りつつある日本

堅苦しい話はなしの、雑談系の記事です

 記事のタイトルだけ見ると専門的な話や学術的な話をする記事みたいに見えますが、単なる読み物です。

国家とは幻想である

 最初に答えを書いてしまっているわけですが、国家ってなんだと思いますか。役所をイメージしたり、日本の風景が浮かんだり、自衛隊の観閲式が浮かんだり、人によりけりだと思います。
 でも、どんな見た目ですか、とか、どんな形ですか、とかと聞かれたら、多くの人は答えに窮すると思います。これがリンゴやバナナなら、丸いとか、細長いとか、赤い色をしている、黄色い色をしている、とかと容易に答えられるからです。
 国家というものは、人々がその存在を信じる事によって成立するものです。愛情や友情などと同じで、概念上の存在なのです。
 また、人々がその権力の正当性を認め、権力に支配される事を認める事によって、成り立つものです。そして国家権力は、人々に指示や命令を従わせる為の強制力を持ちます。
 例えば、税金を納めろと国が言った時、国民が嫌だと答え、納めなければ、国が成り立ちません。そこで国は、命令に従わせる為に、従わなければ刑罰を与えるぞと強制力をちらつかせて、ありていに言えば、暴力をふるうぞと脅す事で、無理矢理言う事を聞かせるわけです。
 現代社会だとわかりにくいですが、昔の時代であれば、納税しなければ軍隊が送り込まれて、自宅を軍が襲撃し、家人は身柄を拘束されて尋問所に送致され、兵士達が家財道具一切合切を荷台に括りつけて、役所に押収するわけです。
 とりあえず、国というものは、みんながそこに存在するよと信じるから存在している、ただの幻想なのだということを理解して下さい。

国は脆い

 リンゴやバナナは私たちが「無くなれ!」と思ったところでなくなりません。目の前にあるからです。でも、国家は違うんです。
 何故かというと、私たちが存在を信じる事で存在できる概念上の存在だからです。腐った国家だと思えば、国家の事を胡散臭く思いますし、腐敗が酷い国だと思えば、嫌な国だと思います。
 例えば警察。最近、悪い事ばかりやって、警察官がよく捕まってますよね。また冤罪事件を始め、警察のミスや不祥事も頻繁に報道されています。それで多くの人は、警察を胡散臭いと考えていたり、あまり信用できないと思っているわけです。
 仮に警察が、権力者の犯罪を見逃すような、酷い腐敗をしていたとしたら、どう思うでしょう。多くの人は、不公平だ、平等ではない、と思うはずです。そして警察に対する不信感が高まります。
 するとどうなるかというと、法律を守るのが馬鹿馬鹿しい、と思う人が増えるわけです。犯罪を犯しても逮捕されない人間がいるんだったら、自分も法律を守る必要はないだろう、真面目に法律を守っているのが馬鹿馬鹿しい、という考えに至るからです。
 国も同じです。
 権力の正当性、人々を統治し、支配する事の正当性、権力の持つ権威、これらが揺らぐと、国はその存在が根幹から揺らぐ事になります。
 権力が誰かを依怙贔屓している、何者かが権力を私物化して悪事をし放題している、また、その結果、悪い事をしても不問に付され、罪に問われない人間がいる。
 こんな状況になったら、多くの人達は「冗談じゃない!こんな国に従えるか!ふざけるな!」と怒り出し、国の言う事を聞かなくなったり、国の事を信用しなくなったり、不信感を持つようになります。
 しかし、国に公然と逆らえば、当然ですが、デモをするくらいならいいでですが、それ以上の事をすれば、警察に捕まるかも知れません。また、公安警察から目をつけられて、危険人物と看做されて、監視対象者にされてしまうかもしれません。
 そうなって日常生活に支障を来せば、損をするのは本人ですから、みんな不満があっても、生活の為、自分の人生の為に、だんまりを決め込みます(このように書くと、国家の存在と継続において、強制力が必要不可欠な力である事がよくわかると思います)。
 結局、国家というものは、概念上の存在にすぎないので、人々がその権力と存在の正当性を認めず、統治し支配する事を容認しなくなれば、呆気なく崩壊してしまう、非常に脆い存在だという事なのです。

権力を掌握すれば勝ちだと思い込むカルト

 戦時中、創価学会の前身である創価教育学会は、非常に権力に従順な団体でした。
 戦争推進に積極的に協力し、共産主義者の教員たちを折伏して創価教育学会員(日蓮正宗信徒)に転向させ(長野県小学校教員赤化事件)、特高警察、内務省警保局、大物思想検事の平田勲氏らと太いパイプを持っていたと言われています。
 ところがそれだけ権力に媚を売ったのに、伊勢神宮の大麻(おおぬさ)を撤去・焼却したり、トップの牧口らが国家神道と相容れない主張を取り続けた事が原因で、あっさりと弾圧されてしまいます。
 実際には学会員が子どもを亡くした家庭に上がり込み、親の神経を逆なでするような、人間性に問題のある異常な折伏をして、「あいつを何とかしろ!」と怒った親が特高警察に駆け込む事件が起きた事から弾圧は始まっています。
 ですので、恐らくそれ以外にも強引な折伏、人を傷つけるような酷い行いをしていた為、特高警察に随分昔から目をつけられていて、社会害を成す迷惑集団と認識されていた事も、確実に原因となっています。
 そんな団体が取り締まられるのは当然です。そんな事をして何も起きないと考える方が非常識です。
 その辺の事情は棚に上げますが、創価教育学会の幹部らは、こう考えたと言われています。
 権力を握っている側に回らない限り、弾圧される。
 歪んでいるのを通り越して、ただの馬鹿だと思いますが、創価学会は、池田大作の強烈な権力欲も相俟って、本当に、この国を実質的に支配するところまで到達する事になりました(これは誇張ではありません)。

カルトによる疑似独裁政権

 創価学会がいかにして権力を掌握したのかについては『統一教会問題で機能不全を露呈した国会』という記事の中で詳しく書いていますので深堀はしませんが、簡単に言ってしまうと、社会の要所に学会員を送り込み、学会の協力者を大量に作り、政権党となる事で、その政治権力を駆使して、送り込んだ人材や幹部らとの相乗効果で中央政府と地方政府を間接支配下に置き、学会員と学会系企業を儲けさせ、かつ、学会に纏わる問題が起きても、警察その他に圧力をかけて黙らせる、行政の動きを歪めて創価学会に都合のいい結論が出るようにするといった、とんでもない事をやったのです。
 現在、二大政党制は完全崩壊し、自民党の一党優位性が続いており、統一教会問題が起きた事で、不透明感が出て来たものの、そうなるまでは、半永久的に自民党政権が続くと考えられるくらいに、野党が弱体化していました。その状態で、中央政府と地方政府を間接支配し、警察も掌握して、悪い事をやっても捕まらない態勢を確立し、マスコミはそれ以前から押さえていて、テレビと主要新聞は創価学会批判をしない状況にあったわけですから、これでは完全に、疑似的な独裁体制です。
 おまけに創価学会は、仏敵や敵対者、気に食わない人物を、学会員を動員し、組織的に嫌がらせとストーカー、ガスライティングで自殺に追い込もうとしたり、精神障害者にでっち上げようとしたり、中傷拡散で社会的信用を奪って破滅させたり、中には犯罪誘発行為を執拗に繰り返し、被害に遭った相手が犯罪を起こして破滅するよう仕向ける異常行動まで取ってきたのですから、人を暴力で従わせる強制力を持っています。その為、創価学会の事を宗教マフィアと評する人さえいる程です。
 被害に遭ったら泣き寝入りするしかない、犯罪者や精神障害者、その他諸々のレッテルを創価学会主導で貼られたら、それが事実無根のデマであったとしても、事実上、黙って受け容れて、悔し涙を呑む以外にない。そんな異常な状況が出来上がっているのです。
 ちなみにこの点は統一教会でも同じです。
 統一教会の場合も、トラブルになって警察が出てくると、自民党議員が現れて、警察に圧力をかける為、警察はまともに対処できなかったそうです。その上、統一教会は、裁判対策として、様々な問題行動を起こしていた事実が、報道やジャーナリストらのツイートによって判明している為、創価学会と同様、被害に遭ったら実質泣き寝入りせざるを得ない状況でした。
 統一教会も、創価学会とはまた別の方法で自民党を乗っ取り、間接支配していたのですから、統一教会被害者を、政治が救う可能性は、山上が事件を起こすまで、実質ゼロだったという現実があります。

独裁政治の末路

 カルトが支配する国家と聞いて、どのような印象をお持ちになられるでしょうか。まともな国家だとは思いませんよね。また、カルトに支配された国家からの指示に従うか?と問いかけられたら、多くの人が、従わないと回答すると思います。
 ところが日本は、そのカルトに支配された国家なのです。
 統一教会と創価学会は、各々、方法は異なりますが、自民党を間接支配し、自民党を経由する形で、中央政府と国会を間接支配下に置いています。
 今の日本はリアル版20世紀少年だと評する人も多いです。
 統一教会の方は詳しくないので、創価学会の方で説明しますが、公明党は露骨な利益誘導型政治を行っています。また先程も申しましたように、創価学会は、どれだけ悪さをしても、それが創価学会の団体に意思によるものであれば、逮捕されません。調査もされません。警察と行政を牛耳ってるからです。
 確かに、権力を握る側になれば、弾圧は絶対にされないでしょう。
 しかし、創価学会が、学会の意思として、組織犯罪を犯したり、倫理的・道徳的に問題のある行動を取った際、被害者が警察に訴えても、警察が動かないように予めしておく、お役所が創価学会の意向に沿った動きをして、結果、事実が捻じ曲げられる。また、国会を創価学会が間接支配している為、創価学会が取り締まられる事になるような法律は、絶対に作られない。
 こんな行動は、断じて許されません。
 何故なら、中立性に欠け、公平性と公正性が毀損しているからです。
 誰に対しても等しく平等であり、中立性、公平性、公正性が求められる権力が、一方に偏った不公平で公正でない態度を取れば、その権威と正当性に傷がつく事になります。
 傷が付けば人々は権力に不信感を抱き、信用しなくなり、進行すれば、権力が揺らぐ事になり、最後には倒れます。
 わざわざ言葉にする必要すらない事だと思いますが、カルトが政治を牛耳り、政治を私物化して我が物顔で悪さを働き、品行する人や気に食わない人をカルトの私兵で弾圧し、歯向かってきたら警察に弾圧させるような馬鹿な真似をしていれば、最初のうちは、みな、カルトが警察を使って弾圧して来るというので、不利益になるから黙っているでしょう。しかし、そんな状況が続けば、徐々に政府の言う事を聞かない人が増え、途中からは公然と指示を無視する人達が現れて、最終的には、カルト政府による統治を認めない人達が大勢現れて、その国は潰れる事になります。
 カルトのやっている事というのは、端的に言えば、秩序の破壊です。

分水嶺に立つ日本

 今はまだ、辛うじて政治が信用されている為、国内は平静を保っています。
 しかし、このまま被害者救済法にマインドコントロールと言う言葉すら表記されず、統一教会や創価学会といった大勢の国民を痛めつけている危険なカルト教団が救済されるような、酷い代物になったら、その時点で国民の芽は「なんだ、自民党がカルト(統一教会と創価学会)に支配されてるって話は本当だったのか」と認識するようになります。
 誰がカルトに支配された政党が握る政権や国を信用します?
 多くの人は、このままではいけないから、何とかしないといけない。カルトによる国家支配を終わらせなければと考え始めます。
 国政選挙で政権交代が起きるか、あるいは、政権交代に近づくような結果が出たらいいですが、そうならなかった場合、多くの人は、一体どうしたらいいんだと頭を抱えるようになります。
 恐らく被害者救済法がいい加減なもので終わった段階で、本気でクーデターを起こそうと考える人たちや、革命を起こそうと考える人たち、全く新しい政党を作って、何とかその政党に政権を取らせる事で、この問題に決着をつけようと考える人たちが出てきて、実際に行動するようになって行くと考えられます。
 そうなった時点で、この国は既に、風前の灯火です。
 言うまでもない事ですが、多くの人達は、既にこの国の政府と議会の事を、まともな団体ではないと考えていて、権力の正当性も、権威も、何もかもが大きく揺らいでいて、信用していないからです。
 まだ秩序崩壊にまでは至っていないというだけで、慣習で、政治権力の正当性を信じていた頃と同じ行動原理で動く人がまだ大多数の為に、何とか社会が機能しているだけで、何か一つきっかけがあったら、大多数の人々が国の言う事を聞かなくなり、国家崩壊状態に陥ってもおかしくありません。
 国会議員の人達、特に自民党の議員さん達は凄く呑気で、統一教会問題も時間が経てば風化するとか、選挙には影響は出ないとか、統一教会との関係を切らなくても、被害者救済法をきちんと制定しなくても、問題は生じず、今後もだらだらと今までのような政治が続くと、そう思い込んでいるみたいです。
 カルトの問題は多くの人にとって非常に身近な問題で、知り合いがカルトに嵌って家庭崩壊したとか、一家離散したとか、金を注ぎ込んで自己破産した、離婚したなんて話は、よく聞くありふれた話なんです。誰だっていつ大病するかわからないし、職や収入源を失うかわからないし、不幸が訪れるかはわからないわけです。そうして心が弱っている時に、その隙を嗅ぎ付けて攻撃を仕掛けてくるのがカルトなわけですから、感覚的に、この種の問題は、きちんと解決しておかないと、明日は我が身かもしれないとみんなが不安に思っているわけです。
 そうした状況があるのに、政治は解決しない、それどころか、政治はカルト側で人々が食い物にされる事を防いでくれないとなったら、人々がどういう行動に出るかはいうに及ばずです。
 日本では一揆や打ち毀し、反乱などが江戸時代から戦前までかなりの件数発生しているわけですが、大抵のケースは、人々がこれでは生活していけないという生存の恐怖を感じた状況で発生しています。カルトの問題は、上述の理由により、自分や家族がいつ被害に遭ってもおかしくないという恐怖感を抱く問題という点で、生存権が脅かされる恐怖を現実感を伴って感じさせる問題であり、一揆や打ち毀し、反乱などを引き起こす原因となる可能性が考えられるものです。
 時折、食うや食わずにならなければ、クーデターも革命も起きないという意見を言われる方がいらっしゃるわけですが、それと同等の状況を、このカルトの問題は引き起こす可能性が現実にあるのです。
 無論、一揆や打ち毀し、反乱は、現代社会で言えば、クーデターや革命です。

最悪の事態を回避する為にも

 言うまでもない事ですが、クーデターや革命なんて、起きてもいい事なんか基本的にはないんですよ。世の中は常に良いと思う方向に修正し、改革や改良を通じて変えて行く以外になく、革命のような極端な事をやっても、社会が激しく揺れるだけで、大抵、失敗します。
 しかし、今のこの国は、与党だけでなく、野党ですら、カルトにかなり深く侵食されていて、政権交代が起きたとしても、カルト天国が揺るがないような、カルトに政治が支配されているような状況に陥っているわけです。
 議会でカルト対策が取れないのであれば、クーデターや革命を起こす以外にないと思い詰める人達が出てくるのは当然の話です。
 そもそも、この問題は、改革か、革命か、みたいな大風呂敷を広げてするような話ですらなく、単に国会で、反セクト法を制定し、セクトを調査したり、監視したりする専門機関を設置し、更にセクトによる組織犯罪等を取り締まる法整備を整えて、カルト天国化している今の日本を、健全で正常な社会に引き戻したら済むだけの問題です。
 その「済むだけの話」が、何故か一向にできないので、こんな馬鹿馬鹿しい話になっているわけです。
 セクトに反対する政治家の人達は、自民党にも当然いると思います。また、創価学会の問題をきちんと報じない、大手新聞社とテレビ局にも、当然、問題はあります。セクトに反対する政治家の人達は、もっと頑張るべきですし、大手新聞社とテレビ局も創価学会を批判しまくるべきです。
 この国を最悪の事態に直面する事を回避させられるのは、あなたたち以外にないんです。